イップ・マンで武術を知るもエ~ガね

ブルース・リー主演の『燃えよドラゴン』を観たのはずいぶんと昔だ。しかも、一般公開より半年近くも前に試写で観ている。
アジアの映画(正しくはアメリカ映画)だし、主演はブルース・リーとかいう無名俳優だし…ということで、公開できずにいたんだろう。内容的にも『007 ドクター・ノウ』みたいだった。

にもかかわらず、わしは秘かに…この映画が公開されると大反響が起こるんじゃないかと思った。その理由は奇声をあげながらのアクションが新鮮で魅力的だったからだ。果たして、公開されると予想をはるかに越え、大ヒット以上の社会現象になった。

そのころに観たか聞いたかで、詠春拳のイップ・マンの存在は知っていた。
『燃えよドラゴン』の冒頭、ブルース・リー(季小龍)が弟子の少年に「道は月までつづいている」とかよくわからないことをいうシーンがある。あれは師匠のイップ・マンからいわれた言葉かも…と、勝手に思っていたものだ。真相はわからない。

https://youtu.be/_yOotTsodJk

イップ・マンの自伝的映画をDVDで観た。タイトルも『イップ・マン 序章』という。
イップ・マンの役をドニー・イェン。アクション監督をサモ・ハン・キンポー。監督はウィルソン・イップ。

どうしてこれを観たかといえば、ドニー・イェンが気になっていたからだ。どうして気になったかといえば、『スターウォーズ ローグワン』で“座頭市”みたいな役を演じたのがドニー・イェンだったからだ。

『イップ・マン 序章』は佛山という武術のさかんな町が舞台で、イップ・マン(葉問)と詠春拳とのかかわりを描く。日中戦争がベースにあり、日本からは池内博之が軍人の武術家役で参加していた。
儒教の教えなのか、映画の中に「武術の徳は仁。他人を自分と同じに扱うのが仁」という言葉があった。日本(軍)にはそれがないと指摘しているわけで…日本人としては辛く申しわけない気持ちにもなった。

なお、この映画は『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』『イップ・マン 継承』と三部作で構成されている。『イップ・マン 序章』のあと、舞台は香港に移る。

どういう統計なのかはわからないが、イップ・マンの教えを受けた者は200万人いるという。武術の達人である前に、彼には包み込むような温かさがあったのかもしれない。三部作を通して、人を…家族を妻を大切にする姿がそこにあった。

中国では早朝に公園で体操している光景を目にする。詠春拳かもしれない。真相はわからない。

タクシードライバーを思い出すもエ~ガね

ビデオもDVDもなかった時代の映画は埋没しているものも多い。
観逃している映画はないかとレンタル店内を歩いていて『白い家の少女』を発見した。ジョディ・フォスターの主演だ。当時、彼女は13か14歳だろう。大人顔負けの…というか、大人を見下したような醒めた物言いが印象に残る。

ジョディといえば、同時期の『タクシードライバー』を思い出す。この映画のことを書いてなかったな。

https://youtu.be/Hvbh2kF_jAM

出だし、モヤモヤと白い煙の中からタクシーが現れる。あの場面が好きだった。
『タクシードライバー』はポール・シュレイダーの脚本で、マーティン・スコセッシの監督作品。主演はロバート・デ・ニーロだった。スコセッシ監督もデ・ニーロも、まだ世間に知られていなかったと思う。

元海兵隊のタクシードライバーのトラビス。孤独な彼は異常なほどの正義感を持っている。現実にそういうタイプの人はいるだろう。怪しげな夜の街をタクシーで流しながら、トラビスは「こんな悪は水洗トイレのように流してしまいたい」と思う。
その気持ちが大統領候補に向かう。デ・ニーロのとりつかれたようなエキセントリックな役づくりがすごい。

そして、ジョディは娼婦アイリスの役だった。子どもなのに大人の世界を知り尽くしたかのような危うい表情。トラビスはそんな彼女を救いたいと考える。そんな内容だった。

現実は映画を越える。実際に越えたのだ。
デ・ニーロの役にあこがれた青年が、ジョディ・フォスターに惚れ込んでしまう。青年は「愛してくれないなら大統領を狙撃する」みたいな手紙をジョディに書いて、ロナルド・レーガン大統領に発砲したのだ。大統領は胸に被弾している。

当時、大学生になっていたジョディ・フォスターだが、どれほどショックだっただろう。自分のファンが大統領暗殺未遂事件を起こしたのだから…自分のせい、みたいに感じたかもしれない。
そんなふうに思ったものだった。彼女が男性不信になっていったのもわかる気がする。

天才子役が大人になって女優になることは難しい。でも、ジョディはその道を歩み…『羊たちの沈黙』のクラリス役がよく知られるところだと思うが、後には監督業にまで進出した。信念の人なのだろう。

