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中山道を歩く 7

わしは日本に戸籍謄本があるから日本人には違いない。でも、歴史とかにしても…日本のことをよく知っているとはいい難い。
もっと知りたい。もっと探求したい。そう思ったことが日本橋から京都三条大橋までの「中山道歩き」につながっているのかもしれない。歴史の欠片を拾いながら…なぁんてね。

江戸(東京)日本橋から出発。歩いて歩いて…電車で戻る。それを繰り返している。順番でいけば、次は軽井沢宿から和田宿だった。
でも、線路はつづくよどこまでもォとはいかない地域。駅がない、泊まる所もない、和田峠は大変。どなたか、情報をいただけないものか。

ということでそこを飛ばして、先に下諏訪宿から贄川宿方面を歩くことにしたのだ。


下諏訪宿→塩尻宿→洗馬宿→本山宿→ 計23キロ

11/21朝、新宿駅ホームでネコ爺・ハナ爺合流。7:30発の「あずさ3号」に乗る(自由席券がなくなり未指定券になっていた)。
10:01下諏訪着。中山道歩きのスタートだ。

魁塚に寄ってから「諏訪大社下社春宮」に行く。日本最古の神社のひとつで、出雲の信仰に起源があるらしい。この地方は3つの生活文化が競り合った場所だ。
その裏手にユニークな「万治の石仏」があった。台座にするために切り出したら血を流したので、仏像にしたという。大岩の上にちょこんと頭が載っている。「よろずおさまりますように」と手を合わせ、「よろずおさめました」と一礼した。
「御柱祭」の木落の巨木が観光用に置いてあるはずだがどこなのか…。わしらは観光とは違うので、先を急ぐ。
ひたすら歩き、昼食に(なぜか多い)ラーメン屋に入る。塩尻峠を目指す。どんどんと諏訪湖が眼下になっていく。

「馬頭観世音」があった。「石船観音」ともあった。ここが金明水かな。「熊に注意」の看板もあった。
そこでふたりの老人が日向ぼっこをしていて「どこまで行くのか」と問うてきた。わしらがザックに“中山道歩き”という小旗を付けているせいだろう。
情報をもらってさらに行くと、不思議な顔みたいな「大石」があって…塩尻峠(塩嶺御野立公園?)に到着。遠く…諏訪湖に八ヶ岳、南アルプス、富士山までの眺望がすばらしい。明治天皇が立ち寄ったという石碑や「高ボッチ高原」の標識もあった。
ここが分水嶺? どこまで行っても綺麗な水が流れていた。諏訪湖に注がれるのかな。冬には“御神渡り”も来るだろうか。

武田晴信と小笠原長時が戦ったときの…首塚とやらはどっちだろう。わしらはどこを歩いてる?

ここからは…旧中山道を歩いて塩尻宿だが、ネコ爺・ハナ爺は迷子になってしまったのだ。情けない。道の案内図が不正確ということもある。きっと、新しい道ができると古い道はないがしろにされるのだ。誰も歩いていなくて…聞くこともできなかった。
おそらく、元の宿場と駅の場所が離れているんだろう。とにかく、やっとのことで塩尻駅に到着。今夜の宿がないので、松本のハナ爺旅館(実は実家)に行くことにする。と、ここで…またもやスッタモンダが発生。Suicaと乗車券の併用の問題だ。やれやれ…。
コンビニ弁当とビールで乾杯。ハナ爺に感謝。この日の歩数は38558歩なり。


翌11/22朝、松本駅へ行く。空はどこまでも青く、遠くに北アルプスの稜線が美しい。かつて歩いた山々が懐かしくもある。
再び塩尻駅。塩尻宿の跡地を求めて歩いていて、[東座]という古ぅい映画館を見つけた。どこが塩尻宿跡だろう。昨日のつづきでまだ迷ってるみたい。国指定重要文化財「堀家住宅」を観る。地蔵と「中山道」の標識を確認して、洗馬(せば)宿に向かって歩く。

「平出(ひらいで)一里塚」のそばにあるのが「平出遺跡」で、縄文から平安時代にかけての集落があったところだという。
[宿食堂宗賀]という看板があった。「風呂に入れる」とも書いてある。泊まれる食堂ってとこかなぁ。こういうところが和田峠あたりにあるといいんだがなぁ。

