ヒポクラテスたち&の・ようなものを語るもエ〜ガね 2
「ヒポクラテスたち&の・ようなものを語るもエ〜ガね」のつづきです。
長くなりましたので、後半を「2」として独立させます。
別の映画の話をしましょうか。
森田芳光監督の『の・ようなもの』は1981年公開の…落語家のタマゴ=真打ちになりたいと願う二ツ目を中心にした青春グラフィティです。コメディかな。このタイトルは3代目・三遊亭金馬の「居酒屋」にあるフレーズからのようです。
主演は伊藤克信で、兄貴分に尾藤イサオ、トルコ嬢役に秋吉久美子。女子高生役が誰だったかは…忘れました。ほかには有名棋士やチラッとマンガ家の永井豪ちゃんとかも出てましたね。
わしの記憶違いでなければ、『の・ようなもの』が自主映画を撮っていた森田監督の一般映画のデビュー第1作です。森田芳光は学生時代に落研に所属していた人ですから、落語家になりたいと思っていたのかもしれません。おそらく、彼の自伝的要素も入っているんでしょう。それだけに思い入れもタップリなのです。わしの大好きな…人間くさくて愛しい作品ですね。
NHKの朝ドラで上方を舞台にした「ちりとてちん」というのがありましたが、いうならばあの世界です。東京が舞台ですけどね。井の頭公園も出てました。
「真打ちになりたいね」「うん。なりたいね」とさみしげに語り合っていた落語家の弟子たちの姿が忘れられません。祭りのあとのようなさびしさと温かさがありました。このときの、デジタルな落語を話す二ツ目のことが妙に気になったものでした。下手なとこがわしみたいだなって(笑)。
わし、渋谷のカルチャー教室で落語を習っていたことがあるんです(笑)。人前で話したりすることも…基本的には好きですしね。プロの話し方にも興味を持っています。あ、どうでもいいですね。
落語といえば…立川談志師匠が高座で、車椅子のお客に向かって「その車椅子スペースを確保するために何人分の座席をはずしたと思ってるんだ」とか「車椅子のまま酒を呑んで、交番の前で暴れてみろ。そこで、“だいじょうぶですか? 家まで送りましょうか?”といわれたら、それを差別っていうんだ」といってました。それに対して「何て無礼な…!」とフンガイする女性客もいたようです。
談志師匠の主張は…車椅子だからといって健常者と同じに扱わないのは、そこに差別や偏見があるからだってことですね。健常者とまったく同じように接するからこそ差別していないといえるということなのでしょう。
わしはこのときの談志師匠の言動について、あとあとまで牛の反芻ように考えたものでした。
実は…立川談志師匠は大の手塚ファンで、手塚マンガ(特に「雨ふり小僧」)を読んで涙したという人です。ズケズケいうので敵をつくってしまうのですが、強いやさしさとでもいうんでしょうか…ほんとうのやさしさを持ち合わせた人ではないかと思っています。もう故人ですが…。
余談ですが、わしは手塚マンガと談志落語の接点というのがピンとこなかったんです。でも、談志師匠の落語を聴いて…手塚マンガに近いものを感じました。そのひとつが悲劇性です。手塚マンガはマンガの中に悲劇性を持ち込んだといわれますが、談志落語にもそれがあったんです。つまり、悲劇性を持つ落語ですね。
それに、手塚マンガでシリアスなストーリーから脱線してヒョウタンツギとかが出てくるように、談志落語も脱線して別の解説が始まったりするんです。「おめぇもブラック・ジャックに治してもらえ」とかって脱線するかと思えば、変幻自在に、まるでジャズのように元に戻ったりする。そこがおもしろかったですね。
そういうセンスは一門の立川志らくにも踏襲されているように感じます。
それにしても、落語の世界では現代では使っていないようなものがいろいろ出てくるわけです。人情のある吉原とか色街も登場する。それらを知らない…認識の違う今の若い人たちに落語として伝えるのは…さぞかし難しかったことでしょう。
それはともかく、森田芳光監督は『の・ようなもの』の次に『家族ゲーム』を発表したのですが、これもまたすばらしかった。
しかし、わしが好きなのはそこまでです。そのあとの作品もずっと追っかけて公開初日に観ていましたが、どれもこれも納得できませんでした。
『ときめきに死す』という沢田研二を主役にした作品もありました。マンガ家の白土三平を教祖役にしたのは意欲的でおもしろかったのですが、映画としては…。
それこそ、『それから』は文芸作品“の・ようなもの”でしたしね。リメイク版『椿三十郎』にいたっては文字通りクロサワの・ようなもの”でした。
という彼ももう、故人ですよねぇ。酒の呑み過ぎかと思ったら、彼は呑まない人だったんですよねぇ。
