天気の子になるもエ~ガね
京アニの惨事…。何であんなことが起こるんだ。何であんなことができるんだ。誇大妄想か…。悲しい。くやしい。
そんな気持ちを抱えたまま、吉祥寺で新海誠監督の『天気の子』を観た。
驚いた。満席だった。いつ行っても何を観ても、吉祥寺は空席がいっぱいなのに…。公開初日の最後の回だったが、青年から中年くらいの年齢の客がいっぱいだった。期待の高さだろうな。
わしは内容を何も知らないで観たが、制作陣の凄まじいほどの情熱に圧倒された。ここで回り込むかとか、街並みにしても細部まで、とてもリアルに緻密につくっている。熱い思いが伝わってきた。あそこまで丁寧だと観る側も悪くはいえないだろう。
今年の梅雨はよく降る。東京は雨がつづいている。『天気の子』はある意味、雨が主役みたいなところがあって…すごい。雨粒のひとつまで生きていた。
いつまでも梅雨が明けない東京に…タイムリーというか、今の季節に合ってる。ま、合わせての公開だろうけど。
わしは天候に興味があるし、天気図を観ることも好きだ。だから、この映画が嫌いじゃない。
でも、『天気の子』は賛否両論になるかもしれないな。前作の『君の名は。』のほうが好きという人は出るだろうな。と、そんなことも思った。
どちらも不思議な話だが、『君の名は。』の舞台は長野の架空の小さな町だった。監督の郷里をイメージさせる…その土地の空気感や光の表現が好きだった。
それに対して、今作は東京。新宿がメインみたいだが…東京は広い。舞台が大きくなった分、お話も広く散漫になったということはないかな。2作は神道がベースにあり、一見似ているようだがかなり違う気がする。ファンタジーだが、今作は現実的だ。
『ほしのこえ』のときは新海監督がひとりでつくったので…キャラも何もかも監督の絵だった。監督が自分ひとりの“思い”を形にして発信したものだった。
今作は(前作も)各方面のプロフェッショナルが集結して、ひとつの大きな作品をつくっている。キャラクターデザインなども監督のイメージに合わせてつくられたものだろう。だからこそ多くの人が喜ぶものができるんだろうけど、わしにはキャラの判別が難しく、感情移入しにくいと感じたところもあった。周囲がリアルであればあるほどキャラが“絵”だと感じてしまうというか…。キャラがなぜそう考えそう行動するのかとか…。
恋愛的要素もあるわけだが、そこに男(主人公)の身勝手なものを感じたりもした。
誰かが救済と恋愛が同時進行していると指摘していた。そこに監督の恋愛観があるのかもしれない。興味深い。
監督は…前作より大作にしなくちゃと、ちょっと無理してない?と、思ったところもあった。あるいは、前作が成功したことで自由になり、あえてそのことへの挑戦でもあるのかな。
もちろん『天気の子』が嫌いじゃない。自然描写に気持ちを託す場面が好きだが、もしかすると、もともと新海監督は小さな作品のほうが似合うのかもしれない。『天気の子』が陽だまりのような小さな作品ならわしはもっと好きになったかもしれない。と、そんなことも思った。
わしの子ども時代の遊び場は神社だったし、父親が神道の人だったこともあり、映画の設定に親しみを持った。
近くに物部神社があり、親がサカキだかシビキで飾り付けをする様子を見ていたというだけだけど…。
近年、そういう研究をしている友人がその神社に行ったと知らせてくれて驚いたものだ。
廃屋となったわしの生家まで見つけたらしい。その友人とは遺跡めぐりをしたものだ。
映画に光の水たまりという表現があったが、東京での神社はそんなイメージだろう。
わし自身が忘れている遠い記憶の中に神社があるのかもしれない。
エネルギーあふれる…巫女がキーワードの神秘の世界。
ともかく、『天気の子』はエフェクト…つまり、雨と雲と光がすばらしい…!
