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ゴーストライターにつなぐもエ〜ガね

「マカラが死んだいきさつを聞いたとき、すぐにでも断るべきだったのだ」という文章で始まるロバート・ハリスの原作を…映画ではどう再構築したのか。今回はロマン・ポランスキー監督の『ゴーストライター』のことを書きましょう。

http://www.youtube.com/watch?v=mp7Qy0ZxZhs 

考えてみれば、わしはロマン・ポランスキーの監督作品を数多く観ています。特に大好きってわけでもないはずなのに…。
振り返ってみると、作品に共通するものがありますね。多くが巻き込まれ形のストーリーだという点。真実は見えない闇の中にあるとばかりに観客に想像させる点など…。たとえば、肝心の赤ちゃんを見せずに「母親の愛に勝るものは天国にも地獄にもない」というナレーションが入った『ローズマリーの赤ちゃん』など、忘れられません。もし、赤ちゃんを見せていれば陳腐な映画になったでしょう。
見せないのは制作側の自信であり、きっと、観客の想像力を信じているんですね。

純粋でありながらも…どこか屈折した印象を受けるという点もあります。もっとも、これはわしの勝手な解釈ですけどね。


今回の『ゴーストライター』も、ポランスキー色がよく出ていました。
これから観る人もいるでしょうから種明かしはしませんが、許される範囲で書いてみましょう。

灰色の空。フェリーでの空車。海岸の遺体。それらが同じテンポで静かに映し出されます。何やら意味ありげで、不安にさせる。美しくて…怖い。そこにヒッチコック風の音楽が流れる。
わしはイントロから引き込まれ、目が離せませんでした。
客観的な冷めた映像だと思うのですが、現実にはおそらく…こんな感じではないでしょうか。淡々としている。そういうところが逆にリアルでしたね。

イギリスの元首相の自叙伝を執筆していた前任ゴーストライター、厳密には首相の元補佐官だったマカラという人…の後任として主人公は雇われる。マカラが書いた初稿をリライトするよう依頼されるのです。いわば、ゴーストライトのゴーストライティングですね。
元首相を取材し過去を調査して執筆をまとめていくうちに、前任のゴーストの足跡を辿り…いつしかゴーストのゴーストになって、そこに隠された政治的陰謀の中に飲み込まれていく。とまぁ、そんなお話です。

どんな世界だって裏があり、知ってはならない闇がありますよね。

主演のゴーストライターにユアン・マクレガー。イギリスの元首相にピアース・ブロスナン。元首相の妻にオリヴィア・ウィリアムズ。秘書にキム・キャトラル。音楽はアレクサンドル・デプラ。

決して暗く重苦しい映画になっていないのは…脚本もあるでしょうが、俳優陣のうまさも大きいと思いました。ユーモアもありますしね。
ユアン・マクレガーが名もないゴーストライターの悲哀と職業的野心を好演しています。巻き込まれて行く役がよく似合う。また、007だったピアース・ブロスナンがいい味で傀儡的な元首相を演じています。もしかして、モデルはブレア首相かな。 
そして、ふたりの女優がいいですね。存在感のある老人もよかった。

そこにはアメリカが関わってきます。舞台も、イギリスから…元首相の別荘があるアメリカの島に移るのです。
原作通りですが、そこは映像として…あまりアメリカっぽくない。もちろん、季節はずれということもあるでしょうが、どんよりとした重苦しい空。太陽なんてまるで出ない。雨が降ったりもする。海風に吹かれて落ち葉掃除もままならない。寒そうです。まるで、イギリスの田舎町のような空気感なのです。

当然、これは演出でしょうけど、実際にアメリカでは撮影できずにイギリスで撮影したという理由もあるのかもしれません。いや、これは想像ですよ。でも、ロマン・ポランスキーはアメリカでは撮影できない(例の事件以来アメリカの地に渡れない)わけですから、おそらくイギリスでの撮影でしょう。
もしかすると、アメリカでの場面にはアメリカらしくするために合成やCGも使われていたのかもしれません。

ゴーストの話ですが、そういうところも含めて…監督自身が地に足をつけられないゴーストでもあるような思いもかぶさり、ダブルで深みを感じたわけです。見えるものを信用せずに闇に目を向けろと映画がいってるようで、わしもつられて深読みして監督の闇の部分を意識してしまうのでしょうか。

