ヒポクラテスたち&の・ようなものを語るもエ〜ガね 1
「どんな映画が好きなんですか?」といわれることがあります。わしは映画という表現が好きなんです。だから、表現している人も好きです。
「デビュー作にはその作家のすべてがあらわれる」といわれます。どうでしょうか。一概にはいえないかもしれませんが、やはり多くの場合にそれがあてはまるような気がしています。
今回はわしの好きな『ヒポクラテスたち』という古い邦画を題材にそんなことを探求してみたいのですが、話が大きく脱線するかもしれません。
ヒポクラテスとはギリシャの医術哲学者の名前で、映画『ヒポクラテスたち』は1980年公開の…医者のタマゴ=医大生の青春グラフィティです。
京都の医大生といえば、ザ・フォーク・クルセダーズの北山修を思い出しますが、この作品の監督の大森一樹も京都の医大生でした。おそらく、この映画は大森監督の自伝的なことに基づくものなのでしょう。『ヒポクラテスたち』では医学生たちのモラトリアムな日常と苦悩がリアルに描かれています。
主人公の医大生を古尾谷雅人が演じていて、ほかに斉藤洋介、内藤剛志、柄本明、阿藤海、(キャンディーズのメンバーだった)伊藤蘭などが出ていました。
医大の最終学年(6回生)の生徒はグループになっての臨床実習です。まだ、何科の医師を目指すかを決められない者もいます。医学生たちはエラい教授たちのところに相談に行くわけですが、どこに行ってもマンガ「ブラック・ジャック」の単行本が本棚にあったりする。思わず笑ってしまいました。
「ブラック・ジャック」といえば、この映画では手塚治虫先生が小児科の教授役として特別出演しています。(京都が舞台の話でありながら)虫先生のところだけは虫プロがあった東京は練馬区の病院で撮影されたそうです。実は虫先生は演劇経験がある人で、昔のテレビドラマの(オオカミ少年役で水谷豊が主役デビューした)「バンパイヤ」にも出ていました。『ヒポクラテスたち』でもなかなかの役者ぶりでしたよ。ベレー帽なしの貴重な映像だと思います。
当時、その必要もないのに複数の女性から子宮を摘出してしまうという産婦人科がらみのおぞましい事件がありました。記憶では…富士見病院とかいったはずです。『ヒポクラテスたち』にもそのことが取り入れられていましたね。主人公の彼女がその病院で子宮を摘出されてしまい、主人公が泣き崩れるというシーンがそれでした。映画の撮影時にその事件が起こって急遽それを加えたのか、そこが妙に取って付けたような印象でした。もしかすると、デリケートな問題だけに…深く表現できなかったのかもしれませんね。
大森一樹は『暗くなるまで待てない』とか8ミリでの自主映画を撮っていた人で、わしの記憶違いでなければ、この『ヒポクラテスたち』が一般映画のデビュー第1作だったと思う。それだけに、思い入れもタップリなのです。温かい血の通った…わしの大好きな作品ですね。
大森監督はこのあと、『ゴジラ』も含めていろいろな商業作品を撮っていくのですが、やはりわしはこの作品が一番好きです。忘れられません。
忘れられないといえば、後にこの映画の主役を演じた古尾谷雅人が自殺したことはショックでした。彼の死は…人の生死にも関係していた『ヒポクラテスたち』に出たことが少しは影響していたんでしょうか。テレビで「金田一少年の事件簿」の刑事役などでも出ていて…俳優としてもこれからだったんです。ショックでした。
ショックといえば、わしはパソコン上で出会った人とこじれたことがありましたな。
「人間なんてちっぽけなゴミなんだ」という言葉をわしが書いて、相手がそれに憤慨したというものでした。ですが、もしかするとその人は…それが手塚マンガの「火の鳥(鳳凰編)」の我王というキャラの“悟り”のセリフだということを知らなかったのかもしれません。
「立つんだ。ジョー!」といえば「あしたのジョー」だと誰でも知っているように、「人間なんて(宇宙の中で)ちっぽけなゴミなんだ」が、実は言葉とは反対に希望に満ちあふれた超ポジティブな意味だということを(わしらの世代なら)多くの人が知っています。それほど『火の鳥(鳳凰編)』はバイブル的なマンガですからね。
でも、世代が違うと(若い人だから)そういう認識がなかったんでしょう。こっちも、それを知らないはずがないと思い込んでしまっていた。 世代が違えば知らない(読んでいない)のは当然なのに、なぜか通じ合えると思い込んでしまっていたような気がします。
さらに加えるならば、大江健三郎が書いた「死が生の意味を解き明かす唯一のものであるならば、私はできるだけ早く死にたい」という言葉からの引用もあり、 わしとしては逆説的に書いたつもりだったのですが、まるで伝わっていなかったのでしょう。 わしは未熟でした。
