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メメントに振り回されるもエ~ガね

新型コロナウイルスのために、新作映画のほとんどは公開が延期された。そんな中で、予定通り夏に公開されるかもしれない映画がある。
クリストファー・ノーラン監督の『テネット』だ。この監督の作品はどれもこれも一筋縄ではいかないが、今回はどうやら時間を“逆転”する内容らしい。どういうこと?

もっとも、この監督の作品には時間を操作するものが多い。1作目(2作目かな)の『メメント』もそうだった。
短期記憶障害というのかな。主人公は新しいことが10分くらいしか覚えられない。話していても最初のころの内容は消えていく。相手が誰かもわからなくなる。

だから、彼はポラロイドカメラで写真を撮り、そこにメモを残す。同じように、自分の体にタトゥのメモを刻む。記録こそが記憶だ。
そういう症状でありながら、何と…主人公は奥さん殺しの犯人を追っている。いわば探偵なのだ。
映画のカラー部分はその前へその前へと逆向きに進んでいく。そのままの時系列のモノクロ部分もある。

ユニークというか…頭が混乱する。
気になるセリフがあったな。記録は確かだが、記憶はつくられる…とか。ということは、もしかすると主人公の記憶にもそれがいえるのでは? などと、ウダウダ考える人向きの映画なのだ。

ちなみに、メメントとは…ラテン語で「思い出せ」という意味らしい。「死を思い出せ」かもしれない。

https://youtu.be/qirQCqU1-1o

似たような設定に、邦画の『博士の愛した数式』があった。おそらく、この『メメント』が表現としての源流だろう。

近々、緊急事態宣言の解除? 不安だが、これまでを思い出しながら…新しい生活(ウイルスとの共存)が始まっていくのだろう。でも、映画館に観客が戻ることは素直にうれしい。

霧の中で蜘蛛巣城を観るもエ~ガね

 
 見よ 妄執の夢の跡
 魂魄 未だ住むごとし
 それ 執心の修羅の道
 昔も今も かわりなし

真夜中に黒澤明監督の『蜘蛛巣城』を観た。シェイクスピアの「マクベス」を原案にした戦国ものだ。何度目…いや、観るのは何10回目かだろうな。
DVDでは字幕付きで観る。言葉が聴き取れないからだ。わしは古い黒澤映画が大好きで、ときどき…原点に戻りたくなると観る。
『蜘蛛巣城』は後の『影武者』や『乱』につながる作品だが、わしはこっちのほうが好きだ。

古い映画が好きというわけでもない。わしはおもしろい映画が好きなのだ。
それに加えて、表現の源流を知りたいと思ってしまう。『スターウォーズ』の源流に黒澤映画の『隠し砦の三悪人』があるように…。

たとえば、わしは長野県を流れる梓川に愛着がある。槍ヶ岳付近からの幾筋かの小さな流れが、やがて梓川になっていくのを観て…感動した。それに近い。
またたとえば、マンガのフキダシはどうしてできたんだろうと調べてみたことがある。するとそのひとつは…屏風絵にたどり着く。それにも近い。

黒澤作品の多くは後になって別の映画として作り直されている。黒澤プロとしては経済的理由でリメイク権を売る必要があったんだろうな。でも…正直、なくてもよかったと思うことがほとんど。オリジナルを観返すほうがずっといい。

コロナのせいでNHKは「麒麟がくる」を休むらしい。五里霧中…。ならば、その間に『蜘蛛巣城』観賞はいかがであろう。1957年作品。

https://youtu.be/DEnYge75BEw




そういえば、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』のつづきだかの『2030年』という誰かがつくった映画があった。なくてもよかった。
同監督の『シャイニング』のつづきの『ドクタースリープ』というのもあった。申しわけないけど、なくてもよかったな。

『デューン』はリメイクとはまた違うんだろうな。オリジナル映画のデキがよかったとはいえないし、リブートだから再起動ってことかな。どんな砂の惑星アラキス=デューンを見せてくれるだろう。
数々の映画の源流でもあるフランク・ハーバートのあの長くて濃密な原作小説。1本の映画で表現するには無理がある。前・後編に分けるのは妥当だろう。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督に期待している。何年も待っていた。映画は主食。11月が楽しみだ。


三島由紀夫vs東大全共闘を語るもエ~ガね

この記録映画のことを書こうか…観てからずっと迷っていた。『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』という。でも、書くしかあるまい。
三島由紀夫が全共闘から呼ばれて、東大駒場キャンパスで…その伝説の討論会が行われたのは1969年5月13日だった。三島自決の1年前だ。

撮ったのは…いや、もともとTBSに保管されていたフィルムを映画としてまとめたのは、豊島圭介という人。東大出身の若い監督だ。あのときの討論会に関わった人にマイクを向けて、現代に問うドキュメンタリーにしている。
映画のナビゲーター役は…観ている間はすっかり忘れていたが、東出昌大。例の不倫コメントはこの映画の完成試写の後だった。いや…ま、それはどーでもいいか。

とにかく、『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』は…熱く貴重な映画だった。
安田講堂は陥落し、学生運動終盤の時期だった。あの頃は今のように「別にぃ」なんていわず、言葉が力を持っていた。熱く皆が論じ合ったものだ。「キミはこれこれに対して何も思わないのか」とかね。言葉を信じていたというか、激論の時代だったなと思う。

映画を観る限り、信念をぶつけ合うものの…その討論会は決して険悪なものではなかった。むしろ、ユーモアがあり、清々しくも感じた。革命とは何か。全共闘の“空間”に意味を見出そうとするのに対して、三島は“時間”を主張していたように思うが…。
それにしても、赤ちゃんを連れて討論に参加していた芥正彦という人は異彩を放つ。タバコの煙の中で赤ちゃんは大丈夫かと心配になったが、どんな大人になっているだろう。

気づいたのだが、もしかすると三島が“天皇”というとき、特定の人を指すのではなく、時代意識というか日本人の心底にある国民意識のようなものを意味するのではないか。日本人らしくあってほしい。それが憂いの根源かもしれない。そんなふうに思ったりもした。

病弱だった三島は精神力によって肉体改造をした。でも、肉体をつくりあげたとき、逆に肉体が彼の精神をひっぱるということはなかっただろうか。

三島はその1年後を予言させるようなことを討論でいってたんだよね。ちょっと驚いた。そのときから、自らの死の演出を考えていたのかな。
実は…わしはなぜか、自決の直前に出版社に収めたという「豊穣の海」の原稿コピーを入手した。まったく修正のない小説原稿で、その綺麗さに驚き…そこに覚悟を感じたものだった。

あまり知られていないが、“豊穣の海”とはアポロ11号が着陸した月の地名、“豊かの海”のことなんだよね。
そう、水のない砂漠のような海…。心…。水で満たしたかったのかな。それが三島由紀夫の心象風景だったのかもしれない。

三島は太宰治の生き様を嫌っていた。それは『人間失格 太宰治と3人の女たち』の中でも語られていた。三島の死は太宰に比べて崇高だったのだろうか。

結局、『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を観たからといって何かがわかるというものでもない。ただ…重く熱い時代だったなと思う。


https://youtu.be/qaeeMOYWwAQ
https://youtu.be/f6jh6xeqDnA




記憶にございません!といっててエ~ガね?

ステイatホームの影響で、レンタル屋さんはいつもより客が多い。少々、密だ。

三谷幸喜監督の8作目『記憶にございません!』を借りてきて観た。総理大臣が記憶喪失になる話。
正直、満足はできない。中盤からはダレる感じで…悪い人が誰も出てこないし、少々浅いというかモノタリナイと感じた。

でも、軽くて…心休まり、ホンワカと温かい気持ちにさせてくれる映画だった。
コロナ疲れにたえて持ちこたえて…弱っている心には、これくらい穏やかでいい。いろいろな意味で、この時期にはほどよくタイムリーな映画かもしれないと思った。

https://youtu.be/rouyCuTyCko

ちなみに、わしが一案好きな同監督の映画は『ラヂオの時間』だったりする。

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