過去の作品の反映といってしまうとあまりにも失礼かもしれませんが、どんなに意欲作であっても…職人として無難にこなしているなという印象なのです。わしにはデビュー作の『の・ようなもの』と『家族ゲーム』以上ではないと感じましたね。
同じことは大森一樹監督にもいえます。あとあとの作品は『ヒポクラテスたち』以上ではないと思えたのです。
わしは昔の作品のようには好きになれないのです。夢中になれなかったのです。
ファンとしてわしが勝手に、前作以上をという過度の期待をしてしまったということなんでしょうけど、もしも…監督自身が自らの若いときの情熱を越えられないということなら、それはもう仕方のないことなのでしょうか。
「デビュー作にはその作家のすべてがあらわれる」といわれます。だとすれば…そこにすべて出てしまっていたわけで、それからあとの作品は最初の作品のバリエーションとかアレンジ、もしくは残ったものでの再構築ということになり、過去の作品の反映になってしまうというのも当然の結果なのでしょうか…。
大森一樹&森田芳光両監督以外にデビューから観てきた監督といえば、たとえば…スティーブン・スピルバーグがいます。
スピルバーグ監督の作品にしても商業的に大ヒットしたのはあとあとたくさんありますが、デビュー作のチープな『激突』にこそ彼のすべて(本質)があります。
あとあとの大ヒット作ではなく、『激突』がスピルバーグの最高傑作だと評価する人も多くいますよね。
しかし、そんなことをいったらデビュー作以上の作品はできないってことにもなってしまい、いくら何でも…それはゴーマンな話です。
作家によりけりでしょうか。そうかもしれません。きっとそうでしょう。
それとも、わしの感受性がサビてしまった結果であり、あとの作品がすばらしいのにそれに気づかない…爺さんのわし自身の感性こそが過去の反映なのでしょうか。それはあるでしょうね。
過去をバッサリ切り捨てることができれば、観るもの聞くものが新鮮でしょうねぇ(笑)。
2/9は虫先生の命日だったので、だからということでもないのですが…とりとめもなくウダウダと書いてしまいました。虫先生のお嬢さんの「あなたは私の家でした」という新聞の文章、今でも忘れません。
わしが思うことは、過去の作品の反映に陥ることなく、常に前向きのまま一生クリエーティブでいられたら…すごいことだなと思ったわけです。 観る側にしてもね。
いやはや、今回は映画日記にもなっていないかもしれません。そういうときもあります。ご容赦ください。
長くなりましたので、後半を「2」として独立させます。
別の映画の話をしましょうか。
森田芳光監督の『の・ようなもの』は1981年公開の…落語家のタマゴ=真打ちになりたいと願う二ツ目を中心にした青春グラフィティです。コメディかな。このタイトルは3代目・三遊亭金馬の「居酒屋」にあるフレーズからのようです。
主演は伊藤克信で、兄貴分に尾藤イサオ、トルコ嬢役に秋吉久美子。女子高生役が誰だったかは…忘れました。ほかには有名棋士やチラッとマンガ家の永井豪ちゃんとかも出てましたね。
わしの記憶違いでなければ、『の・ようなもの』が自主映画を撮っていた森田監督の一般映画のデビュー第1作です。森田芳光は学生時代に落研に所属していた人ですから、落語家になりたいと思っていたのかもしれません。おそらく、彼の自伝的要素も入っているんでしょう。それだけに思い入れもタップリなのです。わしの大好きな…人間くさくて愛しい作品ですね。
NHKの朝ドラで上方を舞台にした「ちりとてちん」というのがありましたが、いうならばあの世界です。東京が舞台ですけどね。井の頭公園も出てました。
「真打ちになりたいね」「うん。なりたいね」とさみしげに語り合っていた落語家の弟子たちの姿が忘れられません。祭りのあとのようなさびしさと温かさがありました。このときの、デジタルな落語を話す二ツ目のことが妙に気になったものでした。下手なとこがわしみたいだなって(笑)。
わし、渋谷のカルチャー教室で落語を習っていたことがあるんです(笑)。人前で話したりすることも…基本的には好きですしね。プロの話し方にも興味を持っています。あ、どうでもいいですね。
落語といえば…立川談志師匠が高座で、車椅子のお客に向かって「その車椅子スペースを確保するために何人分の座席をはずしたと思ってるんだ」とか「車椅子のまま酒を呑んで、交番の前で暴れてみろ。そこで、“だいじょうぶですか? 家まで送りましょうか?”といわれたら、それを差別っていうんだ」といってました。それに対して「何て無礼な…!」とフンガイする女性客もいたようです。
談志師匠の主張は…車椅子だからといって健常者と同じに扱わないのは、そこに差別や偏見があるからだってことですね。健常者とまったく同じように接するからこそ差別していないといえるということなのでしょう。
わしはこのときの談志師匠の言動について、あとあとまで牛の反芻ように考えたものでした。
実は…立川談志師匠は大の手塚ファンで、手塚マンガ(特に「雨ふり小僧」)を読んで涙したという人です。ズケズケいうので敵をつくってしまうのですが、強いやさしさとでもいうんでしょうか…ほんとうのやさしさを持ち合わせた人ではないかと思っています。もう故人ですが…。
余談ですが、わしは手塚マンガと談志落語の接点というのがピンとこなかったんです。でも、談志師匠の落語を聴いて…手塚マンガに近いものを感じました。そのひとつが悲劇性です。手塚マンガはマンガの中に悲劇性を持ち込んだといわれますが、談志落語にもそれがあったんです。つまり、悲劇性を持つ落語ですね。
それに、手塚マンガでシリアスなストーリーから脱線してヒョウタンツギとかが出てくるように、談志落語も脱線して別の解説が始まったりするんです。「おめぇもブラック・ジャックに治してもらえ」とかって脱線するかと思えば、変幻自在に、まるでジャズのように元に戻ったりする。そこがおもしろかったですね。
そういうセンスは一門の立川志らくにも踏襲されているように感じます。
それにしても、落語の世界では現代では使っていないようなものがいろいろ出てくるわけです。人情のある吉原とか色街も登場する。それらを知らない…認識の違う今の若い人たちに落語として伝えるのは…さぞかし難しかったことでしょう。
それはともかく、森田芳光監督は『の・ようなもの』の次に『家族ゲーム』を発表したのですが、これもまたすばらしかった。
しかし、わしが好きなのはそこまでです。そのあとの作品もずっと追っかけて公開初日に観ていましたが、どれもこれも納得できませんでした。
『ときめきに死す』という沢田研二を主役にした作品もありました。マンガ家の白土三平を教祖役にしたのは意欲的でおもしろかったのですが、映画としては…。
それこそ、『それから』は文芸作品“の・ようなもの”でしたしね。リメイク版『椿三十郎』にいたっては文字通りクロサワの・ようなもの”でした。
という彼ももう、故人ですよねぇ。酒の呑み過ぎかと思ったら、彼は呑まない人だったんですよねぇ。
過去の作品の反映といってしまうとあまりにも失礼かもしれませんが、どんなに意欲作であっても…職人として無難にこなしているなという印象なのです。わしにはデビュー作の『の・ようなもの』と『家族ゲーム』以上ではないと感じましたね。
同じことは大森一樹監督にもいえます。あとあとの作品は『ヒポクラテスたち』以上ではないと思えたのです。
わしは昔の作品のようには好きになれないのです。夢中になれなかったのです。
ファンとしてわしが勝手に、前作以上をという過度の期待をしてしまったということなんでしょうけど、もしも…監督自身が自らの若いときの情熱を越えられないということなら、それはもう仕方のないことなのでしょうか。
「デビュー作にはその作家のすべてがあらわれる」といわれます。だとすれば…そこにすべて出てしまっていたわけで、それからあとの作品は最初の作品のバリエーションとかアレンジ、もしくは残ったものでの再構築ということになり、過去の作品の反映になってしまうというのも当然の結果なのでしょうか…。
大森一樹&森田芳光両監督以外にデビューから観てきた監督といえば、たとえば…スティーブン・スピルバーグがいます。
スピルバーグ監督の作品にしても商業的に大ヒットしたのはあとあとたくさんありますが、デビュー作のチープな『激突』にこそ彼のすべて(本質)があります。
あとあとの大ヒット作ではなく、『激突』がスピルバーグの最高傑作だと評価する人も多くいますよね。
しかし、そんなことをいったらデビュー作以上の作品はできないってことにもなってしまい、いくら何でも…それはゴーマンな話です。
作家によりけりでしょうか。そうかもしれません。きっとそうでしょう。
それとも、わしの感受性がサビてしまった結果であり、あとの作品がすばらしいのにそれに気づかない…爺さんのわし自身の感性こそが過去の反映なのでしょうか。それはあるでしょうね。
過去をバッサリ切り捨てることができれば、観るもの聞くものが新鮮でしょうねぇ(笑)。
2/9は虫先生の命日だったので、だからということでもないのですが…とりとめもなくウダウダと書いてしまいました。虫先生のお嬢さんの「あなたは私の家でした」という新聞の文章、今でも忘れません。
わしが思うことは、過去の作品の反映に陥ることなく、常に前向きのまま一生クリエーティブでいられたら…すごいことだなと思ったわけです。 観る側にしてもね。
いやはや、今回は映画日記にもなっていないかもしれません。そういうときもあります。ご容赦ください。