「邂逅(あふた)の清水」と書かれた水場があり、行くとちょうど桶を取り換えていた。ここでもどこまで行くのか聞かれた。「言成地蔵尊」の場所を教えてもらった。
木曾義仲の馬を洗ったことで洗馬という地名が残ったという。洗馬宿は…善光寺道といわれる北国西街道の起点でもあり、賑わった宿場らしい。でも、今はその面影もない。
明智光秀と共に信長を支えた細川藤孝(幽斎)の碑があった。月を眺めた場所とか…ん? そこには関連の二代目の松が植えられていた。

教えられた「言成地蔵尊」を見つけた。なんでもいいなりになる(願いが叶う)らしい。ハナ爺が「妻がいいなりになりますように」と願っていたので、わしは「ハナ爺の願いが叶いますように」と祈った。11/22はいい夫婦の日だしね。

洗馬宿と本山宿の間は近い。本山宿は“そば切り”発祥の地とかだったので、一軒しかない蕎麦屋でそばを食べた。
宿場は本山だが、中央本線西線にそういう駅はない。あるのは日出塩という無人駅。電車は2時間に1本しかない。次の贄川宿までとも思ったが、日出塩駅13:41のに乗って塩尻経由で上諏訪駅に戻ることにする。これから先、道はこんな感じなんだろうと痛感した。これからが木曽谷なのだ。

上諏訪駅を出て観光案内所に寄ったら、親切に入浴施設[片倉館]を教えてくれた。案内所の女性が感じよかったので、そこで土産用の電球(容器)に入った蜂蜜と柚餅子を買った。外で食事して、奇妙なユースホステルみたいな[畳]で宿泊(花火観賞の穴場?)。11/22の歩数は34789歩なり。


翌日、高島城に行ってから下諏訪へ移動。
11/21に行けなかった諏訪神社下社秋宮に寄り、下諏訪宿跡を観て歩いた。ここは甲州街道と中山道の合流地でもある。標識に「京都七十七里三丁 江戸五十五里七丁」とあった。甲州街道での江戸への距離かな。ということは…昨日の本山宿が中山道の半分くらいの地点かもね。
龍の頭をかたどった石から水が流れ出ているところがあった。そこが和田峠から下ってくる道なのだ。またここに来ることになる。

14:33のあずさ73号で帰る前に、怪しげな一画のラーメン屋に入った。昼間から酒を呑みながら…猟師ら数人がイノシシを撃ったときの興味深い話をしていた。こういう話が聞けるから旅はいい。

11/23はわずか18795歩。この季節は夜が早い。あまり歩けない。宿がないと凍死もあり得る。
来春、暖かくなったら和田峠を越えるか。それとも本山宿から先…妻籠・馬籠宿方面へ向かうか。
コロナはどうなっているだろう。

今回歩いたのは地図上では20数キロにすぎない。でも、実際はプラス…迷い道クネクネがある。ま、人生なんてそんなもんだ(笑)。

ネコ爺・ハナ爺のヤジキタ道中は京都までつづくのだ。



ばるぼらがだるくてエ~ガね

愛の中に狂気があり、狂気の中に理性がある。ニーチェだったかな。

[虫プロ]が倒産したとき、手塚先生はビッグコミックで「ばるぼら」を連載していた。休載されるのではと気になったが…そんなことはなかった。もっとも、そのときすでに手塚先生は社長を辞めていたしね。でも、マスコミは手塚治虫は終わった…みたいに報道していたなぁ。

とにかく、わしは連載中から「ばるぼら」を読んでいたし、単行本になる度に読んだ。つまり、熟読していたのだ。

手塚眞監督によって、それが映画化された。彼の映画は8ミリ時代から観ている。お父さんが紙で映画を創った人だとすれば、彼は8ミリフイルムでマンガをつくった人かも…なぁんて思っていた。アニメという意味ではなくてね。

さて、映画『ばるぼら』だが、原作を読まないで観るほうが幻想の中に墜ちていく感じを楽しめるかもしれない。そんな気がした。観てから読むをお薦めしたい。

映画の雰囲気は思っていた以上に原作と同じで、けだるく退廃的だ。よくぞここまで…と思った。もともと手塚マンガには暗い明るさがあると思うのだが、そんな原作の深層までを実写映像にしてるかもしれない。さすがにDNAでつながってるんだな。
撮影はクリストファー・ドイルで、彼の力も大きいんだろうな。音楽もよかった。