わしなどがどう思おうとどうということはないのだが、よかったなと思ったものだった。






マーティン・スコセッシ監督といえば…余談だが、「映画製作に関わっている」という人から連絡が来たことがあった。テレビ業界にいたとかで、以前に一度だけ出版仕事の連絡をもらい…会ったことがある人だ。
「今、マーティン・スコセッシ監督が遠藤周作の原作で映画を撮っていて、それに関わっている」という。監督が日本に来るので[ジブリ美術館]を案内してほしいとか…そんな奇妙な話だった。
ものづくりに対して献身的なんだろうが…よくわからないところもあったので、わしからは連絡しなかった。

何年か後、映画が公開された。『沈黙』というタイトルで…。

三度目の殺人を考えるもエ~ガね

是枝裕和監督の『三度目の殺人』を観た。
ビジネスライクにこなす弁護士に福山雅治。一筋縄ではいかない殺人犯に役所広司。その存在感はさすがだと思った。そして、被害者の娘に広瀬すず。重要な役だ。

ガラス越しに弁護士と殺人犯が対峙する。映画の中で真実は明かされていない。観る側がそれを考える…というつくり方だ。

https://youtu.be/znX_FGhGBBo

人が人を裁くとはどういうことか。いつまでも心の奥底に残り…考えさせられる怖い映画だった。

ふと、加賀乙彦の「死刑囚の記録」を思い出し…本棚から取り出しページをめくった。
「この憎悪が、彼の精神生活を何とか安定させている原動力」「拘置所は未決の被告を、刑務所は既決の受刑者を拘禁する場所」と…そんな言葉が次々と目に飛び込んできた。

昔読んだ本なのでしっかりとは覚えていない。死刑囚を取材して書かれたもので、死刑というのは合法的な殺人ではないか…というスタンスだったように記憶する。

『三度目の殺人』に原作はない。是枝監督のオリジナルなので、おそらく…この「死刑囚の記録」も参考資料になっているだろう。

タイトルの意味を含めて、わしなりに真実…というか答えは見つけたが、マナーに反するのでそれは書けない。問題を提起している。観る人によっては消化不良を起こすだろうな。
『三度目の殺人』はそういう意欲作だった。

裁くのか、裁かれるのか。
闇なのか、光なのか。
真実より大切な…。



さぁ、今日は内藤トウガラシの実を収穫する。真っ赤な実を採って吊るすのだ。

関ケ原に思いを馳せるもエ~ガね

鎮魂の意味もあり、わしはこの時期になるとカラオケで「防人の歌」「CLOSE YOUR EYES」…そして、「群青」を唄う。
気になるのは歌の画面に軍艦や戦闘機など、当時のニュース映像が使われているものがあること。辛い…。どういうセンスなんだろうと思う。
単に予算削減かな。以前、カラオケ歌画面の絵を安価で描いてほしいという打診もあったから…。


それはさておき、その昔、この時期に関ケ原の戦いがあった。
火蓋が切って落とされたのは慶長5年(1600年)の9月15日だ。これは豊臣と徳川の戦いじゃない。徳川本隊は真田の兵に阻まれて関ケ原に間に合わなかったらしい。むしろ、豊臣の内紛といえるんじゃないかな。その上に鎮座したのが徳川家康だろう。

原田眞人監督の映画『関ケ原』が公開される。それに合わせて、まだ読んでなかった司馬遼太郎の「関ケ原」上・中・下巻を読んだ。いや、正確には下巻の途中まで読んだ。3冊の原作小説と2時間半の映画では情報量が違いすぎる。原作を読んでから映画を観ると「あのシーンがない」とか映画に不満が残るかもしれない。だから、途中まで読んで…観てから残りを読むことにしたのだ。

原作では作者が解説をしながら小説世界に入っていく。当然、基本的には史実だ。が、巧みに書かれているため、どこまでが史実なのか創作なのかわからなくなる。初芽という人物がそうだ。わしはそんな名前を聞いたことがないので架空だと思うが、もしかしたら歴史の影にいたのか。
いや、そんなはずはあるまい。おそらく、石田三成の純粋さを浮き彫りにするために創作された人物だろう。

三成が「おれはすこし老けた。しかし、これ以上老けることはあるまい」と気になるセリフをいったところで原作をストップしよう。つづきは映画を観てからだ。

https://youtu.be/L98V5YBHbTI

観終えて、残りの原作とともに噛みしめている。わしは原田監督のこれまでの作品を観てきて…安心していたし、期待していた。
2時間半に収めるため原作を割愛したところも多いが、逆に付け加えたところもあった。わしとしては、その付け加え部分に興味を持った。
監督はオーソン・ウェルズやエイゼンシュタインを再研究したという。なるほどと思う。