でも、ネットでググッてというところは…おいおいって感じで、ちょっと笑いましたけどね。

観終わって…ふと、黒澤映画の『悪い奴ほどよく眠る』を思い出しました。両作を観た人なら、なるほどと思うかもしれません。
『ゴーストライター』は国際政治サスペンスとしてよくできていると思います。おもしろかった。映画なのに…映画のような話というより、もしかすると事実ではないかと思える怖い話でした。真実味がある。現実にあり得るって気がしたのです。
ラスト、そこには“ある組織”がしっかりと関わっていたことが明かされるわけですが、闇はどこまでも深く、首相の別荘で風に舞っていた落ち葉のように…ナゾはナゾのまま真実は葬り去られるのでしょう。

わしはDVDの日本語吹き替えで観て、あとで英語でのオリジナルでも観ました。そこで気になることがありました。オリジナル版では遠くて何を話しているかよく聞こえないような会話の場面を、吹き替え版ではちゃんと聞こえるようにしてるんですね。
わかりやすくするための配慮でしょうが、想像の範囲を狭めている気がします。聞こえないからこそ不安…ということもあると思うからです。映像で表現するという制作側の意図があるし、この映画はそういう作品だと思う。

決してわかりにくい映画ではありませんが、確かにアメリカ映画のように単純明快なわかりやすさはありません。表面は単純でも奥が深い。ヨーロッパ映画ですしね。イギリスだからヨーロッパ映画といってはいけないのかな。でも、ポランスキーはポーランドの監督ですからね。

『ゴーストライター』は大作ですが、この種のアメリカ映画に比べれば地味ですね。アメリカ映画のようなハデさはなく、アクションも生々しい殺人シーンもほとんどありません。それを求めて観ると物足りないかもしれません。
ですから、観客は映し出されていない画面を想像して…観る必要がある。映像がイメージを広げてくれます。あの場面では“ある組織”が裏で糸を引いて彼にそうさせたからこうなったに違いない…とかって感じ。海中にあって見えない氷山をイメージするようなもので、そこがおもしろいと感じるかどうかでしょう。

早めのテンポながらも古風だし、変調もなく淡々と映し出されるので、きっと退屈に感じる人も多いでしょうね。そこにこそロマン・ポランスキーらしい作家性があるわけですが、そこが賛否両論というか、好みの分かれるところだろうとも感じました。

砂の器で作曲してもエ〜ガね

サムラ・カワチノカミと読むのかと思っていました。例の音楽プロデューサーのことです。サムラゴーチまでが苗字だったんですね。

そして、今回の騒動で思い出したのが『砂の器』なのです。原作/松本清張、脚本/橋本忍&山田洋次。監督/野村芳太郎による1974年の作品ですね。
原作の部分を膨らませて、見事な映画にしていました。

http://www.youtube.com/watch?v=xEcAEB5s4lM

迷宮入りしそうな殺人事件を…ベテラン今西と若い吉村というふたりの刑事が追う。被害者が残した東北弁らしき言葉。捜査線上に浮かんでくる天才音楽家…。『砂の器』は必見もののサスペンス映画です。
特筆に値する音楽の扱い方でしたね。そこにかぶさる映像もすばらしかった。後半は映像と音楽だけなのです。この手法は『2001年宇宙の旅』にも通じるものでした。

『砂の器』の主人公は音楽家=ピアニスト(演ずるは加藤剛)で、確か名前は和賀英良といいました。彼は自身の音楽の中で…生きている。思い出の中の風景はどこまでも美しく、そこには父親がいる。その昔、わしは泣きながら観ましたよ。今観ても泣いてしまうでしょう。

自然風景を眺めながら…なぜか、“廃仏毀釈”という明治維新の仏教破壊運動を思い出したりもしました。
明治の新政府が神仏分離によって神道を拠り所にしたことで、脱亜入欧の考えを持つ日本人は仏を捨ててしまったのだという。もしかするとそれは、日本人が日本の心を捨てるという行為だったのかもしれない。
神道はもちろん、仏だって日本人の心の礎なのだ。心の文化なのだ。それによって日本ができていったのではないか。

いやいや、わしが思い出したのはそういうことではありません。
『砂の器』の和賀英良の子どものときの本当の名前は確か…秀夫というのですが、彼には音楽的素養というものがなかった。家には当然、ピアノなんてない。ところが、彼は大きくなってピアニストになり作曲をしている。
彼を追求する今西刑事(演説演技の上手な丹波哲郎)は調査報告の席で「京都の烏丸教授に音楽の天分を見出されて…」とかって軽くいう。
わしはずっと疑問に思っていたのです。そんなことがあり得るだろうかって…。
もっとも、原作小説ではピアノではなく、シンセサイザーなんですけどね。