創作上の苦悩。精神的迷宮。クリエイターなら誰でも、ばるぼらのような存在を求めているのかも…ね。

観終わったときの印象は…内容は原作とほとんど同じなのに、何かが少し違った。
恋愛要素は強まっているものの…原作にあった「それでも彼の作品は残るのだ」という要素が弱くなっているせいかもいれない。わしの中では「ブラック・ジャック」の「絵が死んでいる」という話に通じると思っていたからね。

それは路上のチラシでわかる? なるほど、それだけ映画になっているということかもしれない。
とはいっても、原作を超えたかといわれれば…正直、わからない。比べられるものでもないだろうしね。でも、手塚マンガ原作の実写映画化で初めてそこまで迫ったんじゃないかな。
一般向け娯楽作とは少し違う気もするけど、父が遺した作品を継いで…眞監督はしっかりと自分の道を歩んでるんだな。

ミューズか悪魔か…不思議なばるぼら役の二階堂ふみだが、わしはデビューの『ガマの油』からの大ファンだ。誰かが感性のバケモノとかいってたなぁ。
野坂昭如や三島由紀夫がモデルかもしれない美倉洋介役は稲垣吾郎。原作が発表された年に生まれたという。『13人の刺客』『半世界』など、役者としての彼もダークで品があって好きだな。

今回の美倉はどこかロック(間久部録郎)みたいだったから、これからも手塚マンガ原作の実写に出ればいいんじゃないかなぁ。たとえば「バンパイヤ」とかね。「どろろ」や「アラバスター」も眞監督につくってもらいたい。

https://youtu.be/y2vKPj8gxkA


そういえば大昔、新宿歌舞伎町に[ばるぼら]って店があった。そこのママさんもきっと…手塚マンガのファンだったんだろうなぁ。

どーでもいいことを思い出した。昔、宝塚市の[手塚治虫記念館]の展示を観ていたら、「一緒に写真撮らせてもらってもいいですか?」と声をかけられた。はぁ?というと「眞さんですよね?」とのこと…。やれやれ(笑)。



異端の鳥に慄くもエ~ガね

『異端の鳥』を観た。なんて…おぞましい映画だろう。

モノクロ写真の威力。地面に埋められて顔だけ出している少年。それを今にも突きそうなカラスが見ている。以前からそのポスターに惹きつけられて…映画を観ないわけにいかなかった。勇気をふりしぼって…観た。

観て時間が経過したのに、この作品が頭から離れない。昨日だって狂人から相談される夢を見た。きっとこの映画せいだ。ずっと、ウダウダ日記を書くことができなかった。

映画館で途中退場者が続出したというのもわかる気がする。原作は「ペインティング・バード」という発禁の書だという。ポーランドのイェジー・コシンスキが1965年に発表したものらしい。

『異端の鳥』は寡黙だ。原作はどうなんだろう。
もしかすると、別々だった話をひとつにまとめたんだろうか。映画館には原作本が置いてあった。それを確認しようかと思ったが…買って読む勇気がなかった。

ホロコーストから逃れて疎開した少年。行く先々で彼は異物と見られ迫害され、惨い仕打ちに合う。撮影には11年かかったらしい。主人公役の少年が大きくなっていくように思ったのも当然だ。執念の監督はチェコのヴァーツラフ・マルホウルという。

その昔、キューブリック監督の『時計仕掛けのオレンジ』を観たときの感覚に近いかもしれない。人間の本質というか…獣のようなおぞましさを感じた。観終わって…頭の中が死んだかのような気持ちだった。
3時間、画面から目が離せなかった。傑作というものには狂気が潜むものなのか。きっとそうなんだろう。

https://youtu.be/JmWefeMpYd8

モノクロ画面はある意味、カラーよりもリアルだったりする。美しくて…恐ろしい映画だった。
気に入った映画は何度でも観るわしだが、この作品はもう二度と観たくない。




手塚マンガの「アドルフに告ぐ」をこういうタッチで映画化したらどうなるだろうな。今はふと、そんなことを思う心のゆとりが出てきている。

土に埋もれる子猫。紙粘土で、土風呂みたいな鉢で戯れる小猫をつくって、インスタnekonekogにアップしてみた。


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ネコ爺ことネコタル爺の高峰 至です。

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