おくりびとを想うもエ〜ガね
DVDで『おくりびと』を観ました。温かくてやさしくてわかりやすくて…いい映画でした。静謐で美しく…荘厳ですらありました。涙が溢れました。山形の風景やチェロの音色とともにいつまでもわしの心に残るでしょう。
もちろん、モックンたち出演者もよかった…。
https://www.youtube.com/watch?v=5XKNS3-VMhI
死生観というか…死者をおくるというのは国(文化)によって違うでしょうから、外国人から見ればエキゾチックでしょう。そういう意味では外国語映画賞もイケるかもしれないと思っていましたが、みごとにやりましたよねぇ。
滝田洋二郎監督の作品では『コミック雑誌なんかいらない!』が印象に残ってます。そのときの主役が内田裕也でした。そのつながりで本木雅弘の主演になったんでしょうか。
思い出すと…本木雅弘主演の映画は『シコふんじゃった。』と『トキワ荘の青春』と『中国の鳥人』と『スパイ・ゾルゲ』をリアルタイムで観ています。それぞれ…印象に残ってますね。わしはきっと、俳優としてのモックンが好きなんでしょう。
『おくりびと』はモックンの企画だったようですね。青木新門という納棺師が書いた「納棺夫日記」が元になっているとかで、そうういえば…昔にそういう記事を読みました。ということは、それからずっと関わって、やっと映画が制作できたってことだったのか。それがアカデミー賞外国語映画賞という最高の形で花開いたんですね。
『中国の鳥人』もインディーズ系だったし、きっとモックンは映画に対して真摯な人なんでしょう。
ところで、『おくりびと』に山崎努が出ていますが、彼は伊丹十三の『お葬式』にも出てましたよね。こうなるとなんだか葬送俳優ですな。
アカデミー賞外国語映画賞っていうと重厚な作品をイメージしますが、『おくりびと』には笑いもあって、ラクに観られる映画でした。こむずかしい映画を好む審査員も…こむずかしくないところを評価したんでしょう。普遍的なテーマですしね。
詳しくは書けませんが、“石”のエピソードも好きですね。
職業差別的な表現のところですが、風土的に考えてもそういうことがありそうです。でも、それよりも映画的メリハリとして入れたのかもしれません。
ラスト、その配役ができすぎっていうか…実際に亡くなった人ですよね。最後の映画出演だったのでしょうか。二重の意味で涙を誘いました。後になって気づいたんですが、回想シーンでの後ろ姿は…ちゃんと彼だったんですね。
わしだって…これまで何度か、葬儀に立ち会いました。でも、特に身内の場合など気が動転してちゃんと観ていなくて…こういうことに対して、感謝すら忘れていたかもしれません。
それにしても、エンドロールでのモックンの名前は主役としてのみなんですね。もっと、企画とかにも名を連ねてるのかと思った(実質的にはプロデューサーだと思うから)。
納棺師の青木新門の名もなかったと思う。本屋ではこれが映画『おくりびと』の原案ですって感じで「納棺夫日記」が紹介されているのに、映画ではまったくクレジットされてない? わしが見逃したんでしょうか? それとも…やはり、名前を出すことに対して、青木納棺師を説得できなかったということでしょうか。
それに対してモックンも責任を感じて、役者としてのみのクレジットにしたんでしょうね。
関連で、『おくりびとが流した涙』(ぶんか社文庫)という本が出ていて、そこには映画のようにキレイではない…過酷な現実がありますね。
ラストはもうひと工夫あってもいいのかもって思いましたが、そう思わせることが余韻につながっているのかもしれません。
それにしても、この手の映画で坊さんの読経がまったく聴こえないというのはちょっと不思議な気もします。納棺師にピントを合わせるために、あえて宗教色を排除したということかもしれませんね。
映画は…できてしまえば2時間ほどですが、その裏にはいろいろありますよね。人生も似たようなものかもしれません。わしは笑いながら『おくりびと』を観つつ…身につまされ、“身の納まり”に…いつしか泣いていました。
平凡に生きることは非凡である。改めてそれを感じさせてくれた…感謝の心がいっぱいのやさしい作品でした。
越冬をあきらめた白鳥を主人公に重ねているんだそうですね。
『おくりびと』で渡り鳥が飛び立つシーンがありましたよね。あれはもちろん、あの世への旅立ちの表現でしょうが、それ以前に…飛べない渡り鳥らしき姿もあったように思います。そこには、都会で飛び立てずに田舎へ帰って来た主人公の…焦りやあきらめの気持ちも含まれていたのでしょう。
いや、あきらめの中にだって希望はありますよね。
ところで、チェロという楽器は人体(女体)をデザインしたものらしく、それをケースに入れるのは納棺にも通じますよね。そういう深読みもさせてくれる映画でした。
