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三島由紀夫vs東大全共闘を語るもエ~ガね

この記録映画のことを書こうか…観てからずっと迷っていた。『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』という。でも、書くしかあるまい。
三島由紀夫が全共闘から呼ばれて、東大駒場キャンパスで…その伝説の討論会が行われたのは1969年5月13日だった。三島自決の1年前だ。

撮ったのは…いや、もともとTBSに保管されていたフィルムを映画としてまとめたのは、豊島圭介という人。東大出身の若い監督だ。あのときの討論会に関わった人にマイクを向けて、現代に問うドキュメンタリーにしている。
映画のナビゲーター役は…観ている間はすっかり忘れていたが、東出昌大。例の不倫コメントはこの映画の完成試写の後だった。いや…ま、それはどーでもいいか。

とにかく、『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』は…熱く貴重な映画だった。
安田講堂は陥落し、学生運動終盤の時期だった。あの頃は今のように「別にぃ」なんていわず、言葉が力を持っていた。熱く皆が論じ合ったものだ。「キミはこれこれに対して何も思わないのか」とかね。言葉を信じていたというか、激論の時代だったなと思う。

映画を観る限り、信念をぶつけ合うものの…その討論会は決して険悪なものではなかった。むしろ、ユーモアがあり、清々しくも感じた。革命とは何か。全共闘の“空間”に意味を見出そうとするのに対して、三島は“時間”を主張していたように思うが…。
それにしても、赤ちゃんを連れて討論に参加していた芥正彦という人は異彩を放つ。タバコの煙の中で赤ちゃんは大丈夫かと心配になったが、どんな大人になっているだろう。

気づいたのだが、もしかすると三島が“天皇”というとき、特定の人を指すのではなく、時代意識というか日本人の心底にある国民意識のようなものを意味するのではないか。日本人らしくあってほしい。それが憂いの根源かもしれない。そんなふうに思ったりもした。

病弱だった三島は精神力によって肉体改造をした。でも、肉体をつくりあげたとき、逆に肉体が彼の精神をひっぱるということはなかっただろうか。

三島はその1年後を予言させるようなことを討論でいってたんだよね。ちょっと驚いた。そのときから、自らの死の演出を考えていたのかな。
実は…わしはなぜか、自決の直前に出版社に収めたという「豊穣の海」の原稿コピーを入手した。まったく修正のない小説原稿で、その綺麗さに驚き…そこに覚悟を感じたものだった。

あまり知られていないが、“豊穣の海”とはアポロ11号が着陸した月の地名、“豊かの海”のことなんだよね。
そう、水のない砂漠のような海…。心…。水で満たしたかったのかな。それが三島由紀夫の心象風景だったのかもしれない。

三島は太宰治の生き様を嫌っていた。それは『人間失格 太宰治と3人の女たち』の中でも語られていた。三島の死は太宰に比べて崇高だったのだろうか。

結局、『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を観たからといって何かがわかるというものでもない。ただ…重く熱い時代だったなと思う。


https://youtu.be/qaeeMOYWwAQ
https://youtu.be/f6jh6xeqDnA




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