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ファースト・マンを思い出すもエ~ガね

あれから50年か。2時間以上ならんで“石”を観たら、道端のどこにでもあるような小石でショックを受けたものだった。そうかぁ。「大阪万博」で“月の石”を観てから…50年経つのかぁ。
いや、違う。厳密には…アポロ11号が月に行って、ニール・アームストロング船長が月に降り立ってから50年になるんだな。

アポロ11号が月面に着陸する様子。それを映し出すテレビを食い入るように観た。大人たちの中には冷めて観ることすらしない人もいて、こんなすごいことをどうして観ないんだろうと不思議だった。

“私には小さな一歩だが、人類には大きな飛躍だ…”みたいなことを船長がいってたな。用意した言葉だなぁと思ったものだけど、それも当然だ。言葉が歴史に残るんだもんな。あれから50年…か。

それを再現したのが、デイミアン・チャゼル監督の映画『ファースト・マン』だ。
https://youtu.be/nFhzZKvaPXs

これまでにも同じような映画があった。中には、実際には月に行ってなかったという設定の『カプリコン・1』というのもあったな。

『ファースト・マン』が新しいと感じたのは、アームストロング船長の視点で描いていること。家庭で子どもが亡くなったとか、初めて知った。船長のことを何も知らなかった。ただ、月面着陸の英雄だと思っていた。

もちろん、NASAが協力してるし、宇宙船全体像も出る。でも、多くは感情を抑えた…ライアン・ゴズリング扮する主人公側からの月面着陸ミッションで、全体よりも船内とかの部分を臨場感いっぱいに映し出す。どこか、昔のソビエト映画みたい…とも感じた。

ソビエトといえば、これは宇宙開拓を賭けたアメリカとソビエトの競争だったわけだ。だから、見切り発車的なところもあっただろう。燃料もギリギリで、着陸できても母船に戻れなかったかもしれない。地上では…飛行士たちが地球に戻れなかった場合のスピーチを考える場面もあった。実際、そうだったんだろうな。

宇宙船内は狭い。息苦しいほどの閉塞感。それは同監督の息をすることを忘れるほどだった『セッション』にも通じる。そこがドキュメンタリーのようにリアルだった。わしはそこが好きだった。

アームストロング船長たちは月に星条旗を立てていた。テレビを観ながら、“人類”といってるのにアメリカかよと思ったものだった。でも、映画『ファースト・マン』にはそのシーンはなかった。やっぱりね。

母船と着陸船でのコミュニケーションに齟齬が生じたという話を思い出した。地球にも月にも引力がある。つまり、母船が「上」というと、月着陸船にとっては「下」になる。立場によって反対になるので、互いに確認しあったという。おもしろい。そのシーンも映画にはなかったな。


天気の子になるもエ~ガね

京アニの惨事…。何であんなことが起こるんだ。何であんなことができるんだ。誇大妄想か…。悲しい。くやしい。


そんな気持ちを抱えたまま、吉祥寺で新海誠監督の『天気の子』を観た。
驚いた。満席だった。いつ行っても何を観ても、吉祥寺は空席がいっぱいなのに…。公開初日の最後の回だったが、青年から中年くらいの年齢の客がいっぱいだった。期待の高さだろうな。

わしは内容を何も知らないで観たが、制作陣の凄まじいほどの情熱に圧倒された。ここで回り込むかとか、街並みにしても細部まで、とてもリアルに緻密につくっている。熱い思いが伝わってきた。あそこまで丁寧だと観る側も悪くはいえないだろう。

今年の梅雨はよく降る。東京は雨がつづいている。『天気の子』はある意味、雨が主役みたいなところがあって…すごい。雨粒のひとつまで生きていた。
いつまでも梅雨が明けない東京に…タイムリーというか、今の季節に合ってる。ま、合わせての公開だろうけど。

わしは天候に興味があるし、天気図を観ることも好きだ。だから、この映画が嫌いじゃない。
でも、『天気の子』は賛否両論になるかもしれないな。前作の『君の名は。』のほうが好きという人は出るだろうな。と、そんなことも思った。

どちらも不思議な話だが、『君の名は。』の舞台は長野の架空の小さな町だった。監督の郷里をイメージさせる…その土地の空気感や光の表現が好きだった。
それに対して、今作は東京。新宿がメインみたいだが…東京は広い。舞台が大きくなった分、お話も広く散漫になったということはないかな。2作は神道がベースにあり、一見似ているようだがかなり違う気がする。ファンタジーだが、今作は現実的だ。

『ほしのこえ』のときは新海監督がひとりでつくったので…キャラも何もかも監督の絵だった。監督が自分ひとりの“思い”を形にして発信したものだった。

今作は(前作も)各方面のプロフェッショナルが集結して、ひとつの大きな作品をつくっている。キャラクターデザインなども監督のイメージに合わせてつくられたものだろう。だからこそ多くの人が喜ぶものができるんだろうけど、わしにはキャラの判別が難しく、感情移入しにくいと感じたところもあった。周囲がリアルであればあるほどキャラが“絵”だと感じてしまうというか…。キャラがなぜそう考えそう行動するのかとか…。

恋愛的要素もあるわけだが、そこに男(主人公)の身勝手なものを感じたりもした。
誰かが救済と恋愛が同時進行していると指摘していた。そこに監督の恋愛観があるのかもしれない。興味深い。

監督は…前作より大作にしなくちゃと、ちょっと無理してない?と、思ったところもあった。あるいは、前作が成功したことで自由になり、あえてそのことへの挑戦でもあるのかな。
もちろん『天気の子』が嫌いじゃない。自然描写に気持ちを託す場面が好きだが、もしかすると、もともと新海監督は小さな作品のほうが似合うのかもしれない。『天気の子』が陽だまりのような小さな作品ならわしはもっと好きになったかもしれない。と、そんなことも思った。


