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テラビシアにかける橋を渡るもエ〜ガね

「埼玉発 おとなの小探検」というたのしいブログを見つけました。あちこちを探検して紹介している。こういうの…いいですね!
東京は広い。八王子市郊外の北浅川ってどこだろう。そこには住民による手作りの“流れ橋”があるそうな…。自転車1台が通れるくらいの小さな橋だという。
勝手につくった違法の橋なのですが、それもまたたのしそう。そして、わしはそれを知り『テラビシアにかける橋』を思い出したのです。

http://www.youtube.com/watch?v=953POiAysh8

ファンタジー映画におけるCGについて、わしは思うところがあるのです。
映画技術としてのCGはすばらしい。長生きはするもんだと思うほどです。でも、想像する部分をダイレクトに映像で見せることで、逆に想像を狭めていることにもなるんじゃないでしょうか。わしは常にそういう疑問を持っています。

その昔、『テラビシアにかける橋』を観ました。『テラビシア〜』は…厳密にはファンタジー映画ではありません。空想の絵を描くことが好きなイジメられっ子の少年=ジェスと、お話を考えることが好きな個性的な美少女の転校生=レスリー。このふたりが森の中に『ナルニア』のようなファンタジー王国=テラビシアを仮想し、空想世界の中でふたりは王と王女になる。そういうストーリーです。
でも、ファンタジーではなく、軸足はあくまでも現実にあります。現実の映画なのです。 子どもが主役の子どもの世界の映画ってことでいえば、『スタンド・バイ・ミー』とかの部類なのかもしれません。

『テラビシア〜』のふたりの子役がとてもいいですね。適役だと思います。主人公のジェス役を新人のジョシュ・ハッチャーソンが瑞々しく演じています。未見ですが、後に『ハンガー・ゲーム』にも出て俳優としてがんばっています。
そして、レスリー役を演じるのが『チャーリーとチョコレート工場』のわがまま娘や『リーピング』で奇跡のイナゴ少女だったアナソフィア・ロブです。快活なアナソフィアが何とも魅力的で、ユニークでキュートなファッションとともにとても気に入りました。彼女はこのあと、あまり映画に出てないみたいですけど…。
大人の俳優陣もよくて、子ども向け映画に終わっていないところがいいですね。監督はガボア・クスポです。

映画ではテラビシア王国に危険をもたらす怪物たちも登場し、それと戦ったりというハデな場面をCGで表現しています。『ロード・オブ・ザ・リング』のWETAデジタル社の担当です。CGがなければ、映画として地味になってしまったでしょう。でも、わしはここに疑問を持ってしまう。ふたりの子どもがまったく同じビジュアルをイメージするなどあり得ないからです。しかも、絵を描くジェスではなく、文章を書くレスリーが先にイメージしたりする…。そこに少し違和感を持ちました。
予告でもそのCG部分をアピールしているために、『ナルニア』タイプの冒険ファンタジー映画だと思った人も多かったのではないでしょうか。

原作の児童書ではそこをどう表現しているんだろう。それを確認するためにキャサリン・パターソン(岡本浜江/訳)の『テラビシアにかける橋』を読んでみました。


以下、映画と原作の内面に入ります。実はジェスとレスリーのこの物語は…実際にあったことがベースになっており、そのことにも詳しく触れてしまいます。
どうぞ、ご容赦ください。


やはり…原作では、まったくでもないんですが、そういうCGを必要とするほどのハデな場面はほとんどといっていいくらいありませんでした。ふたりの秘密のその場所=テラビシアで、文才のあるレスリーが王女のような詩的な言葉を語ったり、そういう振舞いをしたりっていうくらいなのです。ジェスも彼女に合わせようとするのですが、彼はそんな詩のような言葉など知らない。耳をすますと、レスリーがいうようにそこが別世界に思えてくる。ジェスはレスリーに憧れる。あくまでも、空想好きな変わった10歳の子同志の(映画では11歳の)ゴッコの世界なんですね。でも、そこにはふたりだけの世界がある。

テラビシアで、レスリーはジェスにいろいろなお話を聞かせるのですが、そのときにジェスは思う。以下に、その部分を原作から書き写してみましょう。

「レスリーの話を聞くのは、いつだってたのしい。いつか、もしできたら、レスリーにそういう話を本に書いてもらって、自分にさし絵をかかせてくれるように、たのんでみよう。」(岡本浜江/訳)