爺さんになると、日々ありがたいと思うことが増えますね。それを実感します。「今日も元気でいられてありがとう」とか、人さまとのちょっとした関わりに対しても感謝する日々です。若いときにはあまりなかった感覚ですね。涙もろくもなりました。
若いころは、新宿とかを歩いていると「自分の街みたいな顔してエラそうに歩いてるな」とかいわれたもんでした。でも、爺さんになると、次の時代の若者の邪魔にならないように人生の端っこを歩こうとかって思います。いや、ホントに…。若者を育てたいっていうとそれこそエラそうなんですが、年寄りとして何か若者の役に立てればと考えますね。マジで…。
といいつつ…邪魔をしているだけかもしれません(笑)。
どんな言葉も、すべてを伝えられるものじゃない。
そういえば…時代意識の違いというのか、世代の違いによる認識の違いというのは専門学校で講師をしていたときに生徒から感じたものでした。意味が反対になったりするんですね。たとえば、「ヤバイ」って言葉の意味を否定とするか肯定とするかみたいなことです。 「ヤバくなくない?」とかってなると「ありえねぇ!」ですよ(笑)。
若者たちが「尊敬するゼ」っていい合ってるから尊敬してるのかと思うと、軽蔑の意味を込めて尊敬といってたりするような…。
わしは「ぜんぜんOK」みたいに「ぜんぜん」という言葉を肯定では使いません。打ち消しとして教わったからです。古いヤツですなぁ。でも、今では「ぜんぜんOK」は間違った日本語じゃないんですよね。
笑いと涙、狂気とやさしさが紙一重だったりもする。映画やマンガなどでも、シリアスだと思われていた作品が、次の時代ではコメディ扱いとかってこともあります。反対に、凄惨で目がつぶれそうな汚い映画が…純粋で美しい映画だったとか、人間の本質的な悲哀を描いた魂のカタルシスだった…ってこともあるかもしれません。
そういう微妙なニュアンスの差というのは…時代時代によって受け取り方が違うんだろうと思います。
言葉は生きてるし、合わせて感性も違ってくるんでしょう。難しいですね。でも、そこがまたおもしろく、わしとしては探求したくなるんですけどね。
ところで、通りすがりの方が表記ミスを指摘してくれました。ありがとうございます。
大森一樹監督のデビュー作は『オレンジロード急行(エクスプレス)』でした。
すんません。すんません。加筆してお詫びいたします。
「2」につづきます。長くなりましたので、後半を独立させます。
「デビュー作にはその作家のすべてがあらわれる」といわれます。どうでしょうか。一概にはいえないかもしれませんが、やはり多くの場合にそれがあてはまるような気がしています。
今回はわしの好きな『ヒポクラテスたち』という古い邦画を題材にそんなことを探求してみたいのですが、話が大きく脱線するかもしれません。
ヒポクラテスとはギリシャの医術哲学者の名前で、映画『ヒポクラテスたち』は1980年公開の…医者のタマゴ=医大生の青春グラフィティです。
京都の医大生といえば、ザ・フォーク・クルセダーズの北山修を思い出しますが、この作品の監督の大森一樹も京都の医大生でした。おそらく、この映画は大森監督の自伝的なことに基づくものなのでしょう。『ヒポクラテスたち』では医学生たちのモラトリアムな日常と苦悩がリアルに描かれています。
主人公の医大生を古尾谷雅人が演じていて、ほかに斉藤洋介、内藤剛志、柄本明、阿藤海、(キャンディーズのメンバーだった)伊藤蘭などが出ていました。
医大の最終学年(6回生)の生徒はグループになっての臨床実習です。まだ、何科の医師を目指すかを決められない者もいます。医学生たちはエラい教授たちのところに相談に行くわけですが、どこに行ってもマンガ「ブラック・ジャック」の単行本が本棚にあったりする。思わず笑ってしまいました。
「ブラック・ジャック」といえば、この映画では手塚治虫先生が小児科の教授役として特別出演しています。(京都が舞台の話でありながら)虫先生のところだけは虫プロがあった東京は練馬区の病院で撮影されたそうです。実は虫先生は演劇経験がある人で、昔のテレビドラマの(オオカミ少年役で水谷豊が主役デビューした)「バンパイヤ」にも出ていました。『ヒポクラテスたち』でもなかなかの役者ぶりでしたよ。ベレー帽なしの貴重な映像だと思います。
当時、その必要もないのに複数の女性から子宮を摘出してしまうという産婦人科がらみのおぞましい事件がありました。記憶では…富士見病院とかいったはずです。『ヒポクラテスたち』にもそのことが取り入れられていましたね。主人公の彼女がその病院で子宮を摘出されてしまい、主人公が泣き崩れるというシーンがそれでした。映画の撮影時にその事件が起こって急遽それを加えたのか、そこが妙に取って付けたような印象でした。もしかすると、デリケートな問題だけに…深く表現できなかったのかもしれませんね。
