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自転車泥棒にならなくてもエ〜ガね

わし、里親を募集します。
自転車を里子に出そうと思うんです。
バラバラにできるドロップハンドルの輪行用自転車です。
広島から京都、奈良、伊勢を通って豊橋まで走った思い出の自転車…。大町から糸魚川まで走った自転車。日光いろは坂を登った愛用の自転車です。

今、立川の友人のとこまで里子に出てます。マウスガードといって…つまり、種々のスポーツ用のマウスピースをつくって脚光を浴びている友人のところです。
もしも、希望者がおられれば…連絡くださいな。その友人の店舗まで自転車を引き取りに行っていただくことになりますけどね。


自転車といえば…大昔、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』という映画がありましたね。

http://www.youtube.com/watch?v=OXsVAqnvOVk
http://yanaisblog.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-2363.html

第二次大戦後のイタリアが舞台で、貧困の中でけなげに生きる親子を描いていました。父親は失業の末に、やっと映画のポスター貼りの仕事を見つける。でも、自転車を盗まれてしまう。自転車がないとまた失業するので、親子は自分たちで自転車を探すことにする。と、そんな話でした。
1948年のイタリア映画です。
詳しいことは覚えていませんが、レジスタンス映画といってもいいんでしょうね。

大昔、子どもが出てくる映画がいろいろありましたよね。イタリアには他に『鉄道員』があったし、スペインには『汚れなき悪戯』がありました。フランス映画の『禁じられた遊び』も有名ですね。
チャップリンの『キッド』もあるわけですが、これはいずれまた、ウダウダ語りましょう。

子どもたちは…貧しくてもしっかりと前を向いて生きている。そういう逞しさやいじらしさに胸を打たれた記憶があります。

それにしても、昔はしゃれた邦題がありました。今は…カタカナのタイトルばかりですなぁ。

DVDラベル=自転車泥棒


雪の女王のオリジナルを語るもエ〜ガね

「美しい映像と音楽がよかった」と『アナと雪の女王』が評判のようですね。わしはまだ観ていません。でも、オリジナルは観てますよ。
そもそも、『アナと雪の女王』がリメークだということを知ってる人は少ない気がする。

でも、アンデルセン童話の…幼なじみのカイを探すゲルダの物語とは違うんですね。キャラ名も違いますもんね。ということは…リメークではなく、リ・イマジネーションかもしれません。

『雪の女王』は1957年の旧ソビエト…つまり、ロシアのアニメで、スターリン死後の雪解け時代が反映されているといわれます。
雪の女王にさらわれたカイを探して、少女ゲルダが厳しい自然の中を旅する。そのいじらしくも一途な物語。監督はレフ・アタマーノフです。

この作品が日本にどれだけの影響を与えたか。
わしの想像ですが、のちの…高畑勳・宮崎駿の作品は違ってきたと思う。たとえば、これがなければ『太陽の王子ホルスの大冒険』は生まれなかったでしょう。
つまり、『雪の女王』は日本のアニメの道しるべのひとつだったわけですよね。

その昔、専門学校の講師をしていたとき、生徒数人とともにこのアニメを観に行きました。生徒たちはほとんど『雪の女王』に興味を示さなかったですね。そんなもんですかねぇ。過去があるからこそ今があるんですけどねぇ。きっと、源流には興味がないんでしょう。

雪の女王を敵と見なしてクライマックスは壮絶なアクションシーン…ってわけじゃないですからねぇ。そこがいいんですが、今の若者には物足りなかったんでしょう。

少女ゲルダの無私の愛と、畏敬を持って大自然を美しく描いた『雪の女王』…。
その精神を踏襲し、リ・イマジネーションとして再生した『アナと雪の女王』だと思うのですが、これに関しては観てから書きましょう。

映像が何もないのは淋しいので、ユニークなのをひとつ載せておきます。いいよぉ。
http://www.youtube.com/watch?v=6Dakd7EIgBE


