レッド・バイオリンを奏でるもエ〜ガね
いつだったか、新宿バルト9でフランソワ・ジラール監督の『シルク』を観ました。19世紀のヨーロッパから日本へ行ったり来たりの映像に…坂本龍一のユッタリとしたピアノの旋律がかぶさる。そういう趣きの映画でしたね。
わしは同監督の『レッド・バイオリン』が大好きだったので、すごく期待していたのですが…残念でした。
『シルク』は…心の中の欲望や苦しみをあからさまに言葉では見せず、それを美しい映像で語る。そこが映画らしいと思います。
離れていても空という同じ世界でつながっている…という意味の“万里一空”という言葉を思い出したりもしました。ただ、曖昧な映画でしたね。もちろん、わざと曖昧にしているというのはわかるのですが…わしには物足りなかったのです。
宣伝では「あなたの愛はドンデン返る」とかって品のないヘンテコなコピーだったようですが、それほど驚くことではなかったですしね。
http://www.youtube.com/watch?v=3feDUcDRNAg
対して、フランソワ・ジラール監督の『レッド・バイオリン』は…バイオリンが5つの国を旅する物語です。1998年のカナダ映画。4世紀にわたり…受け継がれていったバイオリンをめぐるドラマ作品です。
わしは予備知識なしでこの映画を観たのですが、目眩がしました。頭がクラクラするほどすばらしかった。こんな映画があるのかと思った。わしはこの映画が大好きです。バイオリンそのものが好きっていうこともあるんですが、忘れられない映画ですね。
“魂の旅”という点では『シルク』も『レッド・バイオリン』に通じるものがあるのです。でも、『シルク』は物足りないと感じた。なぜでしょう。 それを書いてみます。
気になったので、アレッサンドロ・バリッコの叙事詩的原作小説の『絹』を読んでみることにしました。
本の最初におもしろいことが書いてありますね。「この作品を書いたとき、日本人に読まれることを想定していなかった」のだという。だから、歴史的現実よりも、「西洋人の空想としてとらえてほしい。名前や地名にしても音楽とわりきって聴いてほしい」とある。
なるほど、日本や蚕の知識がほとんどなくて書いたけど、そこのところは寛大な心で読んでやってほしいということでしょう(笑)。実際、蚕の記述などでは間違いもありますしね。
映画ではフランスなのに英語を話していて、日本人の役所広司扮する山奥の村の権力者の侍までもが英語をしゃべります。不自然といえば不自然なのですが、原作では山奥の村のその権力者までもがフランス語をしゃべります(笑)。 ヘンテコです。
それにしても…原作を読んで思ったのですが、この原作をうまく映像にまとめていますね。原作でも実体のない…ボヤッとした書き方をしているのですが、それを同じように…まるで音楽のように表現した映画なのでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=-tzgIMsPqq4
以下、さらに映画と原作を掘り下げて書いてみますかね。
冒険物語でもあるわけですが、そのわりには…原作では(映画でも)たんたんとフランスと日本を行ったり来たりするんですよね。あまりにも簡単すぎる気がする。19世紀の時代にですよ。日本海側に辿り着くシーン(山形県の雪景色など)は美しいのですが、日本は鎖国ですからね。
それに、そのときに出てくるシツコいほどの反復の文章表現は何なんでしょう。音楽的なのかな。同じ文章が何度も出てくるのです。
アレッサンドロ・バリッコはすべての物語には固有の音楽があるという。この物語の場合は“白い音楽”だそうな。なるほど、さすがは音楽学者らしい表現ですな。もしかすると、反復こそが音楽的魅力なのかな。
原作で、その目は東洋人のまなじりを持たず、顔は少女のそれだった…と表現されている重要な役どころの“少女”ですが、確かに神秘的で存在感はあるものの彼女で適役だったのかという気もしました。原作ではもっと、白人のような目(加藤ローサとかが近い?)をしています。それはともかく、わしにはそこまで惹かれるっていうのがわからない。不自然なものを感じました。
ただ、主人公エルヴェの…経験してもいないことが死ぬほど懐かしいっていう原作の言葉、これはわかる気がしますね。“少女”は幻想だったのかもしれない。そう思わせる映像にしたかったんだろうってこともわかります。極東の地の果ての日本での思い出=幻想ですよね。主人公はそれに取り憑かれて…その中に埋没していく。
セリフなどで過剰表現しないところがこの映画のいいところだとは思うのですが、この部分が弱いような気がしました。わしは観ていて主人公に感情移入ができなかったんですよ。これはツライですよね。誰にもできなかった。ほとんどの登場人物に(映画でも原作でも)実体がないといいいますか、曖昧ですからね。どこか空虚なのです。人物ではなく、そういう風のような“思い”だけに感情移入してほしいってことなのかもしれないけど、それは無理ですよ。観ているこちらとしては気持ちの行き場がなくなって…心が迷子になってしまう。もっとも、それこそがマイケル・ピット扮するエルヴェの心理状態だったのかもしれないけれど…。
『レッド・バイオリン』のときはバイオリンという存在があったからこそ新鮮だったという気もするのですが、人間の主人公がしっかりと存在する『シルク』では馴染めなかったということでしょうか。ここが大事だと思うわけです。
あるいは同じ“魂の旅”であっても、『シルク』の地理的な旅に対して、『レッド・バイオリン』の時間的な旅という違いでしょうか。重要なところですね。
ベースはエルヴェとエレーヌのラブストーリーです。特に、エレーヌの存在は大きい(キーラ・ナイトレイがよかった!)。唯一、エレーヌだけは(原作と比べても)血の通った人間として描かれていたかもしれません。
夫の幻想の中に生きつづけたかった妻…っていう気持ちもわかります。ただ、映画と小説では手紙の文章内容がなかり違うわけで、原作を読まなければよかったと思ってしまった…。何じゃこりゃですよ。限りなく淫靡というか淫奔であり、これがやりたかったのかって思ってしまった。小説全体はどこか気怠く、それでいて風のようでもあり…不思議な叙事詩ですね。
実をいうとわし、若いときにヨーロッパからシルクロードを通って日本に帰る計画をしたことがあったんです。だから、そういう映像がたくさん観られるのかと思った。ところが、そこがアッサリしていて…例のドンデン返しよりも驚きましたよ。
わしとしてはもっと、ロマンがほしかった。男のロマンの映画かと思っていたんですが、むしろ…男のナイーブな追憶映画。もしくは悔恨映画かな。あるいは…女性のある愛の形を示した映画でしょうか。
『シルク』は美しくて静謐でゆったりとした音楽のような映画という点では好きなんですよ。でも、映画全体としては…わし好みとはいえそうにありません。
結局、大好きな『レッド・バイオリン』のことをほとんど書いていませんね(笑)。でも。ときにはそんな映画日記もいいでしょう。ご容赦ください。
詳細は以下の解説をどうぞ。
http://matome.naver.jp/odai/2135982764507123601
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5627
わしは同監督の『レッド・バイオリン』が大好きだったので、すごく期待していたのですが…残念でした。
『シルク』は…心の中の欲望や苦しみをあからさまに言葉では見せず、それを美しい映像で語る。そこが映画らしいと思います。
離れていても空という同じ世界でつながっている…という意味の“万里一空”という言葉を思い出したりもしました。ただ、曖昧な映画でしたね。もちろん、わざと曖昧にしているというのはわかるのですが…わしには物足りなかったのです。
宣伝では「あなたの愛はドンデン返る」とかって品のないヘンテコなコピーだったようですが、それほど驚くことではなかったですしね。
http://www.youtube.com/watch?v=3feDUcDRNAg
対して、フランソワ・ジラール監督の『レッド・バイオリン』は…バイオリンが5つの国を旅する物語です。1998年のカナダ映画。4世紀にわたり…受け継がれていったバイオリンをめぐるドラマ作品です。
わしは予備知識なしでこの映画を観たのですが、目眩がしました。頭がクラクラするほどすばらしかった。こんな映画があるのかと思った。わしはこの映画が大好きです。バイオリンそのものが好きっていうこともあるんですが、忘れられない映画ですね。
“魂の旅”という点では『シルク』も『レッド・バイオリン』に通じるものがあるのです。でも、『シルク』は物足りないと感じた。なぜでしょう。 それを書いてみます。
気になったので、アレッサンドロ・バリッコの叙事詩的原作小説の『絹』を読んでみることにしました。
本の最初におもしろいことが書いてありますね。「この作品を書いたとき、日本人に読まれることを想定していなかった」のだという。だから、歴史的現実よりも、「西洋人の空想としてとらえてほしい。名前や地名にしても音楽とわりきって聴いてほしい」とある。
なるほど、日本や蚕の知識がほとんどなくて書いたけど、そこのところは寛大な心で読んでやってほしいということでしょう(笑)。実際、蚕の記述などでは間違いもありますしね。
映画ではフランスなのに英語を話していて、日本人の役所広司扮する山奥の村の権力者の侍までもが英語をしゃべります。不自然といえば不自然なのですが、原作では山奥の村のその権力者までもがフランス語をしゃべります(笑)。 ヘンテコです。
それにしても…原作を読んで思ったのですが、この原作をうまく映像にまとめていますね。原作でも実体のない…ボヤッとした書き方をしているのですが、それを同じように…まるで音楽のように表現した映画なのでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=-tzgIMsPqq4
以下、さらに映画と原作を掘り下げて書いてみますかね。
冒険物語でもあるわけですが、そのわりには…原作では(映画でも)たんたんとフランスと日本を行ったり来たりするんですよね。あまりにも簡単すぎる気がする。19世紀の時代にですよ。日本海側に辿り着くシーン(山形県の雪景色など)は美しいのですが、日本は鎖国ですからね。
それに、そのときに出てくるシツコいほどの反復の文章表現は何なんでしょう。音楽的なのかな。同じ文章が何度も出てくるのです。
アレッサンドロ・バリッコはすべての物語には固有の音楽があるという。この物語の場合は“白い音楽”だそうな。なるほど、さすがは音楽学者らしい表現ですな。もしかすると、反復こそが音楽的魅力なのかな。
原作で、その目は東洋人のまなじりを持たず、顔は少女のそれだった…と表現されている重要な役どころの“少女”ですが、確かに神秘的で存在感はあるものの彼女で適役だったのかという気もしました。原作ではもっと、白人のような目(加藤ローサとかが近い?)をしています。それはともかく、わしにはそこまで惹かれるっていうのがわからない。不自然なものを感じました。
ただ、主人公エルヴェの…経験してもいないことが死ぬほど懐かしいっていう原作の言葉、これはわかる気がしますね。“少女”は幻想だったのかもしれない。そう思わせる映像にしたかったんだろうってこともわかります。極東の地の果ての日本での思い出=幻想ですよね。主人公はそれに取り憑かれて…その中に埋没していく。
セリフなどで過剰表現しないところがこの映画のいいところだとは思うのですが、この部分が弱いような気がしました。わしは観ていて主人公に感情移入ができなかったんですよ。これはツライですよね。誰にもできなかった。ほとんどの登場人物に(映画でも原作でも)実体がないといいいますか、曖昧ですからね。どこか空虚なのです。人物ではなく、そういう風のような“思い”だけに感情移入してほしいってことなのかもしれないけど、それは無理ですよ。観ているこちらとしては気持ちの行き場がなくなって…心が迷子になってしまう。もっとも、それこそがマイケル・ピット扮するエルヴェの心理状態だったのかもしれないけれど…。
『レッド・バイオリン』のときはバイオリンという存在があったからこそ新鮮だったという気もするのですが、人間の主人公がしっかりと存在する『シルク』では馴染めなかったということでしょうか。ここが大事だと思うわけです。
あるいは同じ“魂の旅”であっても、『シルク』の地理的な旅に対して、『レッド・バイオリン』の時間的な旅という違いでしょうか。重要なところですね。
ベースはエルヴェとエレーヌのラブストーリーです。特に、エレーヌの存在は大きい(キーラ・ナイトレイがよかった!)。唯一、エレーヌだけは(原作と比べても)血の通った人間として描かれていたかもしれません。
夫の幻想の中に生きつづけたかった妻…っていう気持ちもわかります。ただ、映画と小説では手紙の文章内容がなかり違うわけで、原作を読まなければよかったと思ってしまった…。何じゃこりゃですよ。限りなく淫靡というか淫奔であり、これがやりたかったのかって思ってしまった。小説全体はどこか気怠く、それでいて風のようでもあり…不思議な叙事詩ですね。
実をいうとわし、若いときにヨーロッパからシルクロードを通って日本に帰る計画をしたことがあったんです。だから、そういう映像がたくさん観られるのかと思った。ところが、そこがアッサリしていて…例のドンデン返しよりも驚きましたよ。
わしとしてはもっと、ロマンがほしかった。男のロマンの映画かと思っていたんですが、むしろ…男のナイーブな追憶映画。もしくは悔恨映画かな。あるいは…女性のある愛の形を示した映画でしょうか。
『シルク』は美しくて静謐でゆったりとした音楽のような映画という点では好きなんですよ。でも、映画全体としては…わし好みとはいえそうにありません。
結局、大好きな『レッド・バイオリン』のことをほとんど書いていませんね(笑)。でも。ときにはそんな映画日記もいいでしょう。ご容赦ください。
詳細は以下の解説をどうぞ。
http://matome.naver.jp/odai/2135982764507123601
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5627