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黄金のアデーレに会うもエ~ガね

わし好みの映画。お気に入り作品が増えた。『黄金のアデーレ 名画の帰還』という。

https://youtu.be/DquwejmInhA

国を相手に絵画の返還訴訟という実際にあった話で、そのニュースはわしも知っていた。それがこんなにもスリリングで気品あふれたエンターティメントになるなんて…。
2015年の公開作品で、監督はサイモン・カーティス。

グスタフ・クリムトが描いた女性の肖像画。それは第二次大戦時、ナチスに略奪された美術品のひとつ。戦争に運命を翻弄された家族。ウイーンの美術館にあるその絵画の所有権を争い、裁判をする。しかし…それは思い出したくない過去を蘇らせることにもなってくるのだ。

主演はヘレン・ミレン。絵のモデルとなったアデーレの姪。アメリカに暮らすマリア役の彼女がすばらしい。マリアのお父さん役とか、俳優陣が皆よかった。
弁護士役がライアン・レイノルズ。すごくいい。わしとしては弁護士の妻役でケイティ・ホームズが出ていたのもうれしかった。「信念を捨てないで…」の言葉が心に響いた。

現在に過去が融合する。その表現が自然で見事で…好きだ。
過去が現在に是正を求める。そういう映画なのだろう。
思い出は捨てた。でも、過去を死なせたくはない。
忌まわしい過去は愛おしい過去でもある。
昨日は今日につながっている。
ラストは感動的だった。

現在、「黄金のアデーレ」はニューヨークのノイエ・ガレリエで観ることができるという。



怒りの葡萄を味わうもエ〜ガね

アメリカ人の友人が「私の家族は…お爺ちゃんがイギリスからアメリカに渡って来たんだ」といったので驚いたことがある。今さらながら、アメリカという国の歴史の浅さ…というか、国としての若さに驚いたものだ。
アメリカ人は自分たちで自分たちの国をつくった。そういう意識が強いように思う。

ジョン・フォード監督の『怒りの葡萄』を観た。1940年の作品。主演は若い頃のヘンリー・フォンダ(あの俳優一族のフォンダ家)。母親役がジェーン・ダーウェルという。情けないことに…観たことがなかった。

力強い。ドキュメンタリーみたい。アメリカのイメージが一新する。
原作はジョン・スタインベックで、「怒りの葡萄」は1939年に発表されたらしい。おそらく、原作はもっと政治色が強いのだろう。なぜか、島崎藤村の「夜明け前」や、かつての学生運動を描いた映画を思い出したりもした。

社会の弱者…。映画は小作農のジュード一家を中心に描かれている。息子のトム(ヘンリー・フォンダ)が刑務所から仮出所してくるところから始まる。トムが実家に戻ると家族がいない。家族は…作物が育たない荒れ地から追われ、新天地といわれるカリフォルニアへ行く準備をしている。

オンボロのトラックに荷物をいっぱい詰め込み、旅立つ。トムが加わって12人。元神父(説教師?)も加わって13人。
キリストと12使徒を思わせる。ほとんどイスラムの民だ。これじゃまるで、砂嵐難民じゃないか。
旅の途中、親切な人もいるが…新天地とは名ばかりで、理不尽な労働条件だったりもする。それでも彼らは逞しく、雑草のように生きようとする。

やがて、怒りの葡萄が実っていく。これは資本主義経済に対する農民の憤りだろうか。
しかし、農民が開拓したために砂塵の荒れ地になったという側面もあるかもしれない。
わしはジョン・フォード監督を西部劇映画の人と思っていた。恥ずかしい。

黒澤監督がジョン・フォード作品の影響を受けたというのは聞いていたが…。
それにしても、この骨太なつくりは黒澤作品を思い出させる。
ジョン・フォード作品を全部観なければなるまい。
温故知新。旧作から得るものは大きい。

https://www.youtube.com/watch?v=QwXU-_r19w4
https://www.youtube.com/watch?v=_VK1a9n-Jqk

玉川上水沿いに、今年も忘れず…桜が咲き出した。自然の力はすごい。これも自然と人間の営みだ。桜の見頃はこれから2週間だろうな。


マン・ハントされるもエ〜ガね

28席しかない横浜西区藤棚商店街の小さな映画館…。[シネマノヴェチェント]のことは半年ほど前から知っていました。でも、遠すぎて…。正直、片道交通費1000円かけて行くなんてバカみたいという思いもあったのです。

自ら映画を買いつけて、配給権(上映権)を取り、字幕はプロジェクターでかぶせ、自分の小屋(映画館)で…という経営者の映画愛に触れてみたい。行かねばなるまい。経営者とも話さねばなるまい。そんな思いが日増しに募って…ついに行ってきました。

横浜駅の隣。京急の戸部駅から歩いて10数分。建物の外壁に俳優の顔がたくさん飾られており、思わず見とれてしまいました。
[シネマノヴェチェント]は2階です。経営者のMさんはいなかったものの…小屋にある印刷物などから、映画への熱い思いをしっかり受け止めることができましたよ。

