たたら侍を語るもエ~ガね
初日に観る予定で…行けなかった。現時点でまだ観ていない。『たたら侍』のことだ。
錦織良成監督はいわばご当地監督だ。島根県を舞台にした映画を数多くつくっている。でも、これまでのは他の人の原作だったと思う。原作・脚本・監督? もしかすると、完全にオリジナルというのは初めてじゃないかな。
わしは“遣島使”…つまり、島根県をアピールする使命を持っている者だから、観て映画をPRする役割がある。
でも、映画ファンだから、そこはどうしてもシビアになる。だから今…ちょっと迷っている。
つづきは観てから書こう。
https://youtu.be/aecC9UlRIUg
驚いた。新宿の映画館では上映が終わっていた。5/20公開で6月に入ったら終了ってどういうこと!?
わしが「そんなに入ってなかったの?」と聞くと劇場スタッフは苦笑いしてた。観客が少ないなら景気づけに酒でもひっかけて観るか。これがほんとのヤシオリ作戦か。でも、やってないんじゃどうしようもない。
そうか、気づいた。刀鍛冶職人の役だかで出てた俳優が大麻使用で逮捕された。その影響だろう。
どこかでまだやっているのだろうか。ちょっと困っている。
仕方ない。こんなことは初めてだが、こうなったら観ないで日記を書くしかない。
一般的には『もののけ姫』で認知されたのかもしれないが、“ヤマタノオロチ”などとともに「たたら吹き」というのは昔から知っている。鉄をつくる技術のことだ。
貴重な錆びない刀をつくる。それは1000年以上も前から奥出雲のその村に伝わっていた。
興味深い題材だ。問題は映画としておもしろいかどうかだろう。
その技術を受け継ぐ主人公が侍に憧れ、村を出る。
そして…世の中を知り、村に戻ってくる。
基本的にはそういう話だろう。
錦織監督は戦うことを描いてこなかったように思う。戦わずに…風土の中で生きる人々を淡く描いてきたように思う。祖父江先生の「県民性」ではないが、そこは地味な土地柄なのだ。
だからきっと、価値ある映像として「たたら吹き」を美しく丁寧に描き出してくれているだろう。間違いない。それは確信する。
どうして今回のようなアクションを交えた話になったのかといえば、プロデューサーのEXILE HIROの意向かもしれない。そこに少しチグハグ感が生まれたのではないかと推測する。
主人公が生きて動くからそこにドラマが生まれる…はずだ。伝統技術を受け継ぐことの大切さを知る? “我王”のように悟りを得たのか。主人公は何をどう考え、なぜ戻ってきたのか。そこが弱いのかもしれない。
「焼け野の雉」の話を思い出す。巣のある野を焼かれたキジは我が身を忘れて子を救いに戻るという。信念というか情念というか、主人公のそういうところが弱いのかもしれない。ご都合主義になっているのかもしれない。
もしかすると、人々の営みを俯瞰するように美しく表現しているのだろうか。
もっとも、観ていないのだから何もいえない…。いい加減な映画日記で恥ずかしい。これではとても“遣島使”の役割を果たしているとはいえない。
すべては…島根県庁より送られてきた映画のチラシを観ての印象。
そこには「すべてから逃げた僕に残された宿命」とか「力とは何か 本当の強さとは何かを僕は知らなかった」と書かれていた。キャッチが長くて抽象的だ。それを読んで上記をイメージした。絞り込まれていないのか。何を伝えようとしている映画だろうとも思った。
故郷の魅力、再発見? だとしたら…県の観光課とかがつくる映像かもしれない。
あぁ…。でも、やはり観ないでウダウダいうのは映画に失礼だ。まだどこかでやっているかもしれない。映画を観るために旅に出るしかないのか。幻の映画となるのか。
そういえば、その昔のロードショーのときの『2001年宇宙の旅』は「難しすぎる」「客が入らない」という理由で、1カ月もたなかった。それが名作と評価されたのは何10年か後だ。果たして、『たたら侍』はどんな運命をたどるのだろう。
どうやら、再公開のメドがたったらしい。
覚醒剤だかで逮捕された俳優部分をカットして再上映をするという。でも、わしは観ない。
想像だが、その俳優の役は…たたら技術を受け継ぐ主人公みたいにはなれない立場だったのかもしれない。だから、出て行こうとする主人公と対立する。でも、やがては戻ってきた主人公を受け入れる。そんな感じだろう。
おさまりはよくなるかもしれないが、そこをカットしたら映画としてズタボロじゃないかな。そんな映画は観たくない。気の毒な映画だが、いっそ、横ではなく縦にカットしては…とイジワルな気持ちにもなってしまう。
いつか…オリジナルを観ることはあるだろうか。
「たたら吹き」の映画セットとか何か残されたのだろうか。匠たちの気高い精神が山々に宿っているだろうか。“遣島使”のわしが引率して、有志で伝説の奥出雲の地を旅するのもわるくない。
錦織良成監督はいわばご当地監督だ。島根県を舞台にした映画を数多くつくっている。でも、これまでのは他の人の原作だったと思う。原作・脚本・監督? もしかすると、完全にオリジナルというのは初めてじゃないかな。
わしは“遣島使”…つまり、島根県をアピールする使命を持っている者だから、観て映画をPRする役割がある。
でも、映画ファンだから、そこはどうしてもシビアになる。だから今…ちょっと迷っている。
つづきは観てから書こう。
https://youtu.be/aecC9UlRIUg
驚いた。新宿の映画館では上映が終わっていた。5/20公開で6月に入ったら終了ってどういうこと!?
