fc2ブログ

中山道 序1

皇女和宮が将軍家に嫁ぐため、中山道を通って江戸に入ったことは知られている。もちろん駕籠でだが…数ヵ月かかったらしい。
わしは若いとき京都にいて、同じコースでの“東下り”を思い付いた。それを実行に移すときがやってきたようだ。

だけど、今わしは東京にいるから…日本橋からスタートして、三条大橋まで中山道538キロを歩くことにしよう。
その昔、清河八郎が新選組をつくるために、江戸から中山道を通って京へ行った。16日かかったらしい。これをひとつの参考にしよう。

とはいっても、ぶっつづけで歩くわけじゃない。それだけの休みは取れない。数日歩いて…今日はここまでって感じで東京に戻る。次はその地点まで電車で行って…再び歩きをスタート。途中、史跡巡りやスケッチもするだろうし、そんな感じだから、2年かかるかもしれない。

幸い一緒に歩く爺さんが見つかった。爺さんSによる、中山道59次の旅が始まる。楽しみだ。
“日本百名山”は半分くらいでストップしたから…これは何としても踏破するぞ。


女相続人を観て思い出すもエ~ガね

月に3つの日記を書く…という自己ノルマが大変だったりする。どうせ誰も読まないだろうし、月に2つにするか。
でも、ともかく…今回は自分の中の古い感情と向き合ってみよう。『女相続人』という古い映画(DVD)を観て、そんな気分になった。思い出したことを書いてみよう。いや、本当は…忘れることができない感情といったほうがいいんだろうな。

『女相続人』というのは…1949年のウイリアム・ワイラー監督作品。
世間慣れしない資産家の娘がいて、彼女に野心の男が近づき、愛を囁く。娘は男に夢中になる。魂胆を見抜いた父親が結婚を認めない。
やがて、父親が亡くなり…男が再び娘に近づく。しかし、娘も成長して別人のようになっている。そして、男にいい放つ。「かつては財産が目当てだったが、今度は愛までも欲しがるのか」と…。




その昔、結婚を考えていた女性がいた。わしの話。その気持ちに一点の曇りもなかった。
ところが、彼女からは大学を卒業するころになっても…就職の話は出なかった。就職する必要もないほどの資産家だったのだ。彼女はアルバイトすら経験がなかった。このあたりから大丈夫だろうかと、わしの心に陰りが出てきたように思う。

興信所を使って、彼女の親はわしのことを調べた。その上で「合格だ」的なことをいわれたとき、わしの心はにわかに曇天となった。
結婚とは…精神的にも経済的にも、親から独立した男女によって成り立つものだ。わしはそう思う。彼女はまだ親から独立してないじゃないか。と、わしは考えるようになっていた。
そして、「経済的にふたりを支援する」と親からいわれたとき、初めてわしの心に雨が降った。違うと思った。

わしは彼女に仕事に就いてほしかった。親から独立して…親をアテにせず、共働きでがんばりたいと思った。一緒に夢を叶えるというか、それが普通の夫婦だと考えた。でも、それは彼女にとって辛いことで、資産家の親にとってもトンデモナイことだったんだろうな。

しかし、問題は別にあった。
わしの心にダークサイドが芽生えたことだった。
支援があれば、仕事を選べるだろう。お金で苦労することはなくなるだろう。
「支援ではなく投資だと考えてもらいたい」ともいわれたが、それなら何も問題ないじゃないか。
そう思いつつも、その考えを振り払わねばと…そのときは思った。そのころは、親の囁きはダークサイドに思えたからだ。

娘に苦労させたくないという親の気持ちはわかる。それが肝心だ。でも、何か違う。自分がダメになる。ふたりともダメになる。葛藤はつづいた。
わしはそのころ、子どもの名前まで考えていた。でも、一緒になっても困窮しただろう。だから、結婚しても子どもは持たない…とまでいった。せめてもの抵抗だったのかもしれない。わしの意地だったのか…。
わしも若かった。いや、幼かった。支援を受けないことが愛情の証だといいたかったのかもしれない。資産目当てで結婚したんだといわれるのが怖かったのかもしれない。

わしは親に結婚の許しを乞うた。親からは「娘をよろしく頼む」という手紙をもらった。
なのに、わしはそのようにしなかった。できなかった…。優柔不断、軟弱といわれても仕方ない。