サムラ・カワチノカミの件ですが、このことを思い出したのです。
『砂の器』と同じく、彼の家にはピアノがなかったらしい。それなのに、絶対音感を頼りに譜面を書くなんてあり得るだろうかって思っていたのです。
彼が…ゴーストライターと呼ばれる実際に作曲する人に渡した「設計図」、わしはそれに興味を持ちました。音楽を絵で表現することは不可能だと思うのですが、図で(見事に?!?)イメージされていたからです。
それにしても、ゴーストライターを訴えるというのは妙な話ですね。
彼はあくまでも芸術家でありたくて、だからこそそれを演出したんでしょう。音楽プロデューサーとしてなら後世に名を残せたでしょうにねぇ。

惑星ソラリスへ行くもエ〜ガね

映画観賞と読書はまったく別のものです。ところが、まるで読書するように観る映画があったのです。いつしか、自分の思い出と同化している。それがタルコフスキーの作品でした。
今回は昔観たアンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』のことを書きましょう。

http://www.youtube.com/watch?v=czUUOKIepYc

『2001年宇宙の旅』を書いたときから…この映画を取り上げなくちゃと思っていました。どこというわけではないのですが、通じるものがあると感じたからです。

旧ソビエト(現ロシア)のタルコフスキー作品はタルい。地味で長くて、眠くなります。国策なのか登場人物の笑顔さえもありませんしね。
母国への思いを込めた『ノスタルジア』や核戦争を背景とした『サクリファイス』を含めて、わしは若いときに眠気と戦いながらタルコフスキー作品を観たものです。でも、爺さんになって考えてみると、あのタルさは寺で聴く読経にも似て…心地よかったのだと思うのです。

『惑星ソラリス』はスタニスラフ・レムのSF小説が原作で、映画では前半の地球での話と、後半は宇宙船で向かった先の…ソラリス上空の観測ステーションでの話に分かれていました(テレビ放映の際は前半部分を大幅にカット)。
地球での撮影では、東京の高速道路が未来都市として使われていましたね。日本は旧ソビエトと同じく車が左側通行だし、都合がよかったんでしょう。でも、夜景はともかく「高崎行き」とかって日本語の標識くらいは消してほしかった。

観測ステーションでの話はとても興味深い。
ソラリスは海の惑星で、それが理性を持っているのです。海は“脳”なのです。
人間へのサービスなのか、試しているのか、理解したいのか。どういう理由かはわかりませんが、その海が…人間にいろいろなものを見せるわけです。たとえば、それは…亡くなった子どもとか、亡くなった奥さんだったりする。そういう実体が観測ステーション内に現れるのです。乗員の心の奥底にあるものを海が読み取って…形にしているんでしょうね。
もちろん、本物ソックリだけど、本物の子どもや奥さんじゃない。怖いですね。映画はそういう…海と主人公クリスとの接触を描いています。

この映画はスティーヴン・ソダバーグ監督によって、ジョージ・クルーニー主演でリメイクされました。でも、わしはオリジナル映画のほうがずっと好きですね。
『ベルリン・天使の詩』のリメイクもそうでしたが、アメリカ映画になると…ハデになってその反面、薄くなってしまいますね。

次にタルコフスキー監督がつくったのが、ストルガッキー兄弟の「路傍のピクニック」を原作にしたSFの『ストーカー』でした(現在使われるストーカーとは別の意味)。
水をモチーフにしているところやラストの表現などは『惑星ソラリス』に通じるかもしれません。この映画のことは改めて書きましょう。

ともかく、わしは『惑星ソラリス』が忘れられません。わしの心の奥の奥にしっかりと根付いているようです。きっと、血となり肉となっているんでしょう。
おもしろく観たけどタイトルすら覚えていないという映画とはまったく反対。眠くなるほど退屈と紙一重だったのに…しっかりと記憶の中にある。
不思議なものですね。

原作とは少し違うようですが、わしは映画のラストが大好きです。わし自身の夢とも同化してしまっていて、今でもわしは…映画のラストのような夢を見ます。いや、映画よりも夢のほうが先だったのかもしれませんけどね。たとえば、新宿のビル街の角を曲がるとそこに…山や田畑がいっぱいの郷里が出現するというような夢です。そこには廃屋となった懐かしい我が家があるのです。そこには亡くなったはずの両親がいたりする。 映画のラストと似ているのです。

こうなったら、映画のラストを書いてしまいますね。
理性を持った海が…人間にいろいろなものを見せるわけですが、ラストでは海に島ができる。海がそういうことをするわけです。クリスはそこへ行く。そこは主人公にとって懐かしい場所で…水が流れていて家があって…地球へ戻ったかのように何もかもが懐かしい。