わしが「そんなに入ってなかったの?」と聞くと劇場スタッフは苦笑いしてた。観客が少ないなら景気づけに酒でもひっかけて観るか。これがほんとのヤシオリ作戦か。でも、やってないんじゃどうしようもない。
そうか、気づいた。刀鍛冶職人の役だかで出てた俳優が大麻使用で逮捕された。その影響だろう。
どこかでまだやっているのだろうか。ちょっと困っている。
仕方ない。こんなことは初めてだが、こうなったら観ないで日記を書くしかない。
一般的には『もののけ姫』で認知されたのかもしれないが、“ヤマタノオロチ”などとともに「たたら吹き」というのは昔から知っている。鉄をつくる技術のことだ。
貴重な錆びない刀をつくる。それは1000年以上も前から奥出雲のその村に伝わっていた。
興味深い題材だ。問題は映画としておもしろいかどうかだろう。
その技術を受け継ぐ主人公が侍に憧れ、村を出る。
そして…世の中を知り、村に戻ってくる。
基本的にはそういう話だろう。
錦織監督は戦うことを描いてこなかったように思う。戦わずに…風土の中で生きる人々を淡く描いてきたように思う。祖父江先生の「県民性」ではないが、そこは地味な土地柄なのだ。
だからきっと、価値ある映像として「たたら吹き」を美しく丁寧に描き出してくれているだろう。間違いない。それは確信する。
どうして今回のようなアクションを交えた話になったのかといえば、プロデューサーのEXILE HIROの意向かもしれない。そこに少しチグハグ感が生まれたのではないかと推測する。
主人公が生きて動くからそこにドラマが生まれる…はずだ。伝統技術を受け継ぐことの大切さを知る? “我王”のように悟りを得たのか。主人公は何をどう考え、なぜ戻ってきたのか。そこが弱いのかもしれない。
「焼け野の雉」の話を思い出す。巣のある野を焼かれたキジは我が身を忘れて子を救いに戻るという。信念というか情念というか、主人公のそういうところが弱いのかもしれない。ご都合主義になっているのかもしれない。
もしかすると、人々の営みを俯瞰するように美しく表現しているのだろうか。
もっとも、観ていないのだから何もいえない…。いい加減な映画日記で恥ずかしい。これではとても“遣島使”の役割を果たしているとはいえない。
すべては…島根県庁より送られてきた映画のチラシを観ての印象。
そこには「すべてから逃げた僕に残された宿命」とか「力とは何か 本当の強さとは何かを僕は知らなかった」と書かれていた。キャッチが長くて抽象的だ。それを読んで上記をイメージした。絞り込まれていないのか。何を伝えようとしている映画だろうとも思った。
故郷の魅力、再発見? だとしたら…県の観光課とかがつくる映像かもしれない。
あぁ…。でも、やはり観ないでウダウダいうのは映画に失礼だ。まだどこかでやっているかもしれない。映画を観るために旅に出るしかないのか。幻の映画となるのか。
そういえば、その昔のロードショーのときの『2001年宇宙の旅』は「難しすぎる」「客が入らない」という理由で、1カ月もたなかった。それが名作と評価されたのは何10年か後だ。果たして、『たたら侍』はどんな運命をたどるのだろう。
どうやら、再公開のメドがたったらしい。
覚醒剤だかで逮捕された俳優部分をカットして再上映をするという。でも、わしは観ない。
想像だが、その俳優の役は…たたら技術を受け継ぐ主人公みたいにはなれない立場だったのかもしれない。だから、出て行こうとする主人公と対立する。でも、やがては戻ってきた主人公を受け入れる。そんな感じだろう。
おさまりはよくなるかもしれないが、そこをカットしたら映画としてズタボロじゃないかな。そんな映画は観たくない。気の毒な映画だが、いっそ、横ではなく縦にカットしては…とイジワルな気持ちにもなってしまう。
いつか…オリジナルを観ることはあるだろうか。
「たたら吹き」の映画セットとか何か残されたのだろうか。匠たちの気高い精神が山々に宿っているだろうか。“遣島使”のわしが引率して、有志で伝説の奥出雲の地を旅するのもわるくない。