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中山道を歩く 4

深谷宿→本庄宿→新町宿

中山道歩きの4回目を記録しておこう。

これまで歩いて感じたこと、それはオオゲサにいえば、文明の上に文明が積み重なっていくんだなぁということ。原野に小さな道がつくられ、それが広がり、その上にアスファルト道ができて、さらにその上にまた新しい道路ができて…ビルができて…。
もし、地層の断面のように観ることができれば、そこには文明の層ができてるんじゃないかな。

 ♪埋もれざるをえず 埋もれたものたち~
                              中島みゆき「離郷の歌」より

残滓という言葉がある。ざんさい、あるいはざんしと読む。取り去られた後に残るものという意味らしい。ネコ・バナ道中で出会うのは…その残滓かもしれない。

前回到達の深谷宿の深谷駅。渋沢栄一らが設立したレンガ工場のレンガでつくられた駅舎で、東京駅みたいに立派だ。実際、東京駅のレンガもここでつくられたらしい。

12/21の曇天の空の下、朝8:20、ヤジキタならぬネコ爺・ハナ爺が深谷で合流。8:30、進路を西に、旧中山道を高崎宿方面を目指して歩きスタート。
駅前の“ネギ小僧”がかわいい。深谷宿常夜塔はあったが、宝殊寺は通り越してしまった。

10キロちょっとで本庄宿。中山道最大規模の宿場だったとのことで、何が残っているかと期待。
華やかな本庄駅付近で昼食と思っていたが…驚いた。シャッター商店街というのはよく聞くが、駅前全体がそんな感じ。どこの店も閉まっていて、食事する店もない。
本庄は蔵の町だが、わしには暗い町という印象が残った。川越とはずいぶん違う。蔵を利用して活性化させるとか…ギャルを呼ぶとか、何か方法はないのだろうか。

安養院は見逃したが、金讃神社に寄ることはできた。
やっと一軒、食事できる店を見つけて昼食。客はわしらだけだった。店の人が「今はどこもこんな感じです」といってた。サビシ~ッ!

8キロ先の新町宿を目指して…西に向かう。神流川橋を渡ればそこは群馬県だ。
泪橋の由来を書いた石碑はどこにあるかわからなかったが、古戦場跡は観ることができた。神流川合戦と呼ばれ、織田信長の関東管領として、滝川一益と北条氏が戦い、両軍合わせて戦死者は4000人以上だったと石碑に書いてあった。“本能寺の変”の直後のことじゃないかな。

天気がよければ遠くに上尾三山が見えるはずだが…あいにくの天気。大きなトカゲのいる八坂神社とか諏訪神社を観て、今回は終了にする。
次の倉賀野宿まで行ってもよかったが、16:00になるともう暗い。ヘッドランプを用意していたが使うことはなかった。

今日は約20キロ歩いた。寄り道とかもあるが、それでも歩数計は4万歩を示していた。帰りは新町駅から電車。乗っていて…その遠さに「これを全部歩いたのか」と呆れてしまった。

日本橋から約100キロ歩いたことになる。残すは435キロというところだろうか。京都は遠い。
群馬県を通って、軽井沢宿からは長野県に入る。ほとんど山越えだ。
まあ、つづきは来年3月ということにしよう。
ネコ・バナ道中はつづくのだ。
生きていれば(笑)。

赤羽駅で途中下車して、ビールで乾杯。次を約束した。ハナ爺に感謝。
次回からは旗を付けて歩くことにする(笑)。
ハタ爺だジョォ~!

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深谷宿

友人に深谷出身のひとがいましてね。昭和30年代までは、往時を感じさせる宿場町の景観がかろうじて、残っていたそうです。市政の無策で、そんな風情はあとかたもなくなったと嘆いていました。

粛々と

そうですか。深谷宿もそうですが、本庄宿はさびしい限りでした。とても大きな宿場だったそうです。川が溢れるから旅人がながく逗留するせいもあったんでしょうね。
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