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ゆきゆきて神軍で偲ぶもエ〜ガね

わしは迷っていました。この映画を観るべきかと…。ドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』のことです。渋谷の映画館の前まで行ってやめ…新宿の映画館の前まで行ってやめ…ついに上映が終わってしまった映画のことです。

わしが映画を好きなのは、おそらく…それが真っ赤なウソだからなのです。虚構の世界だからです。映画ってそういうものでしょう。ウソほどたのしいものはない。特にSFやファンタジーが好きなのも、大ウソをホントと感じたい。感じさせてほしいと願うからです。

しかし、ドキュメンタリーは違う。作為的にウソが混ざっているとしても…基本的にはホントのことです。だから…怖かったのです。『アクト・オブ・キリング』を観ることが…。
インドネシア大統領のスカルノがクーデターによって失脚し、その後に起こった大虐殺を…虐殺した人たちに演じさせる。加害者側から描くというその映画が、邦画の『ゆきゆきて神軍』に匹敵する秀作であることは想像できました。だからこそ…怖かった。観るのが辛かったのです。

http://www.youtube.com/watch?v=Mu68nD5QqP0

今、最もおもしろい映画の分野はドキュメンタリーかもしれません。しかし、実話であることを考えると…おもしろいといっていいのかと自己嫌悪にも陥ります。



さて、その『ゆきゆきて神軍』ですが…今村昌平の企画で、原一男監督による…反体制に生きる強烈な個性の男をフィルムに収めたものでした。観たのは大昔。30年ほど前でしたね。
恐ろしい映画でした。「知らぬ存ぜぬは許しません」がキャッチコピーでしたね。

http://www.youtube.com/watch?v=NbKmkzR-Nc4

その映画観賞よりもずっと前、つまり…わしが子どものころに地元の高齢者から、海の向うの戦地へ赴いたときの話を聞いた記憶があったのです。驚くことに、その高齢者は戦地で人肉を食べたというのです。
わしはウソだと思いました。子どもをからかっているのだと…。

しかし、『ゆきゆきて神軍』を観たとき、あのときの高齢者の話はウソではなかったのかもと感じました。
そうなんです。『ゆきゆきて神軍』の中では戦争当時のそういうことに対して、奥崎謙三は狂気を持って追求するのです。食べられたと想定される軍人の家を探し出し、その事実だかを家族に突きつける。「あんたの息子は食べられたんだぞ」と…。
また、それを命令したとされる当時の上官を見つけ出し、ズカズカと家に上がり込み責任を求め殴りかかる。「なんでお前は生きているんだ!?」と…。
そんな奥崎に元上官は、「戦地でのことは覚えていない。思い出したくない」と応える。確かそんなシーンがあったと記憶しています。

戦争によって生み出されたと思われる奥崎謙三。映画の内容とともに、彼の強烈なキャラクターに圧倒されたものでした。そして、ドキュメンタリー映画ってすごいと痛感したのです。

太平洋戦争というものが何だったのか、わしにはわからない。
ただ、戦場で亡くなった軍人の多くは餓死だったのです。それは事実です。食料がなくなり、飢えて死ぬとはどういう状況なのか。そうなったとき…人はどうなるのか。食べ物を得るために人は何をするのか。
子どものときは知らなかったものの…大人になるにつれて、そういうことを知りました。歴史の…その奥を知ればわかります。

それとも、すべては幻想だったのか。そうであればいいんですけどね。

6/23は沖縄慰霊の日でした。太平洋戦争末期の…旧日本軍の組織的戦闘が終結した日。言葉にするのも辛いけど、凄惨な地上戦だったのでしょうね。
そういえば、フィリピンのルバング島で小野田元少尉を見つけたのは…知り合いだった鈴木紀夫でした。彼とは“雪男”談義をしたものです。雪男がウソとはいわないけど、やっぱりそういう話のほうがいい。

次はそういうウソの映画話を書くことにして、今回は…さだまさしの「防人の詩」でも唄いながらピリオドとさせてください。

ノア 約束の舟に乗り遅れてもエ〜ガね

わしは迷っています。この映画の感想を書くべきか…と。ダーレン・アロノフスキー監督の『ノア 約束の舟』のことです。

http://www.youtube.com/watch?v=FsNe-mn7RVc

わしは好きな映画のことしかここに書かないことにしています。
では、この映画が好きかといわれれば…大きな疑問です。かといって、嫌いでもない。
この映画…大ヒットなんですか? 真面目で暗くて厭世的な映画が? 

