ゴジラを語るもエーガね
映画は娯楽だ。おもしろければいい。と、思う。
ただ、このおもしろさってヤツが曲者で、何におもしろいと感じるかは人それぞれだったりする。それは時代とともに変化したりもするのだ。
1954年に生まれたゴジラにしても、着ぐるみからCGへとずいぶんと変化した。顔つきも大きさも…まるで違う。
https://youtu.be/I_sDRg4oOHQ
4DXで『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を観た。先ず字幕の通常版で観て、日を置いて次に吹き替えの4DX観賞だった。多分、正しい観賞方法だろう。
圧倒的だ。CGであそこまでの質感や存在感が出せる。すごい時代になったもんだと思う。
レンダリング? 光学処理? コンピュータで映像を生成することかな。それが進歩したんだろうな。
すべてを観たかは記憶があいまいだが、東宝のゴジラ映画は30作くらいあったと思う。今作はそれらを原作として踏襲している。特にキングギドラが出た三大怪獣だか決戦だか総進撃がどうとかってタイトルの映画。ギドラが外来種で、モンスター・ゼロと呼んでいたのもその流れだ。モスラやラドンなども研究し尽くしているのだ。
おそらく、ゴジラの声は東宝のものを使ってるんじゃないかな。
それは当然だろうと思っていたが、平成版『ガメラ』がベースにあると感じて驚いた。
今作はギャレス・エドワーズ監督の『ゴジラ』のつづきだが、怪獣のためにきょうだいを亡くした少女…という設定は平成『ガメラ』のイリスの話に通じる。と、そんな具合にありとあらゆる怪獣映画が入っている。日本の怪獣映画へのオマージュがてんこ盛り。マイケル・ドハティ監督はどんだけ怪獣映画のファンなんだぁ。
そして、なんといっても…源流である1954年の初代『ゴジラ』への敬意を『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』に強く感じた。
水爆実験による第五福竜丸の人為災害のあった年。海上自衛隊ができたのもこの年だったかもしれない。本多猪四郎監督の初代『ゴジラ』は謎に満ちたモノクロの怖い映画。ドキュメンタリーのようにリアルで…まるでドイツの表現主義のようだった。当時、怪獣映画などという言葉もなく、ゲテモノ映画と呼ばれ軽蔑されていた。でも、おもしろかった。子ども時代に観た円谷英二の数々の特撮。それは今でもわしの宝なのだ。
時代によって評価も変わる。渡辺謙が演じた芹沢博士など、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は初代『ゴジラ』と“合わせ鏡”になっている。と、感じた。そぅ、オキシジェン・デストロイヤーとかね。初代『ゴジラ』は必見だろう。
チャン・ツィイーが「私たちは重要じゃないの。ゴジラたちが主役だから」とかいってたが、確かに人間表現は浅いかもしれない。ゴジラの足元でアタフタしてるだけって感じだったし(笑)。「人間はいらない。ゴジラたちだけ観たかった」という声もあったなぁ。
そういえば、初代ゴジラが品川に上陸したとき街が破壊されたわけだが、「ウチの実家の眼鏡屋はゴジラに壊されたんだ」と自慢していた友人がいた。久しく会っていないがどうしてるかなぁ。
まったく違うことを思い出した。現天皇が幼少のときに、デパートに行って初めて自分のお小遣いで買ったのが秋田書店の「怪獣図鑑」だった。次の日に学校へ行って自慢したら、クラスメートは皆、テレビのニュースで知っていた…。あの頃、テレビが一般家庭に普及した時期だったな。
火山山頂に怪獣。右下に十字架…のような物。その場面が絵的に美しくて好きだった。オリジナル版の鳥居に対抗したのかもしれない。
日本人の自然観。これを書くとながくなるのでやめるが、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を観て少し違うなと思ったのはキングにひれ伏す場面。日本は八百万の神…多神教の国だ。対して、アメリカは一神教。その違いなのかなとおもしろく感じた。
ゴジラに「出世したね」と声をかけてやりたい気分だった。ゴリラとクジラをミックスして生まれたネーミングが、アメリカに渡って“GOD”になったんだもんな。
音楽の伊福部昭へのオマージュ。それをあちこちで感じた。うれしくなった。
後のち、ゴジラのテーマと呼ばれたメロディ、あれは初代『ゴジラ』では自衛隊だか防衛軍だかの進撃のテーマだった。今作ではそれに壮大なアレンジを加えている。読経とかも入っていたんじゃないかな。
とにかく、今作はマイケル・ドハティ監督の怪獣愛…いや、怪獣を含めたモンスター愛が炸裂する映画だった。
わしがもっともカンゲキしたのはエンディングロール。観終わって…思わず、カラオケでザ・ピーナッツの「モスラの歌」を唄ったのだ(笑)。
次は『キングコング 髑髏島の巨神』のコングと戦うらしい。東宝の『キングコング対ゴジラ』では確か名古屋城を挟んで戦っていたが…さて、どうなるんかいなぁ。
