悼む人を探すもエ〜ガね
どこにでもあるような…田畑の中につづく道が懐かしかった。悼むとは死者の冥福を祈るという意味です。“死”を悼むための旅はお遍路の巡礼のようで美しかった。
堤幸彦監督の『悼む人』のことを書きましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=q_LsnljHPhY
力作です。誠実な映画です。悼む人である静人役を『白夜行』の高良健吾が…繊細かつ逞しく演じていました。わしは原作を読んでいる段階では『HINOKIO』の本郷奏多が頭に浮かんでいたんですけどね。歌手の森山直太郎とかもイメージが近いかな。
悼む人に連れ添う…汚れ役ともいえる石田ゆり子。演じる人としては挑戦だったろうと思います。まさに、転がる石には苔が生えないという感じの新たなイメージでした。その彼女の夫役が井浦新です。
息子を思う…静人の母親に大竹しのぶ。静人の妹を演じるのが貫地谷しほり。静人の行動に疑問を持つ記者には椎名桔平が扮していました。皆、熱演でした。
文庫本2冊の内容を2時間ちょっとにうまくまとめたものだと感心しました。
でも、テレビ実写版の「ブラック・ジャック」で、ピノコを双子にした堤監督なので、どのように脚色するかと秘かに期待もしていたのです。
悼む旅では、映画『砂の器』の父と子を思い出しました。松本清張の原作での数ページを橋本忍が大胆に脚色して、40分くらいの音楽映像にした部分です。その点、『悼む人』は天童荒太の原作とまったくといっていいくらい同じでした。悼むための動作は原作より大きく優雅になっていましたけどね。
原作は各人物の章で分れていて、その中に静人が語られるという構成。
でも、映画ではそれらが同時進行です。それもあって…盛り沢山で忙しい。感情移入する間もなく次に進むという感がありました。そう思ったのがわしだけならばいいけど…。悼みの旅はほとんど徒歩なので、そういうゆったりした流れがあっても…と思ったりもしたのです。
原作を読んだのは半年前。近年読んだ中で特に好きな小説です。読み終えて、もう一度読みたいと思うほど感動しました。天童荒太はこれを書くのに7年かかったそうですね。
わしは映画になることは想定していなかったし、心の描写が多くて重く地味な内容だけに…決して映画的な題材とも思わなかった。ですから、それをどんなふうに映像にしたんだろうと思いつつ観たわけです。
文字は重ねることができないけど、音(声)は重ねて表現することができる。それが新鮮でした。
『ビルマの竪琴』を思い出しました。弔われずに死んでいる日本兵を思い…戦地、ビルマ(ミャンマー)で僧侶となった水島上等兵。「イッショニ、ニッポンニ、カエロー」です。通じるものがありますね。
余談ですが、梅図かずお原作による大林宣彦監督の『漂流教室』も思い出しました。「未来に蒔かれた種」というのが観る人に伝わるだろうかと心配したときのことを…。
紙媒体では成り立っても、そのまま映像で表現すると不自然ってことありますよね。
マンガと映画は違う。当然、小説と映画は違う。
映画を観ている人にちゃんと真意が理解されただろうかと心配になったのは事実です。
主人公の母親はまだしも、記者や、連れ添う女性や彼女を追いつめる夫の気持ちなど…。そして、主人公静人の人の“死”を悼む気持ち…。
追いつめられた人たち…。
魂の巡礼。亡くなった人は誰を愛していたか。誰に愛されていたか。
“死”はどこにでもある。それをいちいち他人まで悼んでいたらキリがない。でも、静人のそうしないではいられない切羽詰まった気持ち。それが理解されるだろうかって…。
高齢になって死んでいくのも大変です。
ましてや、昨今は理不尽に人の命が奪われたりもする。マスコミもそれを取り上げ、加害者の名前や顔までも記憶に残ったりする。でも、被害者は…。記憶にも残らず、悼んでもらうことさえない。そういうことも多々あるんじゃないでしょうか。
たとえ病気といわれようと、自分には悼む以外に何もできないと考える静人…。
映画を観る環境として決してよくはなかった。それもあります。
「この人、何でこんなことしてるの?」と、隣席から聞こえたような気がする。
実は、劇場の隣席のカップルが内容をいちいち確認し合っていて…小声がうるさかったのです。でもそれは…登場人物たちの気持ちが理解できなかったからでしょう。
わしは子どものころ、鳥とか魚とかを飼っていました。
死んでしまうと小さな墓をつくって埋めたものでした。
忘れてしまったら生きていたことを誰も知らないんだ。
おそらく、静人もそういう子どもだったんでしょうね。
亡くなった人のことなど忘れてしまう。誰も覚えていない。
原作を読んだときに頭をよぎった思いが伝わるだろうか。
温かく愛おしく切ない思いが伝わってくれるだろうか。
