続:ぼくの手塚治虫先生を偲ぶもエ~ガね
前述は平成元年に、そのときの気持ちをぶつけて書いたもので、以下は平成14年の1月に書いたものです。当時、マンガの専門学校の講師をしていて、その関連だったと記憶します。
手塚先生が亡くなって…13年、マンガを取り巻く環境も変わりました。そのひとつがパソコンの普及です。マンガ制作の多くがパソコンによってデータとして仕上げ、それを印刷会社に入稿するという形を取るようになりました。ですから今後は、アナログ(紙)による制作はむしろ特殊になり、(さびしいかぎりですが、紙の原画が存在しないのですから)マンガの原画展を開催することもできなくなるかもしれません。
多くのマンガ雑誌が生産されましたが、そのほとんどが消耗品として消えてしまいます。更なるバリエーションの時代とでもいうのか、内容的にはパロディであったり、コピーのコピーであったりと、その時点での商品的価値はあっても、次の時代や次の次の時代まで残るような作品的価値の高い作品は…逆に少ないように思います。
また、マンガがマンガだけでは自立できず、アニマやゲームとのメディアミックスによって成り立つようになった…というのもその後の特徴でしょう。しかし、これは逆に考えれば、今こそ、マンガやアニメやゲームにとらわれない…まったく新しい表現ができる可能性があるということではないでしょうか。
“オタク”の時代になった…とも感じます。しかし、考えてみれば、手塚先生だってビル・ゲイツだってスティーブ・ジョブスだってオタクなのです。世界を動かすオタク・パワー…。しかし、今の多くのオタクは手塚先生たちと違って、表現者としてあまり外側を向いていないのかもしれません。
ホンダが二足歩行のロボットを発表して話題になりました。これは「鉄腕アトムをつくろう」ということから研究がスタートしたのだそうです。日本がロボット産業の分野で世界をリードしているのは、手塚先生たちの影響も大きいということでしょう。
来年の2003年は(手塚先生のマンガの中で)『アトム』が誕生した年です。そんなこともあり、今後は再び手塚作品が脚光を浴びることでしょう。時代を超えて人々の心に残る作品こそ、ホンモノではないでしょうか。
本文中、「マンガ全集だけでも300巻」と書いていますが、それは平成元年当時のことで、手塚先生が亡くなってから発行された全集分を含めると400巻にはなるでしょう。これは個人の作品数としては破格の量の多さで、ギネスブックにも載っているそうです。
今後、手塚先生に匹敵するようなクリエイターが出現するのか…。もしかすると、パソコン(ソフト)を道具として使いこなす人たちの中から、そういう人が出てくるかもしれません。紙にとらわれず、Webでどう表現させるか…とかです。ただ、パソコンを使っている人の中には、操作はできるけれども想像的な創造ができない人も多く、その点では逆に危惧しています(パソコンは手描き制作の効率upのための道具であり、基本はあくまでもアナログ的な手作業だと思う)。
しかし、そういう人の中から表現の垣根を越えた、インタージャンルのまったく新しい発想のモノを創り出せる人が出てくるのでは…と、ひそかに期待もしています。
「なぜ、日本はこんなにもマンガ大国になったのか?」という外国人の質問に対して、「日本には手塚治虫という人がいたからだ」という応えはあまりにも有名です。そんな土壌の日本だからこそ、創作の新しい芽が生まれ(世界に向けて)大きく育ち、やがて開花するのではないか…と信じています。
と、昔にこう書いていたわけですが、パソコンを使ってひとりで『星の声』というアニメ映画をつくった新海誠監督など、そういう人かもしれません。手塚先生が生きていたら「そんな道具があるの?」とくやしがったかもしれませんね。
どういう根拠か知らないけど、“今”は7秒間だという。つまり、7秒過ぎれば過去になる…という。
時は流れ移り変わり…新しい時代がやってくるんですね。