僕の大事なコレクションにするもエ〜ガね

DVDで観た『僕の大事なコレクション』の話をしましょう。

http://matome.naver.jp/odai/2137107451227253801/2137113194451726203

まず、タイトルバックに流れる…懐かしく哀愁に満ちた音楽に引き込まれました。
過去は過去にすぎないのか。そんな言葉から、この奇妙な映画は語られるのです。その瞬間、わしはこの映画が好きになると思いました。映画はだいたい、最初の3分くらいのイントロを観ればわかる…というか、決まりますよね。

主演は『ロード・オブ・ザ・リンク』のイライジャ・ウッド。脚本と監督は…驚いたことにリーヴ・シュレイバーという性格俳優です。いろんな映画に出てますよ。これが初監督作みたいですね。2005年の作品です。
ジョナサン・サフラン・フォアの小説が原作で、イライジャ・ウッドがその作者の役ということなのです。 小説とはいっても、自伝的な要素もあるのでしょう。

主人公のジョナサンは、小さいころから家族にまつわる品をコレクションするのが趣味の変わった青年。部屋の壁中にコレクションを貼付けています。
余談ですが、わしも子どものころはお土産をもらったりすると、その袋とかをコレクションしてました。他の人から見れば、ただのゴミだったでしょうけどね(笑)。

わしのことはともかく、ジョナサンはコレクションの1枚の古い写真に秘められた記憶を求めて、先祖の地ウクライナ(今は情勢が不安定な…あの国)を旅するのです。通訳兼ガイドの青年(ユージーン・ハッツ)とその祖父(ボリス・リスキン)と一緒に…。
最初はコメディかと思いましたよ。基本的にはルーツ探しのロードムービーですね。

記憶の奥底に埋もれるものは何でしょう。記憶は老人の玩具に過ぎないのでしょうか。いや、過去の上に今があるはずなのです。心の奥底にあって、今に光を与えるものこそが記憶ではないでしょうか。ゆえに、記憶は…過去は大事なものなのです。

そういう感じの映画ですね。これ以上は書かないほうがいいかな。
あまり一般向きの映画ではありません。ですからお薦めはしません。でも、いい映画です。興味があればご覧ください。
といいますか、この映画を観た人はほとんどいないでしょうねぇ。

わしは映画を観ながら「わしだったらどんなふうにつくるだろう」とかって考えてしまうクセがあります。この『僕の大事なコレクション』を観て、「わしもこんな映画をつくりたいな」なんて思いました。

こうして書いている映画はぜんぶ…わしにとっての大事な宝物、コレクションですのぅ。


ところで、DVDに付いていた特典映像も観ました。そこには未使用の映像があったんですよ。オープニングとエンディングのお金のかかった別バージョン。でも、その映像は使用しなくて正解だったと思う。 なぜなら、せっかく地味に小さく温かくまとまってるのが豪華になるとピントがボケてしまうからです。

千利休が茶室に花を生けて豊臣秀吉を迎えるとき、外にある同じ花をすべて摘み取ったという話があります。その話を思い出しました。つまり、映画での編集の大事さを痛感したのでした。

ウクライナの美しくのどかな田園風景が出てきたせいなのか…鶴瓶が医者の役を演じた西川美和監督による『ディア・ドクター』をなぜか思い出したりもしたのぅ。


しみじみ思う。今日という日は、これからの人生のスタート日…。そんな気持ちで生きたいものですのぅ。
かくいうわしゃ…のぅといえる日本人じゃけんのぅ(笑)。

テラビシアにかける橋を渡るもエ〜ガね

「埼玉発 おとなの小探検」というたのしいブログを見つけました。あちこちを探検して紹介している。こういうの…いいですね!
東京は広い。八王子市郊外の北浅川ってどこだろう。そこには住民による手作りの“流れ橋”があるそうな…。自転車1台が通れるくらいの小さな橋だという。
勝手につくった違法の橋なのですが、それもまたたのしそう。そして、わしはそれを知り『テラビシアにかける橋』を思い出したのです。

http://www.youtube.com/watch?v=953POiAysh8

ファンタジー映画におけるCGについて、わしは思うところがあるのです。
映画技術としてのCGはすばらしい。長生きはするもんだと思うほどです。でも、想像する部分をダイレクトに映像で見せることで、逆に想像を狭めていることにもなるんじゃないでしょうか。わしは常にそういう疑問を持っています。

その昔、『テラビシアにかける橋』を観ました。『テラビシア〜』は…厳密にはファンタジー映画ではありません。空想の絵を描くことが好きなイジメられっ子の少年=ジェスと、お話を考えることが好きな個性的な美少女の転校生=レスリー。このふたりが森の中に『ナルニア』のようなファンタジー王国=テラビシアを仮想し、空想世界の中でふたりは王と王女になる。そういうストーリーです。
でも、ファンタジーではなく、軸足はあくまでも現実にあります。現実の映画なのです。 子どもが主役の子どもの世界の映画ってことでいえば、『スタンド・バイ・ミー』とかの部類なのかもしれません。

『テラビシア〜』のふたりの子役がとてもいいですね。適役だと思います。主人公のジェス役を新人のジョシュ・ハッチャーソンが瑞々しく演じています。未見ですが、後に『ハンガー・ゲーム』にも出て俳優としてがんばっています。
そして、レスリー役を演じるのが『チャーリーとチョコレート工場』のわがまま娘や『リーピング』で奇跡のイナゴ少女だったアナソフィア・ロブです。快活なアナソフィアが何とも魅力的で、ユニークでキュートなファッションとともにとても気に入りました。彼女はこのあと、あまり映画に出てないみたいですけど…。
大人の俳優陣もよくて、子ども向け映画に終わっていないところがいいですね。監督はガボア・クスポです。

映画ではテラビシア王国に危険をもたらす怪物たちも登場し、それと戦ったりというハデな場面をCGで表現しています。『ロード・オブ・ザ・リング』のWETAデジタル社の担当です。CGがなければ、映画として地味になってしまったでしょう。でも、わしはここに疑問を持ってしまう。ふたりの子どもがまったく同じビジュアルをイメージするなどあり得ないからです。しかも、絵を描くジェスではなく、文章を書くレスリーが先にイメージしたりする…。そこに少し違和感を持ちました。
予告でもそのCG部分をアピールしているために、『ナルニア』タイプの冒険ファンタジー映画だと思った人も多かったのではないでしょうか。

原作の児童書ではそこをどう表現しているんだろう。それを確認するためにキャサリン・パターソン(岡本浜江/訳)の『テラビシアにかける橋』を読んでみました。


以下、映画と原作の内面に入ります。実はジェスとレスリーのこの物語は…実際にあったことがベースになっており、そのことにも詳しく触れてしまいます。
どうぞ、ご容赦ください。


やはり…原作では、まったくでもないんですが、そういうCGを必要とするほどのハデな場面はほとんどといっていいくらいありませんでした。ふたりの秘密のその場所=テラビシアで、文才のあるレスリーが王女のような詩的な言葉を語ったり、そういう振舞いをしたりっていうくらいなのです。ジェスも彼女に合わせようとするのですが、彼はそんな詩のような言葉など知らない。耳をすますと、レスリーがいうようにそこが別世界に思えてくる。ジェスはレスリーに憧れる。あくまでも、空想好きな変わった10歳の子同志の(映画では11歳の)ゴッコの世界なんですね。でも、そこにはふたりだけの世界がある。

テラビシアで、レスリーはジェスにいろいろなお話を聞かせるのですが、そのときにジェスは思う。以下に、その部分を原作から書き写してみましょう。

「レスリーの話を聞くのは、いつだってたのしい。いつか、もしできたら、レスリーにそういう話を本に書いてもらって、自分にさし絵をかかせてくれるように、たのんでみよう。」(岡本浜江/訳)

すごくわかる。絵が好きで純な少年。彼の少女を思う切なくもしあわせな気持ち…。この部分は映画ではほとんど触れられていないのですが、そういう話なのです。

思えばわしも子どものころ、山に入り、いろいろ空想して遊んでいました。弟とふたりで“ツッカケ探検隊”とかいってね。木の実を採ったり崖を登ってイワマツ取りとか、冒険でしたね。仮想の敵を思い描いたり、木の上に家をつくったりもしました。毎日のように絵を描いて、山で遊んでいたわしの少年時代と、ジェスの行動はほとんど同じです。
ただし、レスリーのような魅力的な少女はそばにいなかった(笑)。

歳をとると涙もろくなりますね。わしは映画を観て泣いて、原作本を読んでまた…泣いてしまいました。


もしも、真っ白い気持ちで映画(DVD)をご覧になりたい人は…以下を読まないほうがいいかもしれません。くれぐれも、ご注意くださいね。

ラストは悲しい話です。涙が出ます。だから嫌いだという人もいるでしょう。
でも、これでいい。実は…ジェスとレスリーにはモデルがいるんです。これは現実に起こった事故(実際は落雷だった)がベースになっています。そのことを書いたんです。
この本を書いたのはジェスのモデルとなった少年のお母さん=キャサリン・パターソンです。『テラビシアにかける橋』は、レスリー(のモデルの少女)が亡くなったことを悲しむ息子を勇気づけようと母親が書いた本だったのです。そのことを知れば、活劇ファンタジーではなかったことに失望した人も、こういうラストでなければならなかったことに理解を示してくれるでしょう。

ジェスのモデルとなった実際の少年はデビッド・パターソンといいます。母親のキャサリンが本の最初に「デビッド・パターソンに捧ぐ」と書いたら、デビッド少年が「ガールフレンドの彼女(レスリーのモデルとなった少女)の名も入れてほしい」と懇願したそうです。ですから、本の冒頭には「デビッド・パターソンとリーサ・ヒルへ」とあります。
泣ける話でしょ?  わしはもう、それだけで泣けてしまう。

そして、さらにさらに驚くべきことに、この映画『テラビシアにかける橋』の脚本は…大人になったデビッド・パターソンが書いているのですよ! これこそ、感動的な話だと思いませんか!?

お母さんのキャサリン・パターソンは『テラビシアにかける橋』の最後あたりでジェスにこういわせています。

「いまこそ、このぼくが、うごきだすときなのだ。レスリーがいないから、ふたり分やらなくてはならない。レスリーがおいていってくれた想像力と体力で、この世界を美しくいたわりのあるものにできるかどうかは、このぼくにかかっている。」(岡本浜江/訳)

苦しみと絶望の谷は、いつか希望の門に変わる。そこに橋があるならば(ヘブライの予言者ホセアの言葉より)。

いいですね、いいですね。心が熱くなってきますよ。
少年の少女を思う気持ち。母親の息子(少年)を思う気持ち。大人になった少年の…思い出の中の少女を思う気持ち。悠久の時の流れ…。
本や映画ができたいきさつそのものが感動的です。この作品は…そういうことを知った上で観るといいのかもしれませんね。知って観れば、味わいもまた違うでしょう。


この映画にCGは必要だったんだろうか。わしは考えました。
本は本として完成であり、何も必要ない。文章で表現されていれば、読者はそれを理解し空想できる。想像力さえあれば、もう…無限大ですよね。
映画にするには…やはり、空想場面を絵として表現するためにCGが必要だったのでしょう。『テラビシアにかける橋』では味付け的にCGを使っているわけですが、それがこの映画の見事なところであり、そこが映画としての限界でもあるのかもしれません。

http://www.youtube.com/watch?v=Gh7xJ-q8iTw
http://www.youtube.com/watch?v=HmuCpWbn1pM
http://www.youtube.com/watch?v=l7GsjNzrw2Q

というわけで、映画探求が大好きなネコ爺でした。

DVDラベル=テラビシアにかける橋

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