すごくわかる。絵が好きで純な少年。彼の少女を思う切なくもしあわせな気持ち…。この部分は映画ではほとんど触れられていないのですが、そういう話なのです。

思えばわしも子どものころ、山に入り、いろいろ空想して遊んでいました。弟とふたりで“ツッカケ探検隊”とかいってね。木の実を採ったり崖を登ってイワマツ取りとか、冒険でしたね。仮想の敵を思い描いたり、木の上に家をつくったりもしました。毎日のように絵を描いて、山で遊んでいたわしの少年時代と、ジェスの行動はほとんど同じです。
ただし、レスリーのような魅力的な少女はそばにいなかった(笑)。

歳をとると涙もろくなりますね。わしは映画を観て泣いて、原作本を読んでまた…泣いてしまいました。


もしも、真っ白い気持ちで映画(DVD)をご覧になりたい人は…以下を読まないほうがいいかもしれません。くれぐれも、ご注意くださいね。

ラストは悲しい話です。涙が出ます。だから嫌いだという人もいるでしょう。
でも、これでいい。実は…ジェスとレスリーにはモデルがいるんです。これは現実に起こった事故(実際は落雷だった)がベースになっています。そのことを書いたんです。
この本を書いたのはジェスのモデルとなった少年のお母さん=キャサリン・パターソンです。『テラビシアにかける橋』は、レスリー(のモデルの少女)が亡くなったことを悲しむ息子を勇気づけようと母親が書いた本だったのです。そのことを知れば、活劇ファンタジーではなかったことに失望した人も、こういうラストでなければならなかったことに理解を示してくれるでしょう。

ジェスのモデルとなった実際の少年はデビッド・パターソンといいます。母親のキャサリンが本の最初に「デビッド・パターソンに捧ぐ」と書いたら、デビッド少年が「ガールフレンドの彼女(レスリーのモデルとなった少女)の名も入れてほしい」と懇願したそうです。ですから、本の冒頭には「デビッド・パターソンとリーサ・ヒルへ」とあります。
泣ける話でしょ?  わしはもう、それだけで泣けてしまう。

そして、さらにさらに驚くべきことに、この映画『テラビシアにかける橋』の脚本は…大人になったデビッド・パターソンが書いているのですよ! これこそ、感動的な話だと思いませんか!?

お母さんのキャサリン・パターソンは『テラビシアにかける橋』の最後あたりでジェスにこういわせています。

「いまこそ、このぼくが、うごきだすときなのだ。レスリーがいないから、ふたり分やらなくてはならない。レスリーがおいていってくれた想像力と体力で、この世界を美しくいたわりのあるものにできるかどうかは、このぼくにかかっている。」(岡本浜江/訳)

苦しみと絶望の谷は、いつか希望の門に変わる。そこに橋があるならば(ヘブライの予言者ホセアの言葉より)。

いいですね、いいですね。心が熱くなってきますよ。
少年の少女を思う気持ち。母親の息子(少年)を思う気持ち。大人になった少年の…思い出の中の少女を思う気持ち。悠久の時の流れ…。
本や映画ができたいきさつそのものが感動的です。この作品は…そういうことを知った上で観るといいのかもしれませんね。知って観れば、味わいもまた違うでしょう。


この映画にCGは必要だったんだろうか。わしは考えました。
本は本として完成であり、何も必要ない。文章で表現されていれば、読者はそれを理解し空想できる。想像力さえあれば、もう…無限大ですよね。
映画にするには…やはり、空想場面を絵として表現するためにCGが必要だったのでしょう。『テラビシアにかける橋』では味付け的にCGを使っているわけですが、それがこの映画の見事なところであり、そこが映画としての限界でもあるのかもしれません。

http://www.youtube.com/watch?v=Gh7xJ-q8iTw
http://www.youtube.com/watch?v=HmuCpWbn1pM
http://www.youtube.com/watch?v=l7GsjNzrw2Q

というわけで、映画探求が大好きなネコ爺でした。

DVDラベル=テラビシアにかける橋

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