そんなことを思いながら、どんよりとした空を見上げるネコ爺じゃ。梅雨明けまであと5日かのぅ。
https://youtu.be/VGksHFs04Rc
そんな気持ちを抱えたまま、吉祥寺で新海誠監督の『天気の子』を観た。
驚いた。満席だった。いつ行っても何を観ても、吉祥寺は空席がいっぱいなのに…。公開初日の最後の回だったが、青年から中年くらいの年齢の客がいっぱいだった。期待の高さだろうな。
わしは内容を何も知らないで観たが、制作陣の凄まじいほどの情熱に圧倒された。ここで回り込むかとか、街並みにしても細部まで、とてもリアルに緻密につくっている。熱い思いが伝わってきた。あそこまで丁寧だと観る側も悪くはいえないだろう。
今年の梅雨はよく降る。東京は雨がつづいている。『天気の子』はある意味、雨が主役みたいなところがあって…すごい。雨粒のひとつまで生きていた。
いつまでも梅雨が明けない東京に…タイムリーというか、今の季節に合ってる。ま、合わせての公開だろうけど。
わしは天候に興味があるし、天気図を観ることも好きだ。だから、この映画が嫌いじゃない。
でも、『天気の子』は賛否両論になるかもしれないな。前作の『君の名は。』のほうが好きという人は出るだろうな。と、そんなことも思った。
どちらも不思議な話だが、『君の名は。』の舞台は長野の架空の小さな町だった。監督の郷里をイメージさせる…その土地の空気感や光の表現が好きだった。
それに対して、今作は東京。新宿がメインみたいだが…東京は広い。舞台が大きくなった分、お話も広く散漫になったということはないかな。2作は神道がベースにあり、一見似ているようだがかなり違う気がする。ファンタジーだが、今作は現実的だ。
『ほしのこえ』のときは新海監督がひとりでつくったので…キャラも何もかも監督の絵だった。監督が自分ひとりの“思い”を形にして発信したものだった。
今作は(前作も)各方面のプロフェッショナルが集結して、ひとつの大きな作品をつくっている。キャラクターデザインなども監督のイメージに合わせてつくられたものだろう。だからこそ多くの人が喜ぶものができるんだろうけど、わしにはキャラの判別が難しく、感情移入しにくいと感じたところもあった。周囲がリアルであればあるほどキャラが“絵”だと感じてしまうというか…。キャラがなぜそう考えそう行動するのかとか…。
恋愛的要素もあるわけだが、そこに男(主人公)の身勝手なものを感じたりもした。
誰かが救済と恋愛が同時進行していると指摘していた。そこに監督の恋愛観があるのかもしれない。興味深い。
監督は…前作より大作にしなくちゃと、ちょっと無理してない?と、思ったところもあった。あるいは、前作が成功したことで自由になり、あえてそのことへの挑戦でもあるのかな。
もちろん『天気の子』が嫌いじゃない。自然描写に気持ちを託す場面が好きだが、もしかすると、もともと新海監督は小さな作品のほうが似合うのかもしれない。『天気の子』が陽だまりのような小さな作品ならわしはもっと好きになったかもしれない。と、そんなことも思った。
わしの子ども時代の遊び場は神社だったし、父親が神道の人だったこともあり、映画の設定に親しみを持った。
近くに物部神社があり、親がサカキだかシビキで飾り付けをする様子を見ていたというだけだけど…。
近年、そういう研究をしている友人がその神社に行ったと知らせてくれて驚いたものだ。
廃屋となったわしの生家まで見つけたらしい。その友人とは遺跡めぐりをしたものだ。
映画に光の水たまりという表現があったが、東京での神社はそんなイメージだろう。
わし自身が忘れている遠い記憶の中に神社があるのかもしれない。
エネルギーあふれる…巫女がキーワードの神秘の世界。
ともかく、『天気の子』はエフェクト…つまり、雨と雲と光がすばらしい…!
そんなことを思いながら、どんよりとした空を見上げるネコ爺じゃ。梅雨明けまであと5日かのぅ。
https://youtu.be/VGksHFs04Rc