昨今、おもしろいけれど内容を覚えていない映画が多い。あんなにおもしろかったのに…タイトルすら覚えていないということもあります。
それでいえば、この映画は反対です。特別おもしろくはなかったけれど、細部までハッキリと覚えています。わしにとって『ノア 約束の舟』はそういう映画ですね。何て妙な映画でしょう。

その昔、『十戒』というスペクタクル映画がありました。セシル・B・デミル監督自身の同名映画をリメイクしたものです。チャールトン・ヘストンがモーゼ役の主演で、紅海をふたつに割るシーンが大好きでした。何度観たかわかりません。
今回の映画がその種のスペクタクル映画かというと、そういう要素は当然あるものの…ちょっと違うという気がします。

キリスト教を扱った映画はたくさんあります。たとえば、『最後の誘惑』という映画がありました。マーティン・スコセッシ監督によるキリスト教信仰の映画です。
今回の映画がその種の…神と対峙する心の映画かというと、そういう要素は当然あるものの…ちょっと違うという気がします。

では、『ノア 約束の舟』はどういう映画なのか。よくわからないのです。そこが妙なのです。

旧約聖書の創世記、そこに書かれた「ノアの箱舟」は僅か数ページだったと思う。
神は悪に満ちた地上をリセットすることにした。神の教えに従って生きたノアに命じて箱舟をつくらせ、地上のすべての動物のつがいとノアの家族を乗せさせた。そういう話ですよね。

今回の映画は創世記の話に肉付けして脚色しているものの…実際にあった話かと思わせるような重く真面目なつくりです。石の“番人”など、マンガチックなところもありますけどね。
使命と苦悩…。ノアを演じるラッセル・クロウは真面目一筋で、使命のために突き進む。そこには苦悩もあり、それがサスペンス調でもあるんですね。ノアの家族の俳優陣もまっすぐに演じています。

正直、神の啓示…というのはよくわからない。神の大義というか…神から与えられた使命感というのも日本人であるわしにはピンと来ない。だから、ノアが神からの使命によって人間を…というのもよくわからないのです。
仮にこれが史実だとして、その頃の地球上の人口はどれくらいでしょうか。多くはないでしょう。とはいえ、リセットするんだから惨い話ですよ。
ノアと敵対するのがトバル・カインです。彼は人間として自分の意志で神に逆らい生きようとする。

なるほど、この映画はメタ言語ならぬメタメッセージということなんでしょう。おそらく、現代のわしらがそこから何を読み解くか…ということなんでしょうね。それを考えさせるための素材としての映画なんじゃないかと思うのです。

http://www.youtube.com/watch?v=LlBhSnwKVec
http://www.youtube.com/watch?v=EfVhKqM7aog

刑事ジョン・ブックを思い出すもエ〜ガね

先に『ブレードランナー』のことを書いたので、この映画を書かないといけませんね。
ハリソン・フォードが出た映画は『アメリカン・グラフィティ』や『スターウォーズ』や『インディ・ジョーンズ』などなどいろいろ観ましたが…もしかすると、これが一番好きかもしれません。それが『刑事ジョン・ブック 目撃者』です。

『刑事ジョン・ブック 目撃者』は1985年の作品で、監督はピーター・ウェアーでした。
http://www.youtube.com/watch?v=j6HqdBJ8oQs

都会に来ていたある少年が…事件の様子を目撃してしまう。実はこの少年とその母親は、特殊な生活様式に従って暮らしているアーミッシュだったのです。このことがきっかけで、ジョン・ブック刑事はアーミッシュの村に身を寄せることになる。
ところが、犯人はジョンの身近にいて…彼を暗殺するためにアーミッシュの村にやってくる。とまぁ、こんな話でした。

この映画が普通の刑事アクションものと違うのはもちろん、アーミッシュを描いている点です。詳しくはわしも知らなかったんですが、アメリカのどこだかには文明社会から離れ、厳格な規律に従って…まるで17世紀のような生活をしている信徒の一派があるのです。電気もテレビもない、とても静かな生活です。

日本にもアーミッシュのような人はいるんでしょうか。そういえば、南の無人島で全裸になって原始人のように暮らす爺さんをテレビで観たことがあるし、そういう人は他にもいるかもしれない。
わしも山へ行くとアーミッシュ生活に近い。でも、やはりわしは…都会でしか生きていけないだろうと思うのです。わしが山へ行くのは、再び下界(都会)で生き抜くためでしたからね。

アーミッシュの“静”と刑事アクションものの“動”。『刑事ジョン・ブック 目撃者』では相反するふたつがバランスよく同居していましたね。バランス、何事もそれが大事ですよねぇ。静かで力強い映画でした。
そして、一件落着のあとは、今までと同じように静かな風が流れ…今まで通りのアーミッシュの生活がつづいていく。まるで黒澤監督の『七人の侍』のラストのように…。

わしの好きな…忘れられない映画ですね。




ところで、2011年の7月からわしはプチ・アーミッシュに突入しているのです。
実は地デジ対応はせず、テレビのない生活が始まり…ずっと、今に続いています(笑)。
というわけで、ワールドカップ…サッカーも観られないのでした。日本の初戦はどうなるでしょうか。
観ていたものを観なくなることで見えてくるものもある。そのことにわしは気づき、ある種…何かを悟ったのかもしれません。

DVDラベル=刑事ジョン・ブック

ぼくのエリが隣に越して来てもエ〜ガね

製薬会社の高血圧治療薬に対する大学の臨床研究…。その論文作成に、その製薬会社側が不正に関わっていた問題…。
論文にいいことを書いてもらえば薬は売れる。製薬だって商売だというのはわしだってわかる。しかし、こういうデータ操作が許されるはずはない。


血液…という以外には脈略もないはずなのに、この映画を思い出しました。

なぜ思い出したのか、今になって気づきました。以前…ある製薬会社の仕事をしたとき、そこの人に「この映画いいよ」と熱く語り伝えたことがあったのでした。

http://www.youtube.com/watch?v=iifcR6wf0Z4

何年か前、DVDでスウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』を観ました。
画面からピリピリと空気の冷たさが伝わってくる。最初に感じたのが、ブリューゲルの風景画のようだということでした。この映画、ホラーであって同時に…ピュアなラブストーリー。やりきれない孤独を生きるエリとオスカーの哀しい物語なのです。

所はストックホルム。少年のオスカーはいじめられっ子で友だちもいない。隣にエリというナゾの少女が引っ越して来たが…実はヴァンパイア(吸血鬼)だった。
映画紹介でもここまでは書かれているので、触れてもいいでしょう。でも、これから観るのでしたら…読むのはこれくらいにしておいたほうがいいかもしれません。

監督はトーマス・アルフレッドソンで、原作はヨン・アイヴィデ・インドクヴィストの「モールス」です(脚本も原作者)。
オスカーとエリは部屋の壁をツートンツートン叩いて語り合う。原題はそのモールス信号のことですが、ふたりの心の交流の間に“壁”があることが重要なのでしょう。
ヴァンパイアは招かれないと部屋(心の部屋?)に入ることができないものらしく、映画の原題はそこに由来しているようです。

この映画は崇高な純愛ものだといえる。わしはそう思います。
でも、ひねくれた観方をすれば、エリは自分の世話をする優秀なアトガマを求めていただけといえなくもない。エリは怖い存在です。そのあたりの解釈は自由でしょう。
そのあたりも含めて、エリを演じた子は少女であり少年のようでもあり、ときには老成しているようにも見えて…まさに見事なヴァンパイアでした。
もちろん、オスカーを演じた子の瑞々しい演技も光りますね。

実はこの映画にはボカシがありました。『ぼくのエリ 200歳の少女』というタイトルですが、このサブタイトル部分はあえてでしょうが…正しくないのかもしれません。 というか、原作を読んだ人の情報によると…やはりそうなんですね。
セクシュアリティに関してですが、そこが重要なのかもしれない。でも、これ以上は触れないでおきましょう。

エリにとって生きることは殺すこと。そんな定めの中を生きてきたのです。オスカーはそれを知り、理解しようとする。エリを理解するのは弱いオスカーだけ…。それもまた…哀しい。
もしも、わしがオスカーならどうしただろうとマジで考えてしまいました。
この映画はホラーであってスプラッターであって、同時に…ピュアでイノセントなラブストーリーです。切なさに胸が詰まりますね。

デ・パルマの『キャリー』に通じるでしょうし、コーエン兄弟の『ファーゴ』や萩尾望都の「ポーの一族」を思い出したりもしました。
あるいは、東野圭吾の「白夜行」にも通じるかもしれません。




この映画はハリウッドでリメイクされました。そのことも併せて書いておきましょう。

http://morse-movie.com/
http://www.cinematopics.com/cinema/news/output.php?news_seq=11936

リメイク版は新宿のシネマスクエアとうきゅうで観ました。監督はマット・リーヴスで、タイトルは『モールス』です。

オリジナル版の原題が「LET THE LIGHT ONE IN」で、リメイクのは「LET ME IN」。
「正しい者は入れてください」と「入ってもいい?」って感じでしょうか。
ヴァンパイアが家に入るとき家人に聞くセリフで、「いいよ」といわれないと入れないのだそうです。

ヴァンパイア少女の名前がアビーに変わっていました。オリジナル邦題が『ぼくのエリ』だったものの…今回のを同じように『ぼくのアビー』とするわけにもいかなかったんでしょう。原作小説のタイトルに合わせて『モールス』です。

リメイク版は予想していなかったところからスタートしました。
いいぞって思ったんですが、結局は…ほとんど同じでしたね。つまり、ボーイ・ミーツ・ガールの切ないお話にスプラッター&ホラーがかぶさる。最後まで同じです。ちょっとハデになってるだけ。まったく同じ。

オリジナルでは気にもならなかったのに、リメイクでは「刑事がひとりで行動していいのかな」と思いました。やはり、同じようでも違うんですね。

オリジナルでは、クライマックスのあとにエリの表情がありました。でも、リメイクではそれを見せず、少年の希望に満ちた表情がある。
オリジナル以上に少年が強く出てるんですね。少年がいい。そういうところからしても、リメイクのほうが『ぼくのアビー』で、オリジナルが『モールス』というタイトルのほうが合うような気もしました。

観てない人は何のことかわからないでしょうが、プールでは少年の前をそれが横切る。隙間のスペースから考えて前は不自然と思っていたんですが、リメイクでは後ろに変えてましたね。
同じでありながら、そんなふうに細々とは変えてありました。そういう比較に一見の価値ありですね。

確かに、完全リメイクとしてよくできてました。 わかりやすいですしね。やはり、わかりやすさがアメリカ映画のよさでしょうね。
ただ、どうしたって…最初に観たほうに愛着がありますよ。クロエ・グレース・モレッツもわるくないけど、適役かというと…どうかなぁ。『キック・アス』のころに比べると大きくなりましたし、女の子過ぎる…かもしれない。
『キャリー』のリメイクにも出ていますが、この手の映画には…クロエはかわいすぎる気もします。

オリジナルを観て「わしがこの男の子ならどうしただろう。ヴァンパイヤといっしょに生きられるだろうか」とマジで考えましたが、リメイクはそこまでじゃない。「隣にかわいいけど怖いヤツが越してきた。どうしよう」くらい…かな。
わしはオリジナルのほうが好きですが、リメイクの『モールス』を先に観て、あとでオリジナルをDVDで観た人の意見を聞いてみたいものです。

いつか、『ぼくのエリ 200歳の少女』を映画館で観たいと思っています。
もう一度、エリに会って涙したいものです。

DVDラベル=ぼくのエリ
DVDラベル=モールス
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