中山道を歩く 12
2度目の夜間バス利用だ。
11/17の22:45、新宿バスタより京王バス発。車内はすいてる。翌18日、6:00名古屋着。
7:20に前回ラストの名鉄御嵩駅に到着。7:30中山道歩きのスタートだ。あまり寝れなかったので…少しつらい。
今回の目標は…濃尾平野を横断してどこまで行けるか。赤坂宿までかな。
コンビニでカップうどんを購入して、外で食事。ハナ爺はおにぎりとサンドウィッチを食べていた。
和泉式部の墓碑があったらしいが、見落としてる。願興寺も過ぎてしまった。
鬼を捕らえて首をはねたという「鬼の首塚」を過ぎ、「伏見宿本陣跡」脇を通る。
木曽川に出る。大きな川に「太田橋」だ。水は澄んでいるが魚の姿はない。大河といえば梓川が思い浮かぶが、木曽川も立派。昔はここを渡るのは大変だっただろうな。
14:30「太田宿」に到着。「祐泉寺」の向かいあたりに“昼カラオケ”の店があり、そこで昼食。
観光センターで[元禄荘]という宿を紹介してもらう。素泊まりだが、風呂だけあればいい。休みだったところに無理をいって泊めてもらうことにする。主人から郷土の本を見せてもらった。
宿に荷物を置いて、木曽川のほとりまで歩いて…水面を眺めながら人生を(?)語らう。「太田宿」は大きな宿場だったようだ。渡し場はどこだったろうと見たが、わからなかった。ゆったりと贅沢な時間が流れていた。
宿に戻って部屋の風呂に入ろうとしたら…湯が出ない。宿の風呂も同じだ。お婆さんがいたので聞いてみたら「風呂は壊れてます。すみませんね」とのこと。どういうこと? 「宿の人は?」と聞くと「私が宿の者です」とのことだった…。
あとで宿の風呂には入れたが、どういうことだったんだろう。ナゾだ。
宿の紹介で、[若]でいろいろ夕食とビールと地酒を呑んだ。歩数は30486歩なり。
翌朝7:00、[元禄荘]の人に会わずに「鵜沼宿」に向けて出発。8キロある。
木曽川沿いに歩きすぎたらしい。「うとう峠」を通らなかったのかもしれない。喫茶店でモーニング定食を食べて…道を指摘された。
「鵜沼宿」を観て歩く。昔のままの家屋が残っていたりした。
ここから「加納宿」に向かう。17キロもあるのだ。行きつけるか。[若]でもらった柿を食べながら歩く。ひたすら歩く。
何時だったか。昼食はどうしたのか。記憶があいまい…。
バイパスに入ってしまったらしく、時間ロス。16:00近くになっていた。ただただ歩く。
名鉄だと思うが茶所(ちゃじょ)駅そばを通ったときは16:30。「加納宿」直前だが、あきらめて近くの岐阜駅に向かう。自分たちの宿を確保してないのだ。駅で宿探し。見つからない。
“キムタク信長”で名前をはせた近代的な場所。しかし、宿はない。
こうしてる間にも18:00だ。仕方ない。もう、帰ろう。名古屋に出て、新幹線で帰る。
爺さんふたりヘトヘト。この日の歩数52209歩。散々な日だった(笑)。
次は…米原あたりまで行って、「関ケ原」を通って「加納宿」まで歩こうか。一泊で行けるだろう。
その次の…「大津宿」から米原あたりの宿場で中山道538キロの旅は終わるのだ。いやはや…物好き爺さんだね。
11/17の22:45、新宿バスタより京王バス発。車内はすいてる。翌18日、6:00名古屋着。
7:20に前回ラストの名鉄御嵩駅に到着。7:30中山道歩きのスタートだ。あまり寝れなかったので…少しつらい。
今回の目標は…濃尾平野を横断してどこまで行けるか。赤坂宿までかな。
コンビニでカップうどんを購入して、外で食事。ハナ爺はおにぎりとサンドウィッチを食べていた。
和泉式部の墓碑があったらしいが、見落としてる。願興寺も過ぎてしまった。
鬼を捕らえて首をはねたという「鬼の首塚」を過ぎ、「伏見宿本陣跡」脇を通る。
木曽川に出る。大きな川に「太田橋」だ。水は澄んでいるが魚の姿はない。大河といえば梓川が思い浮かぶが、木曽川も立派。昔はここを渡るのは大変だっただろうな。
14:30「太田宿」に到着。「祐泉寺」の向かいあたりに“昼カラオケ”の店があり、そこで昼食。
観光センターで[元禄荘]という宿を紹介してもらう。素泊まりだが、風呂だけあればいい。休みだったところに無理をいって泊めてもらうことにする。主人から郷土の本を見せてもらった。
宿に荷物を置いて、木曽川のほとりまで歩いて…水面を眺めながら人生を(?)語らう。「太田宿」は大きな宿場だったようだ。渡し場はどこだったろうと見たが、わからなかった。ゆったりと贅沢な時間が流れていた。
宿に戻って部屋の風呂に入ろうとしたら…湯が出ない。宿の風呂も同じだ。お婆さんがいたので聞いてみたら「風呂は壊れてます。すみませんね」とのこと。どういうこと? 「宿の人は?」と聞くと「私が宿の者です」とのことだった…。
あとで宿の風呂には入れたが、どういうことだったんだろう。ナゾだ。
宿の紹介で、[若]でいろいろ夕食とビールと地酒を呑んだ。歩数は30486歩なり。
翌朝7:00、[元禄荘]の人に会わずに「鵜沼宿」に向けて出発。8キロある。
木曽川沿いに歩きすぎたらしい。「うとう峠」を通らなかったのかもしれない。喫茶店でモーニング定食を食べて…道を指摘された。
「鵜沼宿」を観て歩く。昔のままの家屋が残っていたりした。
ここから「加納宿」に向かう。17キロもあるのだ。行きつけるか。[若]でもらった柿を食べながら歩く。ひたすら歩く。
何時だったか。昼食はどうしたのか。記憶があいまい…。
バイパスに入ってしまったらしく、時間ロス。16:00近くになっていた。ただただ歩く。
名鉄だと思うが茶所(ちゃじょ)駅そばを通ったときは16:30。「加納宿」直前だが、あきらめて近くの岐阜駅に向かう。自分たちの宿を確保してないのだ。駅で宿探し。見つからない。
“キムタク信長”で名前をはせた近代的な場所。しかし、宿はない。
こうしてる間にも18:00だ。仕方ない。もう、帰ろう。名古屋に出て、新幹線で帰る。
爺さんふたりヘトヘト。この日の歩数52209歩。散々な日だった(笑)。
次は…米原あたりまで行って、「関ケ原」を通って「加納宿」まで歩こうか。一泊で行けるだろう。
その次の…「大津宿」から米原あたりの宿場で中山道538キロの旅は終わるのだ。いやはや…物好き爺さんだね。