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硫黄島からの手紙を読むもエ〜ガね

日米双方から描いた“硫黄島”の決戦…。合わせ鏡のように、2作が互いに補完し合うという構成…。それが『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』でした。

わしは…この2部作の映画をアメリカ側から描いた『父親たちの星条旗』ではなく、あえて、日本側から描いた『硫黄島からの手紙』を先に観ました。

思えば、クリント・イーストウッド監督の映画は『許されざる者』など、“反ヒーロー”ものでした。また、『ミリオンダラー・ベイビー』がそうであったように…おそらく、この“硫黄島”も予想以上に過酷な映画だろうと覚悟して観たのです。

https://www.youtube.com/watch?v=0x54bOTdJA0

というわけで、今回は『硫黄島からの手紙』(最初は「RED SUN,BLACK SAND」というタイトルだった)のウダウダな感想です。
立ち見が出るほどの観客の多さに驚いたものです。『父親たちの星条旗』の3倍の入りだったそうですね。

70年くらい前の日本の…硫黄島の戦場で“死んでいった兵士たち”を描いています。でも、“生きた兵士たち”を描いたっていうほうが正しいかもしれません。“死”に直面してこその“生”ですからね。
監督は…日本人兵士の“死”を覚悟した気持ちを理解するのが難しかったそうです。でも、本能に理屈は通じません。“死”は恐怖だったでしょう。どんなにか、残した家族が愛おしかったでしょう。むなしく混沌とした気持ちになります。

凄まじい戦争描写です。でも、映画だから…まだキレイですよ。実際はあんなに生易しいものではないでしょう。もっと、正視できないほど熾烈で汚くて残酷だったでしょうね。

加害者被害者のワクを超えて、戦場の様子をありのままに描いた映画ですが、そういう日本の戦争映画って今までになかったかもしれないとも思いました。
特に、硫黄島っていうのは悲惨すぎたためか、タブーの領域にあったためか、あまり映画にもなっていません(と思います)。

硫黄島は山手線内に入るくらいの大きさだそうです。日本兵が何万人いたとか、地下洞窟の長さが何10キロもあったとか、その地下要塞で36日も戦ったとか、今もって…洞窟の中には1万の兵士の遺骨が眠っているとかっていうのは映画からはわかりません。そういうところはほとんど説明していないからです。なぜ、アメリカと開戦になったのかも説明はありませんでした。
ただ、その場所(多くが狭い洞窟内)での、個々の日本人兵士の気持ちを誇張せずに描いていました。 そう感じました。

『父親たちの星条旗』はもっと大きな…たとえば国家エゴイズムとかプロパガンダみたいな視点から描いていました。そうすることで、この2部作は“対”になるんですよね。
『硫黄島からの手紙』で、摺鉢山の頂きに星条旗を掲げる様子が遠くに小さく見えました。逆に『父親たちの星条旗』のその場面では(見えないけど)遠くの…もう一方の山の洞窟に栗林中尉がいるってことです。そういうふうに解釈できるのが2部作の強みですね。

日本映画と違うなとわしが感じたのはカメラワークです。映像から湿気が感じられないところも、日本映画じゃないと思いましたね。
また、あえてでしょうが、洞窟内の硫黄の臭いとか熱さとかは表現されていませんでした。

それにしても驚くのは、出てくるほとんど全員が日本人という映画(日本人俳優は皆すごくよかった!)を…アメリカ人監督が撮ったということです。日本の題材でありながら、日本人監督には撮れなかったということです。日本人にとっての忘れてはならない過去の大事なことを…わしらはアメリカ映画から教えてもらわねばならなかったということです。これは恥ずかしいことですよ。

わしにとってクリント・イーストウッドはガンマン俳優でした。『荒野の用心棒』とかね。それが、今では世界の巨匠監督ですからねぇ。
映画祭で、クリント・イーストウッドが黒澤明監督を見つけて駆け寄り、「今の私があるのはあなたのおかげです!」と握手を求めたって話は有名ですよね。

『ラスト・サムライ』や『SAYURI』など、外国人監督が日本を題材にして映画をつくって成功していますが、これもそのひとつといえるでしょうね。『硫黄島』を含む、3作すべてに渡辺謙が出演しているのも特筆すべきことでしょう。
もっとも、それはこの映画当時のことで…今ではすっかり、日本を代表するハリウッド俳優ですよね。『ゴジラ』とかもね。

思えば、わしが渡辺謙を認識したのは「尾瀬に生き尾瀬に死す」というNHKの単発ドラマでした。そのあとで、大河の「独眼竜正宗」に抜擢されたんですよね。もう、白血病は大丈夫なんでしょうか。


人は人を思いやる。でも、ときに人間関係では齟齬(そご)をきたすことがあります。友人や知人、恋人同士など、親しいからこそそういうことが起こったりもしますよね。
仕事仲間や飲み友だち、趣味の仲間やクラスメイト、あるいは同じ地域の人とでも…そういう解釈違いによる諍いが起こります。

心理学関連では…男は知っていることを語り、女は思ったことを語るといいますが、それがどんなに小さなことであっても…やはり、諍いは悲しいですよ。

わしのこの「ウダウダ日記」にしても、「ものすごく映画愛が伝わってきます」という反応の反面、「映画の批判や論評をしていて、映画が好きとは思えない」という意見もありました。わしとしては淀川さんや小森のオバチャマに負けないくらいの映画好きを自認してるんですけどねぇ。
解釈が反対になってしまうというのも驚きですが、わしの文章能力の問題もあるでしょう。

特に相手の表情を見ない文字だけのコミュニケーションの場合は、誤解やら食い違いにつながることも多いですよね。不本意に相手をキズつけてしまったりします。注意していたつもりでも、後の祭りってことになってしまったり…。
文章表現のクセや解釈は人それぞれだったりもしますし、一度も会ったことのない相手ならばなおさらでしょう。
相手に不愉快な思いをさせてしまい、それを謝ろうとしても…もう連絡がつかず、それすらもできなかったり…。 わしもそういう失敗の度に、落ち込んだり反省したりしたものでした。

そして、そういうことの頂点にあるのが…国家的な諍い、戦争ですよね。

https://www.youtube.com/watch?v=KKl9OSdO72s

『父親たちの星条旗』も交えて書くことにしましょう。
わしは『硫黄島からの手紙』を先に観たわけですが、2部作の流れからすれば『父親たち〜』のほうを最初に観るべきだったのかもしれません。
わしはこの順番で観てしまった。逆の順番で観ていたらどう感じただろうと考えてみましたが、こればっかりは比較することもできず、わかりませんね。

アメリカ軍が硫黄島に上陸するところがこの2部作の接点です。“接点”には同じシーン(フィルム)も使われていました。しかし、そこ以外では…互いの立場が逆転します。つまり、アメリカ側と日本側です。
色調を抑えた映像はまるで記録映画のよう…。安易なお涙ちょうだいものにはなっていません。むしろ、そうならないように作られていると感じました。だからこそ、より悲劇として伝わってくるんでしょう。

硫黄島での戦死者は…日本軍が2万人以上。アメリカ軍も7,000人近いそうです。太平洋の孤島で散った若い命を思うと、胸がつまります。戦争のむなしさが伝わってきます。

しかし、それとは別に、「映画」として観ると…この2部作はおもしろかった。
いえ、お断りしておきたいのですが、「おもしろかった」という表現は映画への賛辞です。この表現は戦没者に対して、あるいは遺族に対して非礼かもしれませんが、ここではあくまでも…映画として観てということです。

おそらく、これまでの戦争映画はどちらか一方の側に立ってつくられていました。わしがおもいろいと思ったのは…2部作という双方の視点で描くその構成法です。

たとえば、『父親たちの星条旗』でアメリカ軍が上陸すると敵(日本軍)の姿が見えない。「誰もいない。敵はどこだ!?」と叫ぶ。
これが『硫黄島からの手紙』だと、洞窟の中に忍者のように隠れて息をひそめた日本兵がアメリカ軍の上陸を注視している。「近づけろ。まだ攻撃するな!」と指示が飛ぶ。
どちらか一方を観ながら、もう一方の画面には見えない様子が見えてくるのです。つまり、『父親たちの星条旗』には指揮官の栗林忠道や若い日本兵士がいて、『硫黄島からの手紙』には星条旗を掲げる若いアメリカ兵がいるのです。いないけれども(画面には映っていないけれども)…いるのです!
このように、2部作によって立体的に構成されていくところが…映画としておもしろいと思ったのです。

『父親たちの星条旗』では…政府によってつくられた“英雄たち”の苦悩を描いています。そういう意味ではクリント・イーストウッドの過去の映画がそうであったように、これも“反・英雄”映画ですね。
構成としては手塚マンガ「火の鳥」の「復活編」のように、今と過去を行ったり来たりしながら進行していきます。

わしの心の半分(理屈的な思考)が、この変化球的な映画のつくりをおもしろいと感じました。編集など『硫黄島から〜』よりも監督の力も入っているようだし、こっちのほうが映画としてのデキは上ではないかと思いました。
ところが、同時にわしの心のもう半分(感覚的な思考)が、だんだんと登場人物たちの内面に入り込んでいく後半に対して盛り上がらないといいますか、誰が誰とかがわかりにくいといいますか、多少の物足りなさを感じていました。直球である『硫黄島から〜』のほうが伝わってくると…。

これはまったく、自己矛盾しています。しかし、二分割したわしの心はそんなふうに感じていたのです。
そして、この映画の場合、「2部作の両方を観てこそ初めて観たといえるのではないか」と自分で結論づけました。初めて戦争を双方の視点から描いたという表現方法こそが、この映画の最も重要ですばらしいところなのだと…。


クリント・イーストウッドは硫黄島の地に立ったとき…圧倒されたと語っていました。だから、多くの兵士が亡くなったその神聖な場所では…メインの戦争シーンの撮影ができなかったのでしょう。その地を汚すことになるから…。
渡辺謙もメインシーンの撮影の後に硫黄島に行って、もしも、最初に島に行っていたら…役として演じられなかったかもしれないと語っていましたね。

沖縄上陸計画を前にして、硫黄島を手中にすれば…そこをベースに東京を攻撃できる。硫黄島制覇にかかる日数は5日とアメリカ側は予定していたようです。それが1ヶ月以上の死闘となったのです。

今なお、1万ともいわれる日本兵の遺骨が洞窟内に埋まったままなのです。現在もですよ。
激戦の最中、洞窟の出入り口から火炎放射器を使って焼き殺したり、岩穴を爆破してふさいで生き埋めにしたためです。 兵士は…熱さと飢えの中で悶え苦しんで死んでいったのです。自分たちの行為が国を救うことになるのだと信じて…。
子どもの頃、これらのことは大昔のことだと思っていました。でも、そんなに昔でもないんですよね。そういう犠牲の上に、今のわしらの平和があるわけですよ。

戦争を“必要悪”だという人がいます。歴史的にも…人間は経験しないと気づかないものなのでしょう。
戦争は悲惨でむなしい。人が人を思いやる気持ちまでも無にしてしまう愚かな行為です。そのことをもっと伝える必要があるのではないでしょうか。

不幸は真理を教えるという。戦争の悲劇を決して忘れず、噛み締めたいものです。
言葉ではいえないことを…改めて映像で伝えてくれたクリント・イーストウッド監督に感謝します。

https://www.youtube.com/watch?v=u2KrDDm4res

長渕剛の「CLOSE YOUR EYES」を唄いながら…ピリオドとさせてください。


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