忘れじの面影に浸るもエ~ガね
奈良の古い建造物を観て、「昔なのに、よくこんなものを作れたな」という人がいた。昔のほうが技術が劣っていたはずと考えるのは現代人の傲慢。昔だからこそ作れたのだ、と思う。
大河の始まりが清く美しいように、1930年代40年代50年代…つまり、映画の創成期もすばらしい。作品数に限りがあるだろうから、DVDになっていればすべて観ることができるかもしれない。わしの映画の源流めぐりの旅はつづくのだ。
DVDで『忘れじの面影』を観た。1948年のアメリカ映画で、監督はマックス・オフュルス。
今はカタカナ表記のタイトルばかりだけど、昔はこういう美しい日本語のがあったなぁ。
人には誕生日がふたつあるという。生まれた日と、もうひとつは運命に出会った日だという。
自由奔放に生きたピアニストのステファン。彼にあこがれ、生涯かけて想いつづける女性。今ならストーカーといわれてしまうかもしれないが、そんなひたむきなリザをジョーン・フォンテインが演じている。
『忘れじの面影』は回想という形で綴られる。
プレイボーイのピアニストは彼女を覚えてもいない。しかし、最後に一途な想いを知り…打ちのめされるのだ。
昔の映画はシンプルで、今の映画ほど情報は多くない。でも、その分…想いは深いかもしれない。
これも源流のピースのひとつだろう。
映画の舞台はウイーン。ふたりで雪の公園を歩く印象的な場面があった。
ふと、「カルチェラタンの雪」という歌を思い出した(カルチェラタンはパリだが)。昔、布施明が唄っていた。
YouTubeで調べたら、川上大輔と林部智史が唄うバージョンのこの歌もあった。よし、今度カラオケで唄ってみよう。
わしは喘息があるので、呼吸器官を鍛える意味でもカラオケをやってる。そのおかげか発作は起きなくなった。
それはいいが、年明け打ち合わせの仕事をちっともやっていない。
さぁ、今年もがんばらなくちゃね。
大河の始まりが清く美しいように、1930年代40年代50年代…つまり、映画の創成期もすばらしい。作品数に限りがあるだろうから、DVDになっていればすべて観ることができるかもしれない。わしの映画の源流めぐりの旅はつづくのだ。
DVDで『忘れじの面影』を観た。1948年のアメリカ映画で、監督はマックス・オフュルス。
今はカタカナ表記のタイトルばかりだけど、昔はこういう美しい日本語のがあったなぁ。
人には誕生日がふたつあるという。生まれた日と、もうひとつは運命に出会った日だという。
自由奔放に生きたピアニストのステファン。彼にあこがれ、生涯かけて想いつづける女性。今ならストーカーといわれてしまうかもしれないが、そんなひたむきなリザをジョーン・フォンテインが演じている。
『忘れじの面影』は回想という形で綴られる。
プレイボーイのピアニストは彼女を覚えてもいない。しかし、最後に一途な想いを知り…打ちのめされるのだ。
昔の映画はシンプルで、今の映画ほど情報は多くない。でも、その分…想いは深いかもしれない。
これも源流のピースのひとつだろう。
映画の舞台はウイーン。ふたりで雪の公園を歩く印象的な場面があった。
ふと、「カルチェラタンの雪」という歌を思い出した(カルチェラタンはパリだが)。昔、布施明が唄っていた。
YouTubeで調べたら、川上大輔と林部智史が唄うバージョンのこの歌もあった。よし、今度カラオケで唄ってみよう。
わしは喘息があるので、呼吸器官を鍛える意味でもカラオケをやってる。そのおかげか発作は起きなくなった。
それはいいが、年明け打ち合わせの仕事をちっともやっていない。
さぁ、今年もがんばらなくちゃね。