中山道を歩く 5
新町宿→倉賀野宿→高崎宿
38000歩歩いて、中山道から戻ってきた。次は3月、と思っていたが新春歩きにしたのだ。
1/5の朝6:48新宿発の湘南新宿ラインに乗って、前回到着の新町宿…高崎線の新町駅で下車。先に到着していたハナ爺と合流して、8:40に歩きをスタート。気分爽快。
新町宿から次の倉賀野宿まではほぼ6キロ。快晴で気温4度くらい。少し寒いが、歩いているとちょうどいい。何より、汗をかかないのがいい。
石造物のある伊勢島神社に参り、豪農(庄屋?)の川端家の前を通る。
上尾三山と呼ばれる…赤城山、榛名山、妙義山だけでなく、白根山や浅間山など、遠くの山稜が美しかった。スマホの「山ナビ」で山の名前や標高を確認。烏川にかかる柳瀬橋あたりからの眺望は特に見事だった。
油断すると方向がわからなくなる。コンパスが頼りだ。小さな弁財天があり、芭蕉の句が石に刻まれていた。
もともとクラガノという言葉の響きが好きだったが、行く前は田畑いっぱいの場所かと思っていた。イメージとは違って、古い家屋で美容院とか、ユニークな店も多くオシャレで、町が笑顔だ。すっかり倉賀野が気に入った。
須賀脇本陣の建物も立派だ。でも、岩鼻代官所跡と追分の常夜灯は見逃したみたいだ。
県や市が中山道保護に力を入れていることを本陣跡などの石碑に感じた。昔の呉服屋だかを利用した…市が管理する休憩所(倉賀野古商家おもてなし館)があり、そこで話を聞かせてもらった。中山道を歩く人が日に何人か来るという。物好きはわしらだけじゃないんだなぁ。いつかそういう人とも出会えるだろう。たのしみだ。
烏川から荷物を降ろしていたという場所にも行ってみた。ちゃんと河岸跡の石碑があった。浅間山噴火の降灰によって川底が浅くなり、輸送をやめたと書いてあった。どんだけ灰が降ったんだぁ。
浅間山古墳という前方後円墳があり、登ってみた。すばらしい展望…かと思ったら、木立だらけ。でも、ロマンをかきたてられる。好きだぁ。
そういえば、倉賀野神社でおみくじをひいたら、“中吉”だった。ほどほどないい年になるということだろうか(笑)。
6キロ歩いて、次の高崎宿。高崎は大きな町だが昔の宿場としてはどうだったんだろう。
高崎宿本陣跡とかは見つけられなかったものの、高崎駅案内所で立派な「中山道上州七宿めぐり散策図」小冊子をもらった。ありがたい。さすがは故・中曽根元首相のふるさとだ。
群馬県は群馬銀行がトップで、東京にあるような大きな銀行がないと聞いてた。ほんとだ…。
高崎城などを観てまわった。高崎神社の前を通った。長松寺にも行った。3代将軍家光の弟の忠長が自刃した場所。墓もここかと思っていたが、別の大信寺だったようだ。行きそびれた。
今日は中山道歩きとしてはわずか12キロだったが、いろいろ観てまわったので万歩計では38000歩になっていた。
ひたすら歩けば、次の板鼻宿までは行けただろう。でも、ただ歩くだけじゃつまらない。歴史に触れたい。だけど、今回みたいに観てまわると…なかなか進まない。
帰りは高崎から電車。前回と同じく、赤羽で途中下車。時間にゆとりがあったので、いつもより念入りに…ビールで乾杯。
これで538キロのうち、110キロくらいは歩いた。
あ、ザックに付ける旗を忘れてた(笑)。
真冬、真夏は歩けない。ふたりの爺さんの仕事がない日にしか行けない。となると…行ける日は限られてくる。今のように、少し歩いてその日に電車で戻る…では何年かかるかわからない。2泊とか3泊も考えたい。バスも使えそうだな。
次は3月の予定だが…これから先、中山道は群馬から長野の山に入る。そこに行くまでもなく、次の板鼻宿から安中宿は難所らしい。3月でも積雪で通れないかもしれない。
行くも帰るも大変になるだろう。でも、その分、たのしみではあるけどね。
38000歩歩いて、中山道から戻ってきた。次は3月、と思っていたが新春歩きにしたのだ。
1/5の朝6:48新宿発の湘南新宿ラインに乗って、前回到着の新町宿…高崎線の新町駅で下車。先に到着していたハナ爺と合流して、8:40に歩きをスタート。気分爽快。
新町宿から次の倉賀野宿まではほぼ6キロ。快晴で気温4度くらい。少し寒いが、歩いているとちょうどいい。何より、汗をかかないのがいい。
石造物のある伊勢島神社に参り、豪農(庄屋?)の川端家の前を通る。
上尾三山と呼ばれる…赤城山、榛名山、妙義山だけでなく、白根山や浅間山など、遠くの山稜が美しかった。スマホの「山ナビ」で山の名前や標高を確認。烏川にかかる柳瀬橋あたりからの眺望は特に見事だった。
油断すると方向がわからなくなる。コンパスが頼りだ。小さな弁財天があり、芭蕉の句が石に刻まれていた。
もともとクラガノという言葉の響きが好きだったが、行く前は田畑いっぱいの場所かと思っていた。イメージとは違って、古い家屋で美容院とか、ユニークな店も多くオシャレで、町が笑顔だ。すっかり倉賀野が気に入った。
須賀脇本陣の建物も立派だ。でも、岩鼻代官所跡と追分の常夜灯は見逃したみたいだ。
県や市が中山道保護に力を入れていることを本陣跡などの石碑に感じた。昔の呉服屋だかを利用した…市が管理する休憩所(倉賀野古商家おもてなし館)があり、そこで話を聞かせてもらった。中山道を歩く人が日に何人か来るという。物好きはわしらだけじゃないんだなぁ。いつかそういう人とも出会えるだろう。たのしみだ。
烏川から荷物を降ろしていたという場所にも行ってみた。ちゃんと河岸跡の石碑があった。浅間山噴火の降灰によって川底が浅くなり、輸送をやめたと書いてあった。どんだけ灰が降ったんだぁ。
浅間山古墳という前方後円墳があり、登ってみた。すばらしい展望…かと思ったら、木立だらけ。でも、ロマンをかきたてられる。好きだぁ。
そういえば、倉賀野神社でおみくじをひいたら、“中吉”だった。ほどほどないい年になるということだろうか(笑)。
6キロ歩いて、次の高崎宿。高崎は大きな町だが昔の宿場としてはどうだったんだろう。
高崎宿本陣跡とかは見つけられなかったものの、高崎駅案内所で立派な「中山道上州七宿めぐり散策図」小冊子をもらった。ありがたい。さすがは故・中曽根元首相のふるさとだ。
群馬県は群馬銀行がトップで、東京にあるような大きな銀行がないと聞いてた。ほんとだ…。
高崎城などを観てまわった。高崎神社の前を通った。長松寺にも行った。3代将軍家光の弟の忠長が自刃した場所。墓もここかと思っていたが、別の大信寺だったようだ。行きそびれた。
今日は中山道歩きとしてはわずか12キロだったが、いろいろ観てまわったので万歩計では38000歩になっていた。
ひたすら歩けば、次の板鼻宿までは行けただろう。でも、ただ歩くだけじゃつまらない。歴史に触れたい。だけど、今回みたいに観てまわると…なかなか進まない。
帰りは高崎から電車。前回と同じく、赤羽で途中下車。時間にゆとりがあったので、いつもより念入りに…ビールで乾杯。
これで538キロのうち、110キロくらいは歩いた。
あ、ザックに付ける旗を忘れてた(笑)。
真冬、真夏は歩けない。ふたりの爺さんの仕事がない日にしか行けない。となると…行ける日は限られてくる。今のように、少し歩いてその日に電車で戻る…では何年かかるかわからない。2泊とか3泊も考えたい。バスも使えそうだな。
次は3月の予定だが…これから先、中山道は群馬から長野の山に入る。そこに行くまでもなく、次の板鼻宿から安中宿は難所らしい。3月でも積雪で通れないかもしれない。
行くも帰るも大変になるだろう。でも、その分、たのしみではあるけどね。