実はわしのカラオケ仲間がチェロをやってて、この映画のための…モックンを指導した同じチェリストに指導を受けているようです。いつか…仲間のチェロ演奏も聴いてみたいものです。
もちろん、モックンたち出演者もよかった…。
https://www.youtube.com/watch?v=5XKNS3-VMhI
死生観というか…死者をおくるというのは国(文化)によって違うでしょうから、外国人から見ればエキゾチックでしょう。そういう意味では外国語映画賞もイケるかもしれないと思っていましたが、みごとにやりましたよねぇ。
滝田洋二郎監督の作品では『コミック雑誌なんかいらない!』が印象に残ってます。そのときの主役が内田裕也でした。そのつながりで本木雅弘の主演になったんでしょうか。
思い出すと…本木雅弘主演の映画は『シコふんじゃった。』と『トキワ荘の青春』と『中国の鳥人』と『スパイ・ゾルゲ』をリアルタイムで観ています。それぞれ…印象に残ってますね。わしはきっと、俳優としてのモックンが好きなんでしょう。
『おくりびと』はモックンの企画だったようですね。青木新門という納棺師が書いた「納棺夫日記」が元になっているとかで、そうういえば…昔にそういう記事を読みました。ということは、それからずっと関わって、やっと映画が制作できたってことだったのか。それがアカデミー賞外国語映画賞という最高の形で花開いたんですね。
『中国の鳥人』もインディーズ系だったし、きっとモックンは映画に対して真摯な人なんでしょう。
ところで、『おくりびと』に山崎努が出ていますが、彼は伊丹十三の『お葬式』にも出てましたよね。こうなるとなんだか葬送俳優ですな。
アカデミー賞外国語映画賞っていうと重厚な作品をイメージしますが、『おくりびと』には笑いもあって、ラクに観られる映画でした。こむずかしい映画を好む審査員も…こむずかしくないところを評価したんでしょう。普遍的なテーマですしね。
詳しくは書けませんが、“石”のエピソードも好きですね。
職業差別的な表現のところですが、風土的に考えてもそういうことがありそうです。でも、それよりも映画的メリハリとして入れたのかもしれません。
ラスト、その配役ができすぎっていうか…実際に亡くなった人ですよね。最後の映画出演だったのでしょうか。二重の意味で涙を誘いました。後になって気づいたんですが、回想シーンでの後ろ姿は…ちゃんと彼だったんですね。
わしだって…これまで何度か、葬儀に立ち会いました。でも、特に身内の場合など気が動転してちゃんと観ていなくて…こういうことに対して、感謝すら忘れていたかもしれません。
それにしても、エンドロールでのモックンの名前は主役としてのみなんですね。もっと、企画とかにも名を連ねてるのかと思った(実質的にはプロデューサーだと思うから)。
納棺師の青木新門の名もなかったと思う。本屋ではこれが映画『おくりびと』の原案ですって感じで「納棺夫日記」が紹介されているのに、映画ではまったくクレジットされてない? わしが見逃したんでしょうか? それとも…やはり、名前を出すことに対して、青木納棺師を説得できなかったということでしょうか。
それに対してモックンも責任を感じて、役者としてのみのクレジットにしたんでしょうね。
関連で、『おくりびとが流した涙』(ぶんか社文庫)という本が出ていて、そこには映画のようにキレイではない…過酷な現実がありますね。
ラストはもうひと工夫あってもいいのかもって思いましたが、そう思わせることが余韻につながっているのかもしれません。
それにしても、この手の映画で坊さんの読経がまったく聴こえないというのはちょっと不思議な気もします。納棺師にピントを合わせるために、あえて宗教色を排除したということかもしれませんね。
映画は…できてしまえば2時間ほどですが、その裏にはいろいろありますよね。人生も似たようなものかもしれません。わしは笑いながら『おくりびと』を観つつ…身につまされ、“身の納まり”に…いつしか泣いていました。
平凡に生きることは非凡である。改めてそれを感じさせてくれた…感謝の心がいっぱいのやさしい作品でした。
越冬をあきらめた白鳥を主人公に重ねているんだそうですね。
『おくりびと』で渡り鳥が飛び立つシーンがありましたよね。あれはもちろん、あの世への旅立ちの表現でしょうが、それ以前に…飛べない渡り鳥らしき姿もあったように思います。そこには、都会で飛び立てずに田舎へ帰って来た主人公の…焦りやあきらめの気持ちも含まれていたのでしょう。
いや、あきらめの中にだって希望はありますよね。
ところで、チェロという楽器は人体(女体)をデザインしたものらしく、それをケースに入れるのは納棺にも通じますよね。そういう深読みもさせてくれる映画でした。
実はわしのカラオケ仲間がチェロをやってて、この映画のための…モックンを指導した同じチェリストに指導を受けているようです。いつか…仲間のチェロ演奏も聴いてみたいものです。