どう再構築するかを楽しむ。そういうおもしろがり方は邪道だろうか。
ただ、このおもしろさってヤツが曲者で、何におもしろいと感じるかは人それぞれだったりする。それは時代とともに変化したりもするのだ。
1954年に生まれたゴジラにしても、着ぐるみからCGへとずいぶんと変化した。顔つきも大きさも…まるで違う。
https://youtu.be/I_sDRg4oOHQ
4DXで『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を観た。先ず字幕の通常版で観て、日を置いて次に吹き替えの4DX観賞だった。多分、正しい観賞方法だろう。
圧倒的だ。CGであそこまでの質感や存在感が出せる。すごい時代になったもんだと思う。
レンダリング? 光学処理? コンピュータで映像を生成することかな。それが進歩したんだろうな。
すべてを観たかは記憶があいまいだが、東宝のゴジラ映画は30作くらいあったと思う。今作はそれらを原作として踏襲している。特にキングギドラが出た三大怪獣だか決戦だか総進撃がどうとかってタイトルの映画。ギドラが外来種で、モンスター・ゼロと呼んでいたのもその流れだ。モスラやラドンなども研究し尽くしているのだ。
おそらく、ゴジラの声は東宝のものを使ってるんじゃないかな。
それは当然だろうと思っていたが、平成版『ガメラ』がベースにあると感じて驚いた。
今作はギャレス・エドワーズ監督の『ゴジラ』のつづきだが、怪獣のためにきょうだいを亡くした少女…という設定は平成『ガメラ』のイリスの話に通じる。と、そんな具合にありとあらゆる怪獣映画が入っている。日本の怪獣映画へのオマージュがてんこ盛り。マイケル・ドハティ監督はどんだけ怪獣映画のファンなんだぁ。
そして、なんといっても…源流である1954年の初代『ゴジラ』への敬意を『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』に強く感じた。
水爆実験による第五福竜丸の人為災害のあった年。海上自衛隊ができたのもこの年だったかもしれない。本多猪四郎監督の初代『ゴジラ』は謎に満ちたモノクロの怖い映画。ドキュメンタリーのようにリアルで…まるでドイツの表現主義のようだった。当時、怪獣映画などという言葉もなく、ゲテモノ映画と呼ばれ軽蔑されていた。でも、おもしろかった。子ども時代に観た円谷英二の数々の特撮。それは今でもわしの宝なのだ。
時代によって評価も変わる。渡辺謙が演じた芹沢博士など、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は初代『ゴジラ』と“合わせ鏡”になっている。と、感じた。そぅ、オキシジェン・デストロイヤーとかね。初代『ゴジラ』は必見だろう。
チャン・ツィイーが「私たちは重要じゃないの。ゴジラたちが主役だから」とかいってたが、確かに人間表現は浅いかもしれない。ゴジラの足元でアタフタしてるだけって感じだったし(笑)。「人間はいらない。ゴジラたちだけ観たかった」という声もあったなぁ。
そういえば、初代ゴジラが品川に上陸したとき街が破壊されたわけだが、「ウチの実家の眼鏡屋はゴジラに壊されたんだ」と自慢していた友人がいた。久しく会っていないがどうしてるかなぁ。
まったく違うことを思い出した。現天皇が幼少のときに、デパートに行って初めて自分のお小遣いで買ったのが秋田書店の「怪獣図鑑」だった。次の日に学校へ行って自慢したら、クラスメートは皆、テレビのニュースで知っていた…。あの頃、テレビが一般家庭に普及した時期だったな。
火山山頂に怪獣。右下に十字架…のような物。その場面が絵的に美しくて好きだった。オリジナル版の鳥居に対抗したのかもしれない。
日本人の自然観。これを書くとながくなるのでやめるが、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を観て少し違うなと思ったのはキングにひれ伏す場面。日本は八百万の神…多神教の国だ。対して、アメリカは一神教。その違いなのかなとおもしろく感じた。
ゴジラに「出世したね」と声をかけてやりたい気分だった。ゴリラとクジラをミックスして生まれたネーミングが、アメリカに渡って“GOD”になったんだもんな。
音楽の伊福部昭へのオマージュ。それをあちこちで感じた。うれしくなった。
後のち、ゴジラのテーマと呼ばれたメロディ、あれは初代『ゴジラ』では自衛隊だか防衛軍だかの進撃のテーマだった。今作ではそれに壮大なアレンジを加えている。読経とかも入っていたんじゃないかな。
とにかく、今作はマイケル・ドハティ監督の怪獣愛…いや、怪獣を含めたモンスター愛が炸裂する映画だった。
わしがもっともカンゲキしたのはエンディングロール。観終わって…思わず、カラオケでザ・ピーナッツの「モスラの歌」を唄ったのだ(笑)。
次は『キングコング 髑髏島の巨神』のコングと戦うらしい。東宝の『キングコング対ゴジラ』では確か名古屋城を挟んで戦っていたが…さて、どうなるんかいなぁ。
どう再構築するかを楽しむ。そういうおもしろがり方は邪道だろうか。