大森一樹は『暗くなるまで待てない』とか8ミリでの自主映画を撮っていた人で、わしの記憶違いでなければ、この『ヒポクラテスたち』が一般映画のデビュー第1作だったと思う。それだけに、思い入れもタップリなのです。温かい血の通った…わしの大好きな作品ですね。
大森監督はこのあと、『ゴジラ』も含めていろいろな商業作品を撮っていくのですが、やはりわしはこの作品が一番好きです。忘れられません。
忘れられないといえば、後にこの映画の主役を演じた古尾谷雅人が自殺したことはショックでした。彼の死は…人の生死にも関係していた『ヒポクラテスたち』に出たことが少しは影響していたんでしょうか。テレビで「金田一少年の事件簿」の刑事役などでも出ていて…俳優としてもこれからだったんです。ショックでした。
ショックといえば、わしはパソコン上で出会った人とこじれたことがありましたな。
「人間なんてちっぽけなゴミなんだ」という言葉をわしが書いて、相手がそれに憤慨したというものでした。ですが、もしかするとその人は…それが手塚マンガの「火の鳥(鳳凰編)」の我王というキャラの“悟り”のセリフだということを知らなかったのかもしれません。
「立つんだ。ジョー!」といえば「あしたのジョー」だと誰でも知っているように、「人間なんて(宇宙の中で)ちっぽけなゴミなんだ」が、実は言葉とは反対に希望に満ちあふれた超ポジティブな意味だということを(わしらの世代なら)多くの人が知っています。それほど『火の鳥(鳳凰編)』はバイブル的なマンガですからね。
でも、世代が違うと(若い人だから)そういう認識がなかったんでしょう。こっちも、それを知らないはずがないと思い込んでしまっていた。 世代が違えば知らない(読んでいない)のは当然なのに、なぜか通じ合えると思い込んでしまっていたような気がします。
さらに加えるならば、大江健三郎が書いた「死が生の意味を解き明かす唯一のものであるならば、私はできるだけ早く死にたい」という言葉からの引用もあり、 わしとしては逆説的に書いたつもりだったのですが、まるで伝わっていなかったのでしょう。 わしは未熟でした。
爺さんになると、日々ありがたいと思うことが増えますね。それを実感します。「今日も元気でいられてありがとう」とか、人さまとのちょっとした関わりに対しても感謝する日々です。若いときにはあまりなかった感覚ですね。涙もろくもなりました。
若いころは、新宿とかを歩いていると「自分の街みたいな顔してエラそうに歩いてるな」とかいわれたもんでした。でも、爺さんになると、次の時代の若者の邪魔にならないように人生の端っこを歩こうとかって思います。いや、ホントに…。若者を育てたいっていうとそれこそエラそうなんですが、年寄りとして何か若者の役に立てればと考えますね。マジで…。
といいつつ…邪魔をしているだけかもしれません(笑)。
どんな言葉も、すべてを伝えられるものじゃない。
そういえば…時代意識の違いというのか、世代の違いによる認識の違いというのは専門学校で講師をしていたときに生徒から感じたものでした。意味が反対になったりするんですね。たとえば、「ヤバイ」って言葉の意味を否定とするか肯定とするかみたいなことです。 「ヤバくなくない?」とかってなると「ありえねぇ!」ですよ(笑)。
若者たちが「尊敬するゼ」っていい合ってるから尊敬してるのかと思うと、軽蔑の意味を込めて尊敬といってたりするような…。
わしは「ぜんぜんOK」みたいに「ぜんぜん」という言葉を肯定では使いません。打ち消しとして教わったからです。古いヤツですなぁ。でも、今では「ぜんぜんOK」は間違った日本語じゃないんですよね。
笑いと涙、狂気とやさしさが紙一重だったりもする。映画やマンガなどでも、シリアスだと思われていた作品が、次の時代ではコメディ扱いとかってこともあります。反対に、凄惨で目がつぶれそうな汚い映画が…純粋で美しい映画だったとか、人間の本質的な悲哀を描いた魂のカタルシスだった…ってこともあるかもしれません。
そういう微妙なニュアンスの差というのは…時代時代によって受け取り方が違うんだろうと思います。
言葉は生きてるし、合わせて感性も違ってくるんでしょう。難しいですね。でも、そこがまたおもしろく、わしとしては探求したくなるんですけどね。
ところで、通りすがりの方が表記ミスを指摘してくれました。ありがとうございます。
大森一樹監督のデビュー作は『オレンジロード急行(エクスプレス)』でした。
すんません。すんません。加筆してお詫びいたします。
「2」につづきます。長くなりましたので、後半を独立させます。