わしの子ども時代の遊び場は神社だったし、父親が神道の人だったこともあり、映画の設定に親しみを持った。
近くに物部神社があり、親がサカキだかシビキで飾り付けをする様子を見ていたというだけだけど…。
近年、そういう研究をしている友人がその神社に行ったと知らせてくれて驚いたものだ。
廃屋となったわしの生家まで見つけたらしい。その友人とは遺跡めぐりをしたものだ。
映画に光の水たまりという表現があったが、東京での神社はそんなイメージだろう。
わし自身が忘れている遠い記憶の中に神社があるのかもしれない。
エネルギーあふれる…巫女がキーワードの神秘の世界。

ともかく、『天気の子』はエフェクト…つまり、雨と雲と光がすばらしい…!
そんなことを思いながら、どんよりとした空を見上げるネコ爺じゃ。梅雨明けまであと5日かのぅ。

https://youtu.be/VGksHFs04Rc



運び屋を考えるもエ~ガね

居酒屋で、映画談義をして戻ってきた。この頃、酒量が増えたと思う。体重も増えたと思う。いや、思うんじゃなく、体重は確実に増えた。これは何とかしなくちゃいけない。


と、そんなことより、知り合いの老夫婦の話だ。ご主人が…認知、つまりはボケてしまって、奥さんが大変なことになってる。いわゆる…老々介護だ。こういうことは世間で少なくないのかもしれない。

夫はよくトイレに閉じこもるという。中では蛇口から水が出っぱなし。床は汚物まみれで、水びたし。何でも分解する夫は…水のタンクの中のブルーレットまで解体して、トイレ中が真っ青。それを観た奥さんはさらに真っ青…。

深夜に起きて…毎日、這いずり回ってそこらにある物を次々と袋詰めするという。注意すると怒るから…怖くて奥さんは何もいえないらしい。すでに、夫婦の間に会話などあろうはずもない。
「袋から何が出るか、怖いくらいよ」と、そんな話を明るく伝えてくれる。だからわしも「サンタさんになるための予行演習じゃない?」などという。

何でも分解だけじゃなく、夫はすべての電源を切って回ったりするという。だから、半炊きのご飯もできる。
夜中に、すべての電源スイッチを入れて回るらしい。夏でも床マットとかも…。シャワーの水なども出しっぱなしにするというから、これには危険を感じる。

もちろん、ショートスティだかデイサービスを利用している。でも、行かないと駄々をこね…怒り出してしまうのだ。
施設を探しているようだが、高額だし…空きがない。それも日本の現実だろう。

油断すると、夫は外へ出ていって徘徊する。そのことで、何度も警察のお世話になってるらしい。だから、常に見守っていないといけない。寝てなどいられない。奥さんは笑顔で伝えてくれるから、わしも「俳諧ならいいのにね」とか、「先にボケた者の勝ちだね」などといってしまったりする。
すると、奥さんは「ほんとよ。あと何年つづくんだろう。夫と立場が反対ならよかったのに」と疲れた顔で笑う…。

見守るということでは赤ちゃんと変わらない。でも、日々成長していくのとは反対だから…辛いだろうな。
結婚した以上、夫婦には最終的に厳しい問題がつきまとう。極楽トンボのわしには何もできない。軽く聞いてあげるしかない。

とにかく、奥さんの明るさに救われる。それに尽きる。


https://youtu.be/Tn0VR_9OfUA

いやはや…前置きが長くなってしまった。
老々介護の映画ではないが、クリント・イーストウッド監督/主演の『運び屋』を観て、なぜか思い出したのだ。

監督がメイキングの中で語っていた。「いかに自分の感情を観客にぶつけるかだ」と…。
それは映画づくりだけではなく、日常でも同じ。でも、相手に何も伝わらなかったら…。怒るだけだったら…。失礼。話が前に戻ってる。

家族とも別れ、孤独に暮らす老人アール。自分の農場も手放さねばならなくなった90歳近い老人の話。
あるとき彼に、運転するだけの仕事が入る。それが『運び屋』だ。麻薬カルテル事件。大量のドラッグを運んだ実話が元になっている。

その老人アールを…老人のクリント・イーストウッドがリアルに、人間味いっぱいに演じている。
映画の中で何度もセリフとして出てくる。「何よりも家族が大事だ」と…。「家族が一番。他のことは二の次でいい」と…。
『運び屋』は犯罪映画というより、家族愛の映画だろう。運んだのは麻薬だけではなかったのかもしれない。

なぜこれを映画にしたか。イーストウッド監督が興味深いことをいってた。
「確かに犯罪だが、アールはあの年齢になっても新しいことをしようとしたんだ。すごいことだよ」と。そこに共感して映画をつくったということらしい。
もしかすると、監督だけして…主演は別の俳優を探していたのかもしれない。でも、90歳になってシャキッと演技できる人はそういない。リアルにこだわる監督だから、若い俳優にメーキャップして老け役をやらせたくない。ならば自分が…ってことになったのかもしれない。

おそらく、モデルとなったその事件の老人に会って、クリント・イーストウッド監督は刺激と勇気をもらったのだろう。「自分だってまだできる」と…。


人間は死の直前まで成長できるとわしは信じている。でも、もしもわしがボケたら…。
その奥さんにいわれた。「ネコさんはボケないわよ」と。根拠は…わからない。
あ、またも話が前に戻ってる。これじゃもう、映画日記にはならないなぁ。


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ネコ爺ことネコタル爺の高峰 至です。

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