平成元年は…ツイッターやインスタグラムはもちろん、スマホすらもなかった。
これから先、アナログとデジタルが仲よくできる時代だといいなぁ。
手塚先生が亡くなって…13年、マンガを取り巻く環境も変わりました。そのひとつがパソコンの普及です。マンガ制作の多くがパソコンによってデータとして仕上げ、それを印刷会社に入稿するという形を取るようになりました。ですから今後は、アナログ(紙)による制作はむしろ特殊になり、(さびしいかぎりですが、紙の原画が存在しないのですから)マンガの原画展を開催することもできなくなるかもしれません。
多くのマンガ雑誌が生産されましたが、そのほとんどが消耗品として消えてしまいます。更なるバリエーションの時代とでもいうのか、内容的にはパロディであったり、コピーのコピーであったりと、その時点での商品的価値はあっても、次の時代や次の次の時代まで残るような作品的価値の高い作品は…逆に少ないように思います。
また、マンガがマンガだけでは自立できず、アニマやゲームとのメディアミックスによって成り立つようになった…というのもその後の特徴でしょう。しかし、これは逆に考えれば、今こそ、マンガやアニメやゲームにとらわれない…まったく新しい表現ができる可能性があるということではないでしょうか。
“オタク”の時代になった…とも感じます。しかし、考えてみれば、手塚先生だってビル・ゲイツだってスティーブ・ジョブスだってオタクなのです。世界を動かすオタク・パワー…。しかし、今の多くのオタクは手塚先生たちと違って、表現者としてあまり外側を向いていないのかもしれません。
ホンダが二足歩行のロボットを発表して話題になりました。これは「鉄腕アトムをつくろう」ということから研究がスタートしたのだそうです。日本がロボット産業の分野で世界をリードしているのは、手塚先生たちの影響も大きいということでしょう。
来年の2003年は(手塚先生のマンガの中で)『アトム』が誕生した年です。そんなこともあり、今後は再び手塚作品が脚光を浴びることでしょう。時代を超えて人々の心に残る作品こそ、ホンモノではないでしょうか。
本文中、「マンガ全集だけでも300巻」と書いていますが、それは平成元年当時のことで、手塚先生が亡くなってから発行された全集分を含めると400巻にはなるでしょう。これは個人の作品数としては破格の量の多さで、ギネスブックにも載っているそうです。
今後、手塚先生に匹敵するようなクリエイターが出現するのか…。もしかすると、パソコン(ソフト)を道具として使いこなす人たちの中から、そういう人が出てくるかもしれません。紙にとらわれず、Webでどう表現させるか…とかです。ただ、パソコンを使っている人の中には、操作はできるけれども想像的な創造ができない人も多く、その点では逆に危惧しています(パソコンは手描き制作の効率upのための道具であり、基本はあくまでもアナログ的な手作業だと思う)。
しかし、そういう人の中から表現の垣根を越えた、インタージャンルのまったく新しい発想のモノを創り出せる人が出てくるのでは…と、ひそかに期待もしています。
「なぜ、日本はこんなにもマンガ大国になったのか?」という外国人の質問に対して、「日本には手塚治虫という人がいたからだ」という応えはあまりにも有名です。そんな土壌の日本だからこそ、創作の新しい芽が生まれ(世界に向けて)大きく育ち、やがて開花するのではないか…と信じています。
と、昔にこう書いていたわけですが、パソコンを使ってひとりで『星の声』というアニメ映画をつくった新海誠監督など、そういう人かもしれません。手塚先生が生きていたら「そんな道具があるの?」とくやしがったかもしれませんね。
どういう根拠か知らないけど、“今”は7秒間だという。つまり、7秒過ぎれば過去になる…という。
時は流れ移り変わり…新しい時代がやってくるんですね。
平成元年は…ツイッターやインスタグラムはもちろん、スマホすらもなかった。
これから先、アナログとデジタルが仲よくできる時代だといいなぁ。