彼女の家には何度も行ったのに、酒が呑める年齢だったのに…皆がそろって呑んで笑って語り合うということが一度もがなかったな。

最終的には彼女の言葉がわしの心模様を決めたんだろうな。
「子どもがいなければ、私は何もすることがない」といわれたとき、心の中に吹雪が舞った。
そして、「私は誰と比べられても劣ってる。そんな私を選ぶあなたの気持ちがわからない」といわれたとき、わしの心は凍り…砕けた。残るは…大事な人を不幸にするかもしれないという不安だけだった。

それでも、彼女への純粋な気持ちだけは変わらなかった。そのことに気づいて、恥ずかしく見苦しい行動もした。どうしていいかわからなかった。あのころのことは自分でもよくわからない。きっとわしがダメだったんだろうな。

あのときの気持ちを楽曲にたとえるなら、小田和正の「言葉にできない」だろうか。





あげられなかった幸せ…。今は幸せだろうか。理解ある夫と子ども。孫もいるかもしれないな。

ウイリアム・ワイラー監督の『女相続人』を観たら、懐かしく愛おしい…大昔の思い出たちが蘇ってきた。
映画は…日本では1950年に公開されたらしい。女の喜びと真実を知った後の冷徹さを演じ分けたオリヴィア・デ・ハヴィランドはアカデミー賞の主演女優賞を受賞している。


アルキメデスの大戦を観るもエ~ガね

考えてみれば、『ジュブナイル』に始まって『リターナー』とか…わしは山崎貴監督の映画をずっと観てきたんだなぁ。

https://youtu.be/x_OZIvYgJas

今回観たのは『アルキメデスの大戦』だ。失礼かもしれないが、監督は…監督として成長したなぁと感じた。助監督から叩きあげて監督になった人ではない。VFX担当…つまり、CG制作から監督になっていった人だ。

『三丁目の夕日』で思ったことだが、山崎監督の映像には臭いがない。匂いもない。無味無臭。それを若さと思っていたが…そこが個性なのかもしれないな。

『アルキメデスの大戦』の冒頭の5分余りの圧倒的なシークェンス。VFXが見事なのはいわずもがな。あれだけでも観る価値がある。そこに、一瞬だけ…敵側が兵を救出するシーンが入る。それを唖然と見る日本兵の姿。見事だと思った。
以前の山崎監督なら、あの場面は入れなかったんじゃないかな。

若き数学者が戦艦大和の製造に対して挑む。数字は裏切らない。興味深い話だった。
『風たちぬ』を思った。『ビューティフル・マインド』や『イミテーション・ゲーム』を思い出した。数学は苦手だが、数字は興味深い。

もちろん、『連合艦隊』や『山本五十六』や『男たちの大和』を思い出した。でも、『アルキメデスの大戦』はこれらの映画ほど戦争の陰惨さはない。エンターテイメントとして楽しめる。

前半は特に好きだ。プレゼンというか、会議映画という一面もある。よく知る老練な俳優たちが皆、よかった。見事な爺さんS。飽きさせない。

が、情けないことに…わしは最近の俳優を知らない。テレビを観ない…というか、テレビがないせいもある。
主人公の菅田将暉の顔も読み方すらも知らなかった。バディ映画の要素もあり、主人公を支える少尉の彼は『居眠り磐音』のときの柄本…とか、彼はいいな。あの彼女は確か麻雀映画の…美波とか、そんな感じだった。だから逆に新鮮に楽しめた。

ただ…ラストには正直、違和感があった。これでいいのか。釈然としなかった。
でも、後あと考えてみて…歴然たる史実があるわけだから、あれが映画として最善だったのかもしれない。そんなことを思いながら、映画を噛みしめた。

山本五十六は開戦に強く反対していた人で、それが避けられないと知ったとき連合艦隊司令長官として戦った…。映画ではそれを短いセリフで表現していた。そんなところにも監督の成長を感じた。いつの間にか、日本を代表する監督なんだなぁ。

『アルキメデスの大戦』は…山崎貴監督の作品の中で一番好きかもしれない。





と、そうこうしているうちに…戦後74年の今日だ。


プロフィール

ネコタル爺

Author:ネコタル爺
FC2ブログへようこそ!
ネコ爺ことネコタル爺の高峰 至です。

http://neko.a.la9.jp/

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR