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中山道を歩く 1

日本橋→板橋宿→蕨宿→浦和宿→大宮宿

令和元年10月4日。朝8時。相棒のハナ爺と日本橋の上で合流。ここには“東京市道路元標”がある。東海道、中山道、奥州街道、甲州街道、日光街道の拠点なのだ。

記念撮影をして、雨の中山道を板橋宿を目指して北上。コンパスだけが頼りだ。

途中…雨もあがり、“神田明神”や“東大”や“六義園”にも寄り道。婆ちゃんの原宿と呼ばれる“とげぬき地蔵”の巣鴨(商店街がそのまま中山道)を通って、名物の赤パンツは買わずに板橋宿へ。“近藤勇の墓”に参ってから昼食。

吉祥寺という寺のそばを通ったとき、ふと思い出した。
JR吉祥寺駅のある地名だが、そこにはそういう名前の寺などない。以前、なぜだろうと調べたら、関東大震災だかのときに吉祥寺という寺の宿坊が一時的に移ってきて…それが地名として残ったらしい。通ったのはその吉祥寺だったのかも…。

たいてい、宿場は駅から少し離れた場所にある。中山道最初の板橋宿場は、京から下ってきた皇女和宮の最後の宿泊地。それが“板橋宿仲宿飯田脇本陣跡”として石碑が残っている。ここは案内がちゃんとしていた。ありがたい。

戸田橋を渡って埼玉県の蕨宿に到着。やっと手軽なホテルを見つけて宿泊。風呂で生き返る。ビールがうまい。スマホの万歩計では41000歩を記録。中山道を20キロ歩いたことになる。
源義経が煙を見て藁火村と呼んだとか説があるようだが、地名の蕨の由来はわからない。

翌日、浦和宿を目指して北上。城跡近くの“和楽備神社”に寄ってから浦和宿へ。“調の宮神社”には狛犬ならぬ狛ウサギがいた。ウサギ年の年賀状に使えるかも…。ん?それまで生きてるかぁ?

『翔んで埼玉』のダサいたま…どころか、大宮に近い一帯が未来都市みたいになっていて驚いた。“氷川神社”にも寄ったが、参道がこれでもかというくらいながかった。大きい神社だから大宮だろうか。
どこが宿場だったんだろう。大宮宿に到着するも…寂しいことに、ここにはこれという案内がない。

途中、何度「この道が旧中山道ですか?」と聞いたことだろう。歴史の上に自分があるはずなのに、住んでいる街のことを知らない人が多い。驚きだ。もっとも、生活している人にとって、どこが旧中山道かなどはどうでもいいことだろうな。
案内や標識も自治体によってあったりなかったり…。道は新しくできても、神社仏閣だけは昔からそこにあってくれる。

5日は蕨から10キロちょっと歩いた。万歩計では27000歩。郷土の土産を求めて大宮駅の周りをウロウロしたら、30000歩になっていた。「東京から歩いてきた」といったら店の人が感心…というより呆れてた(笑)。

二日間合計で70000歩余り。日本橋から30キロ歩いたことになる。寄り道を入れたら35キロかな。

足は大丈夫だが、肩が痛い。ほとんど山装備で荷物が重い。反省。
京都三条大橋までは538キロだから…目的地まであと500キロちょっとになったわけだ。

30度を超える暑さでは熱中症が心配。ネコ爺・ハナ爺ともに余力があり元気だが、無理をせず、第一回の中山道歩きは大宮宿の昼食とビールで終了とする。

次回は大宮まで電車で行って、そこから再び…歩きのスタートだ。


中山道 序2

中山道…。東京日本橋から、京都三条大橋までを歩く。そのスタートがいよいよ10月4日の朝だ。

台風18号はもうすぐ熱帯低気圧に変わるだろうから、雨の心配はそれほどしていない。むしろ、気になるのは暑さだ。せっかく涼しくなるのを待っていたのに、夏と違わないなぁ。

江戸日本橋から歩いて…最初が「板橋宿」だ。埼玉県に入って「蕨宿」「浦和宿」「大宮宿」とつづく。かなりの北廻りコースだ。
東海道に対して、中山道は裏街道のようにいわれている。でも、どうやら昔はそうでもなかったみたいだ。東海道のように、大雨によって河を渡れず宿に逗留する…ということがない。だからその分、道は険しいが中山道は人気があったらしい。

今回、資料はほとんど持って行かない。資料を確認するための“中山道歩き”にしたくないからだ。
でも、一冊だけ薄い文庫本を持って行く。それが「歎異抄」だ。

さぁ、初回はどこまで行けるだろうか。




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