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彷徨える河をさまようもエ~ガね

とてもおもしろかったのに…タイトルはもちろん、内容までも覚えていない。そんな映画がある。アメリカ映画に多い気がする。何かすごくおもしろかったんだけど…という印象だけが残る。わしの記憶力の問題でもあるけれど(笑)。

そういう意味ではこの映画は反対だ。特別おもしろかったわけではない。なのに、しっかりと記憶にある。まるで、自分の思い出ではないかと感じるほどに…深く心の底に残る。それが『彷徨える河』というモノクロ作品だった。

https://youtu.be/M8V8FWgAdvg

毎月3個の映画日記をノルマにしているが、今回はシーロ・ゲーラ監督によるコロンビア映画『彷徨える河』のことを書いておこう。


おそらく探検家の言葉なのだろう。「私はこの美しいジャングルで正気を失うのか…」みたいな記録文から始まっていた。
舞台は南米のアマゾン。時代はよくわからないが…かなり昔だろう。20世紀の初期か中頃かもしれない。

白人がゴムを求めて乱獲したことは知られる。侵略者に滅ぼされた先住民族の生き残りのコイワノ族のカラマカテ。ほとんど裸だ。彼の元に病のドイツ人民俗学者が小船で運ばれてくる。カラマカテは応急処置の煙を吸わせて、学者を救う。
しかし、ちゃんと治すためには聖なる植物“ヤクルナ”が必要だという。カラマカテが船頭になって、アマゾンを遡上する。“神々の仕事場”という言葉も出てきてたな。

ほとんど裸の老人が出てくる。最初、わしにはよくわからなかったが時が何十年か流れていて…老人はカラマカテの老いた姿だったのだ。ずっとひとりで暮らしていたんだろう。
そこにアメリカ人の植物学者が現れ、「この本に書かれている“ヤクルナ”は本当にあるのか」と聞く。民俗学者の記録がドイツから出版されていたのだ。しかし、老いたカラマカテにはすでに記憶がない。

失われた民族の記憶を求めて、植物学者とカラマカテ老人は再びアマゾンを遡上する。映画はふたつの時代を行ったりきたりしながら進むことになる。

そんな話だった。実際にその地に行ったふたりの冒険家の話がベースになっているようだ。

チュジャチャキという先住民の言葉があった。まがい物という意味だろうか。ジャングルに敬意をはらわない白人のつくった文化などチュジャチャキだということなのかもしれない。

悲しいかな。便利になると人は前には戻れない。技術が進歩して便利になっていく中で、わしらは何を得て…何を失ったのだろう。
交差点での救急車と自家用車の対応を見て、知り合いが「人は死んでもいいから、自分の車が信号ひとつ遅れるのは嫌なんだ」とつぶやいた。これも、得たもの失ったもの…なのかもしれない。

あれからカラマカテはどこに行ったのか。自然界の精霊になっていったのかな。ふと、アイヌ民族や上橋菜穂子の「精霊の守り人」を思い出したりもした。
映画のラストには「悠久の文化をつくった人々に捧ぐ」という言葉もあったな。



実は、わしはこの『彷徨える河』を映画館で観たいと思いながら観逃していた。どうして観たかったかといえば、愛してやまない『フィツカラルド』に通じるものを感じていたからなのだ。


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