わしはふと思いました。
もし、3・11で被災した人たちがソラリスに行ったら、海は何を見せるだろうかって…。
亡くなった人を見せるのだろうか。
東北の県の形をした島を浮かべるのだろうか。
なくなった町並みを再現させて見せてくれるのだろうか。
不謹慎な想像かもしれませんが…そんなことを考えてしまったのです。

この日を忘れることなく、亡くなった方の冥福を祈り…被災地には復興を願うばかりです。
http://www.youtube.com/watch?v=NSBjEvPH2j4

プルガサリを知ってるもエ〜ガね

アカデミー賞の受賞で、作品賞と監督賞がバラけましたよね。近年はそういうのが多いような気がする。
深く重要なテーマで、表現が新しくおもしろいこと。それが映画に求められていると思うけど、両方を併せ持つ映画が少なくなってるんでしょうね。だから、深く重要なテーマの映画として『それでも夜は明ける』が作品賞に選ばれ、新しくておもしろい映画として『ゼロ・グラビティ』が監督賞他たくさんを受賞したんでしょう。

『それでも夜は明ける』をプロデュースしたブラピも受賞できてよかったですね。
『ゼロ・グラビティ』に関しては…わしのこのブログの1回目に書きました。ですから、感慨深いですよ。

それにしても、気の毒なのが『アメリカン・ハッスル』ですな。
スピルバーグ監督が若い頃、『カラー・パープル』で10コくらいノミネートされて、『アメリカン・ハッスル』と同じく1コも取れなかった。監督が真っ青になっていたときのことが思い出されましたよ。



さて、今回は『プルガサリ』です。知らない人も多いでしょうね。
日本海をはさんで、ミサイルの発射実験とかをしている国の映画です。数年前、指導者が新しくなりました。そうです。北朝鮮です。

http://www.youtube.com/watch?v=PngYm36qFkQ

その昔、北朝鮮製作の『プルガサリ』という怪獣映画を観ました。出演はチャン・ソニとかハム・ギソプとなっていますが…もちろん、知らない俳優です。脚本/キム・セリョン、監督/チョン・ゴンジュ…だそうですが、その上には当然、製作総指揮として金総書記がいたでしょう。総書記の映画好きは有名ですからね。

わしはこの『プルガサリ』を[キネカ大森]という映画館で観逃して、あとになってやっとビデオを見つけ出して観たのでした。よかったですよ。親近感が湧いたというか、ちょっと北朝鮮のイメージが変わりましたね。

時の権力者の横暴によって虐げられる人民…。自分で作った米粒人形に願いを託して死んでいく老人。その人形に魂が宿って、プルガサリという巨大な牛のような怪獣になって弱い人々を救う…という、まるで『大魔神』のようなお話でした。 あいまいな記憶ですけどね。

この映画、実は東宝の『ゴジラ』の特撮スタッフが北朝鮮に招かれて…制作に協力しているのです。何せ、着ぐるみのプルガサリの中に入って演じたのは…ゴジラに入っていた薩摩剣八郎なのですから…。

『プルガサリ』は土着性のあるほのぼのとした映画でした。こんな温かい映画を製作するんだから、この国を統治している人たちもきっと根はわるくない。話せば通じる人たちでは…と思ってしまったわしは甘いのか。でも、そう信じたい気持ちになったものでした。

http://www.youtube.com/watch?v=QGI3bV9_E3U

拉致の問題など、とんでもない話ですよ。気の毒でかわいそうで…胸が詰まります。
ただ、日本から見れば…独裁者による人さらいのならず者無法国家になるけど、(いじめた側よりもいじめられた側はいつまでも忘れないように)北朝鮮も、南北に分断させられた被害者だって意識もあるでしょうからね。その憎しみをバネにしてるってことでしょうか。そういう方法でしか、存在意義を見い出せないのかもしれない。
エラソーなことはいえないし政治的なことはよくわからないけど、気の毒な一面もないとはいえない。とはいえ…。同じアジアの隣の国なんですけどねぇ。
瀬戸際外交というのか、北朝鮮もそういう外交しかできないところまで追いつめられているんでしょう。
それが…新しい指導者になっても踏襲されている。そういうことなんでしょうね。


ロシアとウクライナの問題にしてもそうですが、いつの時代にも諍いがある。
果たして、人類が地球を治めるようになってから今日まで…差別も内乱も戦争もない平和な時代はあったでしょうか。
おそらく、なかったに違いない。

だからこそ…おそらく、アカデミー会員たちは明日の人類に希望を込めて『それでも夜は明ける』を作品賞に選んだんでしょうね。作品の質的なことはいわずもがなですが、そういう思いもあったのではないかと思うのです。
それでも夜は明ける…。そう信じたいものですよね。
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