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最高の人生の見つけ方で乾杯するもエ〜ガね

こんにちは。改めて書いておきます。
「ネコ爺のウダウダ映画日記」は2013年12/14にヒッソリとスタートしました。
ここで…大昔に観た大好きな映画(ビデオ&DVD含む)をメインにウダウダ書こうと始めたんです。ときには新作や、まれには個人的なことも含めてアレコレとナガナガ語ります。
何を書くかはそのときの気分。文字が多いので読むのはタジタジと思いますが、月に5回くらいしか書きません。今回は前のつづき(?)で『最高の人生の見つけ方』ほか…なのです。


何事もバランス感覚が大切ですよね。
未来と過去のバランスもあると思うんですよ。
未来がいっぱいの子どものときは振り返る過去は少ない。
でも、高齢になって過去がいっぱいになると過去ばかりを振り返るようになる。
いくつになっても、少ししか未来がなくても未来を見ることができる人…
そんなバランス感覚の持ち主はすばらしいと思うわけです。
過去の中に忘れた未来があったりもしますからね。

とはいえ、不治の病の場合は事情が違うかもしれません。
ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが共演した…ロブ・ライナー監督の『最高の人生の見つけ方』はそういう映画でした。ガンによって余命半年と宣告された老人ふたり。彼らは意気投合して、やり残したことをするために冒険の旅に出る。そして……っていう物語。
どちらも好きな俳優ですが、ふたりの共演は珍しいですね。
“死”がテーマなのに明るい。楽しい。笑いがある。どんなときでもユーモアを…ですね。映画全体に、最後の最後までそれがあるところがすばらしい。
『死ぬまでにしたい10のこと』という映画でも死ぬまでに何をしたいか書いていましたが、この映画も同じでしたね。「棺桶リスト」とかいってたかな。
前向きなのか前のめりなのかわからないけど、『最高の人生の見つけ方』は豪快で痛快で…切ない作品でした。かくありたいものです。
でもまぁ、お金がたくさんあるからそういうこともできるんじゃないかって気もしましたけどね。お金がないと死ぬこともできないですからね。笑い話のようですが、ホントに…。
ちなみに、ロブ・ライナーは『スタンド・バイ・ミー』の監督ですね。
http://www.youtube.com/watch?v=P6KFTeI1gnQ
これだけ観ても、最高の映画だと思ってもらえるでしょう。

この種の映画には必ず「人は人に生かされている」とか「人は人のために生きている」みたいな教訓めいたものがありますよね。

同種の『人生に乾杯!』というハンガリー映画もそうでした。ガーボル・ロホニという人の監督作で、簡単にいえば81歳と70歳の年金受給の老夫婦が銀行強盗をする話。背景には『オーケストラ!』のような政治的なものもあったりします(と感じた)。
ヨーロッパの田舎道での警察との追跡劇もあるわけですが、ハイテクを駆使するハデなアメリカ映画と違ってのどかです。でも、のどかっていうのは遅れているんじゃなく、人の心のゆとりなのかもしれない。豊かさかもしれない。そんなことも感じました。
『人生に乾杯!』には若い人が出る映画のようなピチピチキラキラ感はないものの、これもまた痛快な作品でした。
これまで高齢者映画を敬遠していたんですが、しみじみとよかったですよ。地味だけど…とても輝いてました。
音楽を聴いて『パリ・テキサス』を思い出したりもしました。
http://www.youtube.com/watch?v=U-x1z110X58


若いときにこれらの高齢者映画を観たなら、爆笑だったでしょうね。だって、滑稽ですもん。でも今は…苦笑い、笑えるというより身につまされるって感じですかねぇ。 わしもそういう歳に近づいたんですねぇ。

それにしても、人は何に向かって生きるんだろう? 幸せ? 幸せという幻想? 人生が終わっても輝きつづけるものって何だろう? 人と人とのつながり? その思い? 思いの重さ、深さ、ありがたさ? 
何にしても、未来の先に“終焉”があることだけは確かですよね。

『エンディングノート』という映画もありました。“段取り命”がモットーだったモーレツ社員のお父さんが定年退職する。これから第二の人生ってときにガンが見つかる。お父さんの最後の仕事は、自分の死を段取ること…。
それを実の娘の砂田麻美監督が記録した…涙と笑いのヒューマンドキュメンタリーが『エンディングノート』でした。
http://www.youtube.com/watch?v=vBizbyqhF6M

豊かな人生ってなんだろうって思います。最高の人生って何だろう。結局、プラス思考っていうのか、自分で自分をシアワセと思える人の勝ち! そう思える人は豊かなんでしょう。苦境にあってもそう思える人ほど、器が大きいのではないでしょうか。

そんな気がする。多分、そうですよ。そうありたいものですよね。
しっかりと今を見つめ、新年に向かって歩いていきたい。
というわけで、最高の人生に乾杯しましょう!

DVDラベル=最高の人生の見つけ方

ジョニーは戦場へ行ったを思い出してもエ〜ガね

幸せなときは神さまを忘れる…といいますよね。

今回は『ジョニーは戦場へ行った』なのです。監督名は忘れました。『小さな恋のメロディ』の脚本の人の初監督作だったかもしれない。大昔に観ました。
実は、これを「ネコ爺のウダウダ映画日記」の最初に書こうとして…迷った末、今回になりました。書かねばなるまいと思いつつ、触れたくない気持ちもあったからです。


 蓄財も ないというのに 蓄膿か

数年前、医師から鼻の病気を指摘されて…気分はどん底だったのですが、こんな俳句だか川柳だかを書いていた頃はまだ笑っていられた。どん底にはさらに大きな落とし穴があったわけですよ。

そのことを書こうと思います。これから先、「ウダウダ日記」にはできるだけ個人的なことを書かないつもりですが、これだけは書いておきましょう。わしの再生の記録だからです。

定期検診で大病が見つかったんですよ。大腸ガンでした。驚きました。まさにガ〜ンと。
人生にはいろんな坂があるというけど、これこそ「まさか」という坂でした。
検診を数年サボっていたのがいけなかった。正直…アセりました。保険を解約した後だったからです。

手術〜入院には費用がいくらかかるんだろう。わしはこれまで、手術はもちろん、入院の経験すらもなかったのでまったくわからない。
このまま手術しなければどうなるんだろうとも考えました。3年くらいしたら死ぬのかな…それも仕方ないか…なんてね。自分のことなのに他人ごとっていうか、どこか呆然としていましたね。

結局、わしを支え救ったのは身内であり、兄弟であり、友だちであり、仕事仲間でした。
言葉ではいい尽くせないほど感謝しています。本当に本当に「ありがとう!」という素直な気持ちでいっぱい…。今は生きてこうしているわけですが、それからのわしはいつも「ありがとう」と唱えています。
入院の影響で朝の散歩をするようになり、井の頭の親之井稲荷尊へお参りしていますが、そこでも手を合わせて唱える言葉は「ありがとう」なのです。

「生きてるだけで丸儲け」っていうでしょ? 本当の意味で、その言葉を理解しましたね。たとえば不平不満があっても、そういうふうに思えるのは自分自身が生きているからだ、ありがとうってね。プラス思考っていうのがやっとわかったような気がする。
わしは命をもらったのです。映画『ペイ・フォワード 可能の王国』じゃないけど、この感謝の気持ちをお返ししなければと思っています。

でも、ジョニーに比べれば、わしなど盲腸のようなものだったでしょう。
『ジョニーは戦場へ行った』は…ベトナム戦争(?)に行って、江戸川乱歩の「芋虫」のようになって帰ってくる若者の話です。それでイメージしてもらえなければ、それをモチーフとした若松孝二監督の映画『キャタピラー』といえば伝わるでしょうか。
別のたとえでいえば、乙一氏の小説の「失はれる物語」ですね。

戦場へ行く前の淡い恋愛シーンがあるものの…『ジョニーは戦場へ行った』はほとんどが病室の場面です。戦場から帰ってきてからの話がメインなのです。
ベッドに寝たままのジョニーはいうのです。いや、正しくは口でいうことができない彼は体の動かせる部分を使って、看護婦(当時は看護士とはいわなかった)にモールス信号を送るわけです。「自分の姿を外の人に見せてほしい。それができないなら(管をはずして)殺してほしい」と…。

ジョニーは辛いだろうなと、昔この映画を観たときに思いました。
でも、自分が手術を受けてみると…そんな軽い表現じゃ済まない。わしは…入院してから、友人に入院日記をメールしていましたが、手術日を含む何日かはメールすることができなかった。麻酔が切れたあとは苦しくて…悶絶していました。痛くて、寝返りすらできなかった。看護士に「背中を拭いてください」と伝えることさえ辛かった。
ジョニーはそれが毎日つつづいたんだろうと思うと…言葉もありません。

全身麻酔について書いておきましょう。
全身麻酔というのは医療の経験から使われるようになったもので、医学的にはまだ正確に説明できないんだそうです。
手術台に寝かされ、背中に麻酔の注射をして麻酔用のマスクをつける。よく映画とかテレビドラマに出てきますよね。わしは「次に数をかぞえてくださいっていわれるんだな」と思ったわけです。
ところが、マスクは付けて…はずされたんです。すぐに。「どうしたんですか? マスクの付け直しですか?」と聞こうとしたら、看護士の動きがヘンだった。まるで後片付けの動きなのです。

そうです。手術は終わってたんですよ。
『タイム・マシン』の時間の説明のようでした。
わしには1秒と経過していないのに、実際には4時間過ぎてた。
全身麻酔とは寝たような感覚かと思っていたのですが、まったく違ってましたね。

映画のフィルムを切ってつないだようなもので、その間は“無”ですよ。
おそらく、わしは手術の4時間…死んでいたのです。ゾンビのように生き返ったのです。そうとしかいいようがない。でも、脳のどこかは何かを記憶してたんでしょう。まどろむと幻覚が見えるようになったのですから。
大平原に水晶がいっぱいいっぱい広がっている。寝ながら「何て奇麗なんだろう」って思いました。でも…これって、亡くなって蘇生した人がよくいう「お花畑」ですよね?

午前3時くらいには目覚めて、黒いキャンバスのような病室の窓を眺めてマゼンダの朝色に染まるまでボゥッと考える…。そんな入院の日々でした。窓は心の内側と通じていたのかもしれません。

もうこれくらいにしておきましょうか。
書こうと思ったことの半分くらいですが、ウダウダ書いていたら長くなりました。
ほとんど『ジョニーは〜』から脱線していますが、病床ではこの映画のことを思い出したのです。
『ジョニーは戦場へ行った』は反戦映画ですが、わしは反省しました。

暗い内容になりましたので、最後に明るい(?)話を少々。

手術後、点滴の他に腹から何本かの管が出ていたのですが…回復するにしたがってそれが抜き取られていく。翌日には見舞いが来るっていう日、医師が病床に来て「今日は最後の管を取りましょう」っていったんです。
わしはあわてていいました。「取るのは見舞いが終わってからにしてください。これがないと患者らしくありません。旅行客みたいになります」と。
病院は病気を置いていく場所だといいますが、そこはホテルのように奇麗でしたしね。

病室のベッドはスイッチを押すとそれに合わせて「足が上がります」とかって音声が聞こえるんです。
友人たちが見舞いに来たとき、「わしの気持ちをベッドに語らせますから聞いてください」といってスイッチを押したんですよ。聞こえてきたのは「頭が下がります」の音声。一同、大爆笑でした。

入院前に「かわいい人ばかり描いちゃダメよ」といわれていたのに、入院中はかわいい看護士(正しくは看護婦)ばかりの似顔絵を描いてしまいました。
最初のころはこちらがコホンと咳をすると「大丈夫ですか!?」と飛んで来てくれる感じだったのに、退院間近になると「まだいるんですか?」って表情に感じたものです。
「もうすぐシャバに出られるなぁ」とわしがいうと、「シャバって何ですかぁ?」といってましたっけ。

そういえば、全身麻酔の前に説明書きの紙をもらいました。それがコママンガになっていたんですよ。しかも、知り合いの絵でした。
それを観て「こんなふうにマンガが役立ってるんだな。わしも元気になったらがんばるぞ」って思ったものです。わしはニコニコうれしそうにそれを読んでいたので、医師は不思議そうでした。

退院して外に出たとき、太陽が眩しかった。それから1年後の検査が…先月ありました。
手術後10キロも減った体重は…1年かけてすっかり元に戻っています。
今は元気っていうか、むしろ前よりも元気なくらいです(笑)。

 クリスマス 酒を呑みすぎ クルシ〜マス?

神さまは乗り越えられない試練を与えないという。
わしは今、感謝の気持ちでいっぱいです。
現状に負けてはいられません。



DVDラベル=ジョニーは戦場へ行った
http://mo.miya634.net/johnny-got-his-gun/html

今さらながら2001年宇宙の旅を語るもエ〜ガね!

忘年会があって、その場で「ブログをやってる」といっちゃいました。
エライこっちゃ…。まだ、ひとつしか書いてないのに…(笑)。
あわてて『2001年宇宙の旅』のことでもウダウダ書いて、期待を裏切らないようにしましょう。

今なぜこの映画かというと、先の『ゼロ・グラビティ』を観て思い出したからです。
それと、ハリウッド版新作『ゴジラ』の予告編が解禁になったでしょ。
そこに、『2001年宇宙の旅』で流れたジェルジ・リゲティの曲が使われてるんですよ。
http://www.youtube.com/watch?v=GgqI32JX_jY
http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/ligeti/2001.htm

この映画を観たのと同じ頃に大阪万博があり、わしはドイツ館でシンセサイザーの前身であるムーヴ・シンセサイザーの演奏を聴きました。そのときの音色がジェルジ・リゲティに似ていたという印象がある。関連があるのかないのか…単に実験音楽というだけだったのか。
最初から脱線でしたね(笑)。


この地球での…最近200万年の間に起こった特別なことは、人類の発生なのだそうです。その間、わしらが普段見ているような動物たちはみんな地球上にいて、ただ人間だけがいない世界だったのだそうです。
でも、その人類発生の発端がいつなのかってことになると曖昧模糊としています。今でも、次々と新しい説が出てきますよね。

スタンリー・キューブリック監督(当時はスタンリー・カブリックともいった)の『2001年宇宙の旅』を初めて観たのは、わしがまだ高校生になったばかりの頃です。この映画の最初のロードショーで観ました。

わしは自他ともに認める映画ファンですが、薫陶を受けたというか…ここまでの映画マニアになったのはおそらく『2001年宇宙の旅』の影響で、この映画がわしを映画マニアにしたのです。

人類の起源にまつわる映画のオープニングをわしは生涯忘れることができないと思う。それくらいの映像ショックがあったのです。
あまりにも有名ですので、ここに『2001年宇宙の旅』のオープニング内容を書いてしまいます。ご容赦ください。 

日々、猿人のふたつの部族が水場の奪い合いをしている。あるとき、弱いほうの猿人のひとりが…ふと、動物の骨が武器になることを思いつく。そして、その猿人が…骨で強いほうの相手を殴り殺して水場を手に入れるのです。
『2001年宇宙の旅』は問いかける。それが人類の発端だったのではないか…と。骨を武器に見立てて“殺し”を行った瞬間、猿人は人間になったのではないか…と。
いや、わしには映像がそう問いかけているように感じたのです。

相手を殺害して…狂喜の猿人は道具=骨を空に放り投げる。
骨は大空でくるくる回って、やがて宇宙を飛ぶスペースシャトルの姿に変わる(場面が2001年の舞台になる)のです。おそらく、道具としての骨の延長線上に最先端の道具=シャトルがあるという表現ですよね。

陶酔しました。わしは映画に酔いしれたのです。
それまでも円谷英二監督の特撮モノなどが好きで夢中になっていましたが、魂を持って行かれるほどの経験は初めてでしたね。

当時としては(これ以上は内容を書きませんが)難解な映画でした。ラストなど、その頃はまだ若くて…意味がよくわからなかった。おそらく、初回では半分も理解できなかったでしょう。にも関わらず、すごい映画を観てしまった…すごい映像体験をしてしまったということだけは理解できたのです。

さらに驚いたのは制作サイドの監督や原作のアーサー・C・クラークらのコメントです。
「この映画が観客に一度で理解されてしまったら、我々の意図は失敗したことになる」とあったのです。これには…わしは唖然としました。目からウロコが落ちるとはこのことです。こんなことって、こんな映画の作り方ってあるんだろうかって思ったのです。

それまでも映画というものに片足を突っ込みかけていたわしでしたが、それからはアリ地獄に落ちるアリのように…ヘビに飲み込まれるカエルのように、わしは身体ごと映画という表現に…その魅力に吸い込まれてしまったのでした。

『2001年宇宙の旅』を何度観たか記憶にありません。リバイバルの度に観ましたから、かなりの回数を観ているでしょう。ビデオでも観ました。おもしろいことにビデオの3倍速でこの映画を観ると、ちょうど『スターウォーズ』くらいの速度になるんですね(笑)。

『スターウォーズ』といえば、同じ年に『未知との遭遇』が公開されました。
それと同じように、『2001年宇宙の旅』と同じ年に『猿の惑星』が公開されて、『猿〜』は大ヒットでしたね。でも、『2001年〜』のほうは「意味がわからない」「客が入らない」ということで、ロードショーは1カ月と保たなかったと記憶しています。

ところが不思議なことに、あとあと『猿の惑星』は飽きられて…話題からも消えて行くのです。逆に『2001年宇宙の旅』は時が経つほどに輝きを増し、不朽の名作とかっていわれて大きな話題になりましたね。
確か、「流行はすたるが文化は残る」って言葉を残したのはエイゼンシュテイン監督だったと思う。わしの好奇心は遡り…モンタージュを用いたエイゼンシュテインにまでつながって行ったものです。

のちに、『2001年〜』が正当に評価されてスポットライトを浴びるようになったとき、わしは自分が映画に関わったわけでもないのに「今ごろになって、やっとすごさがわかったか」なんて思ったものでした(笑)。

関わったといえば、手塚治虫先生に『2001年宇宙の旅』の美術監督の依頼があったとかって話もわりと有名ですよね。当時は「鉄腕アトム」の放映をアメリカでもやってましたから、その関連なんでしょう。

そういえば、知人に油絵を描いている人がいました。その人の絵にはなぜかいつも、隅っこに小さく黒くて薄い不思議な“箱”が描かれていたんです。
わしは「もしかしたら」と思ってその人に聞いてみました。やはり、それは予想通り“モノリス”でした。その人も『2001年宇宙の旅』の信奉者だったんですよ(笑)。
あの頃、こんなふうにこの映画にイカレた人がチラホラいたものです。

ごめんなさい。映画を観ていない人には何のことか意味がわからないでしょうね。でも、わかる人にはこれだけですべてわかるんです。わかる人はここでウンウンと頷いていることでしょう。
その人とわしは意気投合して、IBMをアルファベットの順にひとつずつ左にずらすと宇宙船ディスカバリー号のコンピュータ名であるHALになるとかって話で盛り上がったものでした。

『2001年〜』はセリフの少ない映画だったけど、ラスト40分くらいにはまったくセリフがないのです。すべて、映像(と音楽)だけで表現している。当時、画期的なことでした。
『2001年〜』はキューブリック版『ファンタジー』だともいわれるけど、それもわかる。
わしはこの映画を観て、文字による言葉のように…映像による言葉があると確信したんです。つまり、映像言語ですよね。 その後、これがわしの探求課題になったのでした。

この『2001年宇宙の旅』は21世紀の最初の年を描いたSF映画で、その頃は「ずいぶんと先のことだなぁ」って思ったものです。でも、いつの間にか2001年も「アトム」が産まれた2003年もとっくの昔に過ぎて、来年はもう2014年。ため息…。

この映画にまつわることを考えるといっぱい思い出されてきます。もっと探求してみたいのです。
でも、もう夜も遅いし、キリがないので…昔話はこれくらいにしておきましょう。
冬の夜話につき合ってくださって、ありがとうございました。



DVDラベル=2001年宇宙の旅
http://mo.miya634.net/2001-a-space-odyssey/html

http://asa10.eiga.com/2013/cinema/312.html
http://amass.jp/37920

ゼロ・グラビティでグラグラになるもエ〜ガね!

「ネコ爺のウダウダ映画日記」へようこそ!

最初にお断りしておきます。
日記と銘打ってはいるものの…日記とはいえないでしょうね。
その実、大昔に観た映画やその関連話を月に数回のペースでウダウダ書こうと思っているのです。
映画はその頃の思い出を連れてくるし、その反対もあるでしょう。源流を遡り探求しようするのは…わしの趣味です。温故知新というとこかな。

古いヤツだとお思いでしょうが、本当に古いんです(笑)。
とはいえ、大昔の映画ばかりでは化石掘りになってしまう。なので、たまには新作を取り上げることにしましょう。

というわけで、1回目はアルフォンソ・キュアロン監督・脚本の『ゼロ・グラビティ』なのです。まさに、ゼロからのスタートですね。

信頼する友人の高評価もあったのですが、アルフォンソ・キュアロンといえば、わしの好きな『トゥモロー・ワールド』の監督です。いそいそと観てきました。感想を書きましょう。
ただし、新しい映画の場合はマナーとして、予告編で触れている範囲くらいしか書くことができません。

『ゼロ・グラビティ』は宇宙を舞台にした映画で、タイトルは無重力の意味です。
宇宙船エクスプローラー号の船外で作業する女性のライアン・ストーン博士は緊張している。でも、ベテランのマットともうひとりはゆとりで遊び心いっぱい。
そこへ、他国から…老朽化した衛星を爆破したための破片、つまり宇宙ゴミが飛んでくる。晴れときどきゴミ…なんていってる場合じゃない。宇宙に孤立することになる主人公。と、いわばサバイバル映画ですね。

ちょっこし苦手なCGてんこ盛り。しかも3Dなのです。
しかし、この映画はCGも3Dも、表現の道具としてうまく活かしていると感心しました。
鼻に何か詰めて、酸欠状態で観ればモアベターだったかもしれない…なんてね。

宇宙には酸素がない。重力がない。音もない。そこは真っ暗闇の…死の世界。
そこに投げ出された者だけが感じる恐怖。漂う感覚。それらが疑似体験できるのです。見事な映像体験でした。
そして、映像体験といえば『2001年宇宙の旅』さえも思い出させたのです。

特に、音のない表現が好きです。
普通、映画は音楽で盛り上げるでしょ? ところが、この映画では逆にサイレントになったりする。音のない宇宙ですからね。それによって映像がダイレクトに入ってくる。美しい映像がまるで哲学するように心に染み入り、しかも底知れず…怖い。
目の前にある死…。絶望と感動。そこから生きる希望を見いだすわけですが、これ以上は劇場でご確認ください。

『ゼロ・グラビティ』はほとんどふたりしか出てこないんです。サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーですが、主演俳優決定までには紆余曲折あったようですね。そういえば、サンドラ・ブロックは『スピード』では暴走するバスの中で顔を引きつらせる乗客役でした。こういう役が似合うのでしょう。

正直いいますと、観終わって席を立つ際…わし、足もとがグラついたんですよ。重力不在の宇宙を漂う感覚が染ったのかもしれない。それとも、加齢によるもの…? いや、それは考えないことにしましょう(笑)。

わしの身にも昨年、生きているんだってことを実感する大きな出来事がありました。
でも、それについてはまた改めて…。



DVDラベル=ゼロ・グラビティ
宇宙での日の出

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