わしが死んだら…誰が覚えているだろうか。
悼む人は誰ですか。どこにいますか。
そんなことを思ったわしでした。
堤幸彦監督の『悼む人』のことを書きましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=q_LsnljHPhY
力作です。誠実な映画です。悼む人である静人役を『白夜行』の高良健吾が…繊細かつ逞しく演じていました。わしは原作を読んでいる段階では『HINOKIO』の本郷奏多が頭に浮かんでいたんですけどね。歌手の森山直太郎とかもイメージが近いかな。
悼む人に連れ添う…汚れ役ともいえる石田ゆり子。演じる人としては挑戦だったろうと思います。まさに、転がる石には苔が生えないという感じの新たなイメージでした。その彼女の夫役が井浦新です。
息子を思う…静人の母親に大竹しのぶ。静人の妹を演じるのが貫地谷しほり。静人の行動に疑問を持つ記者には椎名桔平が扮していました。皆、熱演でした。
文庫本2冊の内容を2時間ちょっとにうまくまとめたものだと感心しました。
でも、テレビ実写版の「ブラック・ジャック」で、ピノコを双子にした堤監督なので、どのように脚色するかと秘かに期待もしていたのです。
悼む旅では、映画『砂の器』の父と子を思い出しました。松本清張の原作での数ページを橋本忍が大胆に脚色して、40分くらいの音楽映像にした部分です。その点、『悼む人』は天童荒太の原作とまったくといっていいくらい同じでした。悼むための動作は原作より大きく優雅になっていましたけどね。
原作は各人物の章で分れていて、その中に静人が語られるという構成。
でも、映画ではそれらが同時進行です。それもあって…盛り沢山で忙しい。感情移入する間もなく次に進むという感がありました。そう思ったのがわしだけならばいいけど…。悼みの旅はほとんど徒歩なので、そういうゆったりした流れがあっても…と思ったりもしたのです。
原作を読んだのは半年前。近年読んだ中で特に好きな小説です。読み終えて、もう一度読みたいと思うほど感動しました。天童荒太はこれを書くのに7年かかったそうですね。
わしは映画になることは想定していなかったし、心の描写が多くて重く地味な内容だけに…決して映画的な題材とも思わなかった。ですから、それをどんなふうに映像にしたんだろうと思いつつ観たわけです。
文字は重ねることができないけど、音(声)は重ねて表現することができる。それが新鮮でした。
『ビルマの竪琴』を思い出しました。弔われずに死んでいる日本兵を思い…戦地、ビルマ(ミャンマー)で僧侶となった水島上等兵。「イッショニ、ニッポンニ、カエロー」です。通じるものがありますね。
余談ですが、梅図かずお原作による大林宣彦監督の『漂流教室』も思い出しました。「未来に蒔かれた種」というのが観る人に伝わるだろうかと心配したときのことを…。
紙媒体では成り立っても、そのまま映像で表現すると不自然ってことありますよね。
マンガと映画は違う。当然、小説と映画は違う。
映画を観ている人にちゃんと真意が理解されただろうかと心配になったのは事実です。
主人公の母親はまだしも、記者や、連れ添う女性や彼女を追いつめる夫の気持ちなど…。そして、主人公静人の人の“死”を悼む気持ち…。
追いつめられた人たち…。
魂の巡礼。亡くなった人は誰を愛していたか。誰に愛されていたか。
“死”はどこにでもある。それをいちいち他人まで悼んでいたらキリがない。でも、静人のそうしないではいられない切羽詰まった気持ち。それが理解されるだろうかって…。
高齢になって死んでいくのも大変です。
ましてや、昨今は理不尽に人の命が奪われたりもする。マスコミもそれを取り上げ、加害者の名前や顔までも記憶に残ったりする。でも、被害者は…。記憶にも残らず、悼んでもらうことさえない。そういうことも多々あるんじゃないでしょうか。
たとえ病気といわれようと、自分には悼む以外に何もできないと考える静人…。
映画を観る環境として決してよくはなかった。それもあります。
「この人、何でこんなことしてるの?」と、隣席から聞こえたような気がする。
実は、劇場の隣席のカップルが内容をいちいち確認し合っていて…小声がうるさかったのです。でもそれは…登場人物たちの気持ちが理解できなかったからでしょう。
わしは子どものころ、鳥とか魚とかを飼っていました。
死んでしまうと小さな墓をつくって埋めたものでした。
忘れてしまったら生きていたことを誰も知らないんだ。
おそらく、静人もそういう子どもだったんでしょうね。
亡くなった人のことなど忘れてしまう。誰も覚えていない。
原作を読んだときに頭をよぎった思いが伝わるだろうか。
温かく愛おしく切ない思いが伝わってくれるだろうか。
わしが死んだら…誰が覚えているだろうか。
悼む人は誰ですか。どこにいますか。
そんなことを思ったわしでした。