槍を使っての合戦場面には工夫を感じたし、何より迫力があった。仮に…原作に「両軍が激突した」と書かれていたとして、それを映像で見せるのは並大抵のことじゃない。実際、どう表現しているのかに興味があったわけだが、そこには満足できた。

が、セリフが聞き取りにくい。各地の方言が入り乱れるわけだから当然だが、字幕がほしかった。英語の字幕版はあるそうだが、日本語でほしかった。隣席の人の反応からもそれを感じた。
この種の映画では歴史資料…的なものを求めてしまうせいかもしれない。地名、人名、官名、役職名など、複雑になる。しかも昔の言葉づかいだ。おそらく、DVDになったときは字幕選択ができるようになるんじゃないかな。
セリフに関しては『シン・ゴジラ』の影響もあったのかなとふと思った。

合戦以外のシーンではやはり…どんなに映画が長くても文字での情報にはかなわない。常々、小説と映画は別物といっているのにそんなことを思ってしまった。三成や家康や他の人物の対立関係など、なぜ戦わねばならなかったのかという熱い思いが観ている人に伝わるだろうかと。原作の下巻半分を読み残していてもそう思う。そう思ってしまったのはやはり、先に原作を読み出したことによる弊害かもしれない。割愛しても登場人物は多い。
と、不安になって劇場内を見ると、ほとんどが高齢の客だった。原作を読んでいるか、同等の歴史知識がありそうだ。心配はいらないのだろう。

ただ、予備知識もなく下地を知らないで観にくる若い人に…三成の豊臣への一途な気持ち、徳川を許せなかった思いや無念が伝わるだろうか。と、心配になった。でも、若い人はこの映画を観ないかな。おもしろいとかって種類の映画とは違う気もするし…おもしろいと思ってはいけないのかもしれない。

ダイイチダイマンダイキチ…。三成の「大一大万大吉」はまるで民主主義のスローガンか呪文か念仏のようだ。One for All, All for One. ひとりが万人に尽くし、万人がひとりに尽くす…。心に響いた。

自分の周りで起こっていることは自分の責任でもある…と考えただろうか。
三成の正義というか、美学…的なものを原作から強く感じていたが、映画からはそれほど強く受けなかった。わしの頭の中で原作と映画が戦っていたのかもしれない。あるいはほどよく混ざり合ったのか。

原作、読了。この天下分け目の決戦のことは知っているつもりでいた。が、隊のそれぞれの人数のことなどは原作で知った。細かく調べ尽くされている。
数の上でこそ家康側よりも三成側のほうが多かったが、一枚岩じゃない。三成側で必死に戦っているのは三割程度。他は傍観しているという異様な戦いだったようだ。それでも、あと一歩というところまで家康軍を追い詰めている。
「風に遭ったもみがらのように」とか、文章表現もすさまじい。大谷吉継の潰滅の様子など胸が詰まる。ところどころで映画を思い出した。

[甲陽軍鑑]によると、国を滅ぼす大将には4つの特徴があるという。それは「愚か」「臆病」「強すぎる」「利口すぎる」だという。三成は利口すぎたのだろうか。

新幹線に乗ったら必ず関ケ原が見える席に座る、という人の夕刊記事を読んだことがある。どこに誰の陣があり、誰がどう戦ったかをイメージするのだという。「小早川卑怯!」と心の中で叫ぶのだとか…。そこまでの知識があれば、もっと深く理解できるだろうと思ったものだった。

そういえば、小早川についてはすこし変えてあったな。監督の思惑も歴史の真実もわからない。
『本能寺ホテル』では信長をやさしい性格にしていたが、それだってあり得ないことじゃない…かもしれない。


映画での…ものいわぬ野仏のシーンが好きだった。初芽のまなざしにも似て…。
戦争とはしょせん、将の作品だという。されど…。
利に負けた義の三成…。

先に仕掛けたのは石田三成らしい。でも、先に仕掛けるように仕向けたのは徳川家康かもしれない。純粋な三成を扇動したのだろうか。実際、原作でもそのように触れられていた。
歴史の真実はわからない。もはや、ロマンの彼方だろう。


もしかすると…同じように、日本が先に戦争を仕掛けるように仕向けたのは…ルーズベルト大統領だったのかもしれない。

それはともかく、ひとつ思いついた。一度、関ケ原に行ってみよう。
以前から思い描いてはいたのだが、中仙道を歩いて関ケ原に行ってみようと思う。
歴史に思いを馳せながら…。

プロフィール

ネコタル爺

Author:ネコタル爺
FC2ブログへようこそ!
ネコ爺ことネコタル爺の高峰 至です。

http://neko.a.la9.jp/

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR