ぼくのエリが隣に越して来てもエ〜ガね
製薬会社の高血圧治療薬に対する大学の臨床研究…。その論文作成に、その製薬会社側が不正に関わっていた問題…。
論文にいいことを書いてもらえば薬は売れる。製薬だって商売だというのはわしだってわかる。しかし、こういうデータ操作が許されるはずはない。
血液…という以外には脈略もないはずなのに、この映画を思い出しました。
なぜ思い出したのか、今になって気づきました。以前…ある製薬会社の仕事をしたとき、そこの人に「この映画いいよ」と熱く語り伝えたことがあったのでした。
http://www.youtube.com/watch?v=iifcR6wf0Z4
何年か前、DVDでスウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』を観ました。
画面からピリピリと空気の冷たさが伝わってくる。最初に感じたのが、ブリューゲルの風景画のようだということでした。この映画、ホラーであって同時に…ピュアなラブストーリー。やりきれない孤独を生きるエリとオスカーの哀しい物語なのです。
所はストックホルム。少年のオスカーはいじめられっ子で友だちもいない。隣にエリというナゾの少女が引っ越して来たが…実はヴァンパイア(吸血鬼)だった。
映画紹介でもここまでは書かれているので、触れてもいいでしょう。でも、これから観るのでしたら…読むのはこれくらいにしておいたほうがいいかもしれません。
監督はトーマス・アルフレッドソンで、原作はヨン・アイヴィデ・インドクヴィストの「モールス」です(脚本も原作者)。
オスカーとエリは部屋の壁をツートンツートン叩いて語り合う。原題はそのモールス信号のことですが、ふたりの心の交流の間に“壁”があることが重要なのでしょう。
ヴァンパイアは招かれないと部屋(心の部屋?)に入ることができないものらしく、映画の原題はそこに由来しているようです。
この映画は崇高な純愛ものだといえる。わしはそう思います。
でも、ひねくれた観方をすれば、エリは自分の世話をする優秀なアトガマを求めていただけといえなくもない。エリは怖い存在です。そのあたりの解釈は自由でしょう。
そのあたりも含めて、エリを演じた子は少女であり少年のようでもあり、ときには老成しているようにも見えて…まさに見事なヴァンパイアでした。
もちろん、オスカーを演じた子の瑞々しい演技も光りますね。
実はこの映画にはボカシがありました。『ぼくのエリ 200歳の少女』というタイトルですが、このサブタイトル部分はあえてでしょうが…正しくないのかもしれません。 というか、原作を読んだ人の情報によると…やはりそうなんですね。
セクシュアリティに関してですが、そこが重要なのかもしれない。でも、これ以上は触れないでおきましょう。
エリにとって生きることは殺すこと。そんな定めの中を生きてきたのです。オスカーはそれを知り、理解しようとする。エリを理解するのは弱いオスカーだけ…。それもまた…哀しい。
もしも、わしがオスカーならどうしただろうとマジで考えてしまいました。
この映画はホラーであってスプラッターであって、同時に…ピュアでイノセントなラブストーリーです。切なさに胸が詰まりますね。
デ・パルマの『キャリー』に通じるでしょうし、コーエン兄弟の『ファーゴ』や萩尾望都の「ポーの一族」を思い出したりもしました。
あるいは、東野圭吾の「白夜行」にも通じるかもしれません。
この映画はハリウッドでリメイクされました。そのことも併せて書いておきましょう。
http://morse-movie.com/
http://www.cinematopics.com/cinema/news/output.php?news_seq=11936
リメイク版は新宿のシネマスクエアとうきゅうで観ました。監督はマット・リーヴスで、タイトルは『モールス』です。
オリジナル版の原題が「LET THE LIGHT ONE IN」で、リメイクのは「LET ME IN」。
「正しい者は入れてください」と「入ってもいい?」って感じでしょうか。
ヴァンパイアが家に入るとき家人に聞くセリフで、「いいよ」といわれないと入れないのだそうです。
ヴァンパイア少女の名前がアビーに変わっていました。オリジナル邦題が『ぼくのエリ』だったものの…今回のを同じように『ぼくのアビー』とするわけにもいかなかったんでしょう。原作小説のタイトルに合わせて『モールス』です。
リメイク版は予想していなかったところからスタートしました。
いいぞって思ったんですが、結局は…ほとんど同じでしたね。つまり、ボーイ・ミーツ・ガールの切ないお話にスプラッター&ホラーがかぶさる。最後まで同じです。ちょっとハデになってるだけ。まったく同じ。
オリジナルでは気にもならなかったのに、リメイクでは「刑事がひとりで行動していいのかな」と思いました。やはり、同じようでも違うんですね。
オリジナルでは、クライマックスのあとにエリの表情がありました。でも、リメイクではそれを見せず、少年の希望に満ちた表情がある。
オリジナル以上に少年が強く出てるんですね。少年がいい。そういうところからしても、リメイクのほうが『ぼくのアビー』で、オリジナルが『モールス』というタイトルのほうが合うような気もしました。
観てない人は何のことかわからないでしょうが、プールでは少年の前をそれが横切る。隙間のスペースから考えて前は不自然と思っていたんですが、リメイクでは後ろに変えてましたね。
同じでありながら、そんなふうに細々とは変えてありました。そういう比較に一見の価値ありですね。
確かに、完全リメイクとしてよくできてました。 わかりやすいですしね。やはり、わかりやすさがアメリカ映画のよさでしょうね。
ただ、どうしたって…最初に観たほうに愛着がありますよ。クロエ・グレース・モレッツもわるくないけど、適役かというと…どうかなぁ。『キック・アス』のころに比べると大きくなりましたし、女の子過ぎる…かもしれない。
『キャリー』のリメイクにも出ていますが、この手の映画には…クロエはかわいすぎる気もします。
オリジナルを観て「わしがこの男の子ならどうしただろう。ヴァンパイヤといっしょに生きられるだろうか」とマジで考えましたが、リメイクはそこまでじゃない。「隣にかわいいけど怖いヤツが越してきた。どうしよう」くらい…かな。
わしはオリジナルのほうが好きですが、リメイクの『モールス』を先に観て、あとでオリジナルをDVDで観た人の意見を聞いてみたいものです。
いつか、『ぼくのエリ 200歳の少女』を映画館で観たいと思っています。
もう一度、エリに会って涙したいものです。
DVDラベル=ぼくのエリ
DVDラベル=モールス
論文にいいことを書いてもらえば薬は売れる。製薬だって商売だというのはわしだってわかる。しかし、こういうデータ操作が許されるはずはない。
血液…という以外には脈略もないはずなのに、この映画を思い出しました。
なぜ思い出したのか、今になって気づきました。以前…ある製薬会社の仕事をしたとき、そこの人に「この映画いいよ」と熱く語り伝えたことがあったのでした。
http://www.youtube.com/watch?v=iifcR6wf0Z4
何年か前、DVDでスウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』を観ました。
画面からピリピリと空気の冷たさが伝わってくる。最初に感じたのが、ブリューゲルの風景画のようだということでした。この映画、ホラーであって同時に…ピュアなラブストーリー。やりきれない孤独を生きるエリとオスカーの哀しい物語なのです。
所はストックホルム。少年のオスカーはいじめられっ子で友だちもいない。隣にエリというナゾの少女が引っ越して来たが…実はヴァンパイア(吸血鬼)だった。
映画紹介でもここまでは書かれているので、触れてもいいでしょう。でも、これから観るのでしたら…読むのはこれくらいにしておいたほうがいいかもしれません。
監督はトーマス・アルフレッドソンで、原作はヨン・アイヴィデ・インドクヴィストの「モールス」です(脚本も原作者)。
オスカーとエリは部屋の壁をツートンツートン叩いて語り合う。原題はそのモールス信号のことですが、ふたりの心の交流の間に“壁”があることが重要なのでしょう。
ヴァンパイアは招かれないと部屋(心の部屋?)に入ることができないものらしく、映画の原題はそこに由来しているようです。
この映画は崇高な純愛ものだといえる。わしはそう思います。
でも、ひねくれた観方をすれば、エリは自分の世話をする優秀なアトガマを求めていただけといえなくもない。エリは怖い存在です。そのあたりの解釈は自由でしょう。
そのあたりも含めて、エリを演じた子は少女であり少年のようでもあり、ときには老成しているようにも見えて…まさに見事なヴァンパイアでした。
もちろん、オスカーを演じた子の瑞々しい演技も光りますね。
実はこの映画にはボカシがありました。『ぼくのエリ 200歳の少女』というタイトルですが、このサブタイトル部分はあえてでしょうが…正しくないのかもしれません。 というか、原作を読んだ人の情報によると…やはりそうなんですね。
セクシュアリティに関してですが、そこが重要なのかもしれない。でも、これ以上は触れないでおきましょう。
エリにとって生きることは殺すこと。そんな定めの中を生きてきたのです。オスカーはそれを知り、理解しようとする。エリを理解するのは弱いオスカーだけ…。それもまた…哀しい。
もしも、わしがオスカーならどうしただろうとマジで考えてしまいました。
この映画はホラーであってスプラッターであって、同時に…ピュアでイノセントなラブストーリーです。切なさに胸が詰まりますね。
デ・パルマの『キャリー』に通じるでしょうし、コーエン兄弟の『ファーゴ』や萩尾望都の「ポーの一族」を思い出したりもしました。
あるいは、東野圭吾の「白夜行」にも通じるかもしれません。
この映画はハリウッドでリメイクされました。そのことも併せて書いておきましょう。
http://morse-movie.com/
http://www.cinematopics.com/cinema/news/output.php?news_seq=11936
リメイク版は新宿のシネマスクエアとうきゅうで観ました。監督はマット・リーヴスで、タイトルは『モールス』です。
オリジナル版の原題が「LET THE LIGHT ONE IN」で、リメイクのは「LET ME IN」。
「正しい者は入れてください」と「入ってもいい?」って感じでしょうか。
ヴァンパイアが家に入るとき家人に聞くセリフで、「いいよ」といわれないと入れないのだそうです。
ヴァンパイア少女の名前がアビーに変わっていました。オリジナル邦題が『ぼくのエリ』だったものの…今回のを同じように『ぼくのアビー』とするわけにもいかなかったんでしょう。原作小説のタイトルに合わせて『モールス』です。
リメイク版は予想していなかったところからスタートしました。
いいぞって思ったんですが、結局は…ほとんど同じでしたね。つまり、ボーイ・ミーツ・ガールの切ないお話にスプラッター&ホラーがかぶさる。最後まで同じです。ちょっとハデになってるだけ。まったく同じ。
オリジナルでは気にもならなかったのに、リメイクでは「刑事がひとりで行動していいのかな」と思いました。やはり、同じようでも違うんですね。
オリジナルでは、クライマックスのあとにエリの表情がありました。でも、リメイクではそれを見せず、少年の希望に満ちた表情がある。
オリジナル以上に少年が強く出てるんですね。少年がいい。そういうところからしても、リメイクのほうが『ぼくのアビー』で、オリジナルが『モールス』というタイトルのほうが合うような気もしました。
観てない人は何のことかわからないでしょうが、プールでは少年の前をそれが横切る。隙間のスペースから考えて前は不自然と思っていたんですが、リメイクでは後ろに変えてましたね。
同じでありながら、そんなふうに細々とは変えてありました。そういう比較に一見の価値ありですね。
確かに、完全リメイクとしてよくできてました。 わかりやすいですしね。やはり、わかりやすさがアメリカ映画のよさでしょうね。
ただ、どうしたって…最初に観たほうに愛着がありますよ。クロエ・グレース・モレッツもわるくないけど、適役かというと…どうかなぁ。『キック・アス』のころに比べると大きくなりましたし、女の子過ぎる…かもしれない。
『キャリー』のリメイクにも出ていますが、この手の映画には…クロエはかわいすぎる気もします。
オリジナルを観て「わしがこの男の子ならどうしただろう。ヴァンパイヤといっしょに生きられるだろうか」とマジで考えましたが、リメイクはそこまでじゃない。「隣にかわいいけど怖いヤツが越してきた。どうしよう」くらい…かな。
わしはオリジナルのほうが好きですが、リメイクの『モールス』を先に観て、あとでオリジナルをDVDで観た人の意見を聞いてみたいものです。
いつか、『ぼくのエリ 200歳の少女』を映画館で観たいと思っています。
もう一度、エリに会って涙したいものです。
DVDラベル=ぼくのエリ
DVDラベル=モールス