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クワイエット・プレイスを静かに観るもエ~ガね

わしは耳のプロテクターを持っていて、ときどき使う。補聴器でも耳センでもない。カラオケ仲間から「耳の保護にいいよ」と渡されたもので、何パーセントだかの音をカットしてくれるのだ。

それはともかく、吉祥寺で『クワイエット・プレイス』を観た。映画館内が静かだった。静かに観ないといけないからかと思ったら、客が10人しかいなかった。……。

https://youtu.be/9zB6JuS-sbs

『クワイエット・プレイス』はサバイバル・ホラー? わしは『リング』みたいな気持ちわるい映画は苦手だ。でも、これはホラーといわれるほど怖くはない。SFだと感じたので、そう分類しておこう。

賛否両論というか、わるく批評する人もいるようだが、わしはそうは思わなかった。制限された中で生き抜く家族の物語。むしろ、家族愛映画じゃないかな。

音をたてると“何か”が襲ってくる。生き残った家族は静寂の中で暮らしている。だから、コミュニケーションはもっぱら、手話なのだ。

“何か”には視覚はないのか。とにかく聴覚が発達しているらしい。エイリアンとかその種のモンスターかもしれない。そのあたりの説明はないし、ないところがいいと感じた。
ふと、スピルバーグ監督の『宇宙戦争』を思い出したりもした。

『クワイエット・プレイス』の監督はジョン・クラシンスキーで、この映画の夫役だ。妻役はエミリー・ブラントで、このふたり…実際に夫婦なのだそうだ。知らなかった。エミリー・ブラントといえば『オール・ユー・ニード・イズ・キル』で、トムの相手役だったな。

子ども役がふたりいて、お姉ちゃん役の子は実際に耳が聴こえないそうだ。なるほど、だからこの子を抜擢したんだな。手話の熱演は本物だったわけだ。この娘を主人公にしてサイレント映画、というのもアリだったんじゃないかな。

ビビリ役の弟もがんばってた。成長しなければ…。そう、母だって強くあらねば…。家族みんなで協力しないと生きていけない。少しでも音をたてると“何か”が襲ってくるわけだから…。

わしは耳のプロテクターを使ってるから思うんだけど、都会は音が多すぎる。
音を隠すなら音の中。隠れて静かに暮らすより、騒音の中で暮らすほうが安全かもしれない。なぜなら、周囲が音だらけなら“何か”も襲いようがないのでは…。

無音にするのは難しい。自然の中…たとえば山の中にいても音はする。木々のこすれる音とかね。そういえば、なぜか風雨の音はなかったな。
“何か”はどういうふうに人間の出す音を判別してるのかは知らないけど…周波数でわかるのかな。そこが肝心だ。

“何か”によって荒廃した世界。人類はほとんど残っていないのかな。都市も静寂の世界になっているのかもしれない。ふと、タルコフスキー監督の『サクリファイス』を思い出したりもした。

いろいろとツッコミどころはあるものの『クワイエット・プレイス』は制限された低予算の中でつくり出されたアイディア作品、と感じた。“何か”の造形がもっと独創的で斬新ならモア・ベターだったかもね。

感じたことを言葉にするのは難しい。思いを形にする…手話を探求してみたいと思った。


愛と法を考えるもエ~ガね

ドキュメンタリー映画のプロデューサーに出会い、ユニークな映画を薦められた。タイトルは『愛と法』という。

https://youtu.be/Y9orV5_Ls7M

戸惑いながらも…勇気を出して渋谷で『愛と法』を観た。ゲイの弁護士カップルのカズとフミ。マイノリティのカレらの日常を描いたドキュメンタリーだ。そこには生きるためのエネルギーがあふれていた。

映画の舞台は大阪で、カレらが弁護するさまざまなマイノリティの人たちが登場する。ふたりは困っている人たちを助けようとする。そんなカズとフミの奮闘記だ。

日本には昔から“村八分”という言葉があったが、“普通”というカテゴリーをつくって、そこに安心感を生み出した。つまりは普通じゃないものを排除してきたのだ。という気がする。

空気を読んで相手に合わせる。きっと、そういうことに長けている民族なのだろう。でも、そもそも普通っていったい何だろう。

と書くと重いが、『愛と法』は決して重くはない。軽いタッチで描いていく。そこにはやさしさと笑いがあった。
温かい目線で紡ぎだした監督は戸田ひかるという人。外国暮らしの経験があるそうで、外国から見た不思議の国ニッポンの姿とも重なるのだろう。

“愛”とは感情。対して、“法”とは論理だ。
法は愛によって守られているかといえば、決して現実はそうともいえない。
法は人を見捨てない? 性の問題、表現の問題、国歌の問題…も?
驚いた。日本には戸籍のない人が1万人いるという。戸籍がないということは存在が認められていないということだ。

そんな人たちがゲイの弁護士カップルに助けを求めてやってくる。だから、カズとフミは闘う。人の痛みを自分たちの痛みにしながら…。
それができるのは弁護士である前に、カレらこそがマイノリティだからか…。きっとそうだろう。

わし自身も世間並みとはいえないかもしれないが、世の中には世間並みに扱われたくて苦労している人がいる。努力している人がいるんだな。
大阪ゆえの人情か…ともかく、貴重な映画を観たと思う。「普通とは何か」を今まで以上に考えさせられた。薦められなかったら一生観ることはなかっただろう。

大阪の下町から見た日本社会のイビツな現実。『愛と法』は感動的で…深く大きなドキュメンタリーだった。わしは笑いながら観た。ときに涙が出そうになりながら…。


2を観てイコライザーを思うもエ~ガね

音楽でいうところのイコライザーとは音の均一だか、高低を調整するものらしい。
映画では弱きを助け、悪を挫く。わしは「必殺仕置人」みたいな『イコライザー』が好きだった。というより、知的で寡黙なデンゼル・ワシントンが好きなんだろうな。クロエ・グレース・モレッツも出ていたしね。

アメリカのテレビドラマで「ザ・シークレット・ハンター」というのがあり、それの映画化だったようだ。デンゼル・ワシントンは製作も兼ねていて、監督は『イコライザー』も続編『イコライザー2』もアントワーン・フークアだ。

https://youtu.be/pJ2HQD18reA

『イコライザー2』を観た。カメラワークがすばらしい。さすがだ。
『2』だけを観ても大丈夫だけど、その前にやっぱり『イコライザー』を観るほうがいいと思う。主人公マッコール(=イコライザー)のことがよくわかる。

マッコールは学校の先生か宣教師みたいに若い人に助言を与える。『イコライザー』ではクロエ扮する少女娼婦のアリーナに「望めば、なりたい自分になれるんだよ」と諭していた。彼女はあれからどうしただろう。
『2』でもマイルズという青年に「悪の道に進むな。君には絵の才能がある。それを信じろ」みたいなことをいってた。困っている人がいたら放っておけない。温かくやさしい人なのだ。

1作目ではホームセンター職員。2作目ではタクシードライバーに職業替えしていた。
でも、このおじさん、普段はやさしいが怒るとメチャ怖い。大人の悪人には容赦しない。瞬殺するのだ。身近な道具を使って…。
実はマッコールは元CIAの凄腕特殊工作員だったのだ。

『2』で、自殺に見せかけた殺人事件が発生する。
『イコライザー』でも理解を求めるために会っていた元女性上司スーザンが殺される。

マッコールは常に、瞬殺の前に猶予を与える。でも、このときはそれをしない。ばかりか「一度しか殺せないのが残念だ」とさえいう。怖い。決して許さない。彼の怒りの大きさは自然描写でも表現される。どうやって撮影したのかと思ったが、怒涛のようにハリケーンが襲う。

『イコライザー』では5人を殺されて、解決するために刺青男が派遣される。刺青男が裸でのけぞった下に…夜の街が重なるというシーンがあった。まるで悪魔の降臨のように…。
『2』ではそれに匹敵するのが、主人公の内面の怒りと重なるハリケーンかもしれない。

テルミット反応というのかな、よくわからないが粉末爆弾とかも出ていた。でも、1作目のホームセンターにある道具を使って…というほうが愛着があったかな。
『2』では妹を捜す老人とかも出てくるが、ちょっとまとまりが悪い印象も持った。スケールアップした分、全体が見えないし…。
そういう意味ではどっちかといえば、わしは1作目の『イコライザー』のほうが好きかな。

チラッとしか出なかったが、『2』でのマイルズの描いた壁画はよかったな。彼は母親に「描いてて落ちて怪我をした」とかっていったのかもしれない。広がりというか…そういう想像をさせてくれるところが好きだった。

正義の執行といっても、マッコールのやってることは殺人だ。でも、そこが自警(ヴィジランティズ)もの映画だし、荒唐無稽さもデンゼル・ワシントンの渋い演技だからこそ納得させられる。さすがだ。
アクションがないときはどこまでも寡黙で静謐。ひとり読書が似合うデンゼル・ワシントンなのだ。

身体と知力と心…。いいね。

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