スクリーン席は28しかないのですが、待ちの場所もそれくらいの席があります。そこで、軽い食事やお酒だって呑める(料金500円)。元がカラオケパブだった名残りなのです。観賞後に呑んで語り合うもいい。観てから呑むか、呑んでから観るか(笑)。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=22617

『恐るべき相互殺人』がかかっているとばかり思っていました(料金1500円)。
ところが、時間が合わずに『マン・ハント』を観ることになったのです(料金1000円)。未見だったフリッツ・ラング監督の1941年の作品。SF映画の原点にして頂点といわれる…あの『メトロポリス』で知られる…あのフリッツ・ラングの作品に出会えるとは思ってもいませんでした。

『マン・ハント』は…つまり人間狩りで、ヒトラー暗殺計画に巻き込まれていく男の逃避行を描いています。出だし、主演のウォルター・ピジョンが腹這いになって長距離銃をかまえる。照準器の丸の中には…。狩猟スポーツなのか暗殺を意図したものか。拷問のあとの影の使い方の見事さ…。光と影は後のフィルム・ノワールを感じさせます。
ウォルター・ピジョンは逃走の途中でジョーン・ベネットと出会うのですが、昔の女優は美しい。地下鉄の線路内でのサスペンスフルな表現や、洞窟の内と外との対決場面も興味深かったですね。

今の映画は「あぁ、おもしろかった。で、何を観たんだっけ?」ということも多い。その点、昔の映画はしっかりと心に下りて来る。余韻があるんですね。

それにしても、1941年の作ということはヒトラーが自害する数年前です。ほとんどリアルタイムじゃないですか。よくつくることができたものです。ドイツ映画の巨匠がアメリカに渡ってつくった? チャップリンが『独裁者』をつくったときのように? そのあたりのことはわかりません。

観ながら…手塚マンガを思い出したりもしました。「黄金のトランク」とか、もっと古い「化石島」…。影の使い方とかね。思いを共有しているような…というか、虫先生はこういう映画を子どもの頃にいっぱい観ていたんだろうなぁっていうのをスクリーンから感じて幸せでした。手塚マンガのミームを通してトキワ荘とか、後のマンガ家たちにも伝播していったのだと思う。
だけど、映画が公開されたのはいつだろう。

字幕にも懐かしさが溢れました。認識している人は多くないでしょうが、字幕書体というのは時代とともに変化しています。『マン・ハント』の頃の書体は初期の…いかにも映画の字幕の文字なんですよね。

『マン・ハント』の他、何日おきかで『暗黒街の弾痕』『恐怖省』『外套と短剣』『月世界の女』をやっていたみたいでした。全部観たかった。特に『月世界の女』を観たいと思って聞いてみたら、弁士付きでの上映のため、予定が決まっていないようでした。
考えてみれば、『メトロポリス』にしても…わしは後になって音楽を付けて観やすくしたジョルジオ・モロダー版で観ているのです。元は無声映画なんですよね。
今回がフリッツ・ラング特集の2回目とのことだったので、他にもやってたんですねぇ。

https://www.youtube.com/watch?v=rtzTcqekPZI

わしは吉祥寺の[バウスシアター]によく行ってました…。そこの座席が[シネマノヴェチェント]に使われていたんですよ。思いがけない“再会”でした(笑)。

古い映画を古い小さな映画館で観る。それがそこまで贅沢で幸せな…至福の時間になるとは思いませんでした。そこまで感じるとは…自分でも驚きましたよ。懐かしさが新鮮でもありましたね。あ、古い映画館というのは昔形式のフィルム上映という意味ですよ。温故知新ですな。

それにしても客が少ない。少なすぎる。もったいない。もったいなすぎる。
片道1000円かけて行くなんてバカみたいと思いつつ、多分…わしはまた行くでしょう。旅行気分でね。そう、源流巡りの旅ですよ。



奇跡の人を目指すもエ〜ガね

記憶に間違いがなければ、わしが生まれて初めて観た洋画は『奇跡の人』でした。中学2年生のころだったと思う。当時、映画は勝手に観てはならないもので、授業の一環としてクラスの皆で映画館に行ったのでした。

洋画というのは…セリフが英語で、日本語の字幕スーパー付きの西洋映画のことです。当時は吹き替えなんてありません。読みながら同時に観るというのは子どもには難しい作業で、必死に画面を追った記憶があります。でも、それが新鮮でしたね。

その頃のわしは多感で傲慢で臆病で…今以上に好奇心いっぱいでした。そんなわしにとって、映画は別世界。映画館はそれこそ魔法の宝箱だったのです。映画館の裏のゴミ捨て場で、フィルムの切れ端を見つけて狂喜したこともありました。
その数年後に『2001年宇宙の旅』に出会うわけですが、それからがわしの映画狂時代の始まりでしたね。

『奇跡の人』に関して…わしは知らなかったのですが、先に舞台があって同じ俳優によって映画にしたんですね。そのころはステージからフィルム(映画)に移行していく時期だったのでしょうか。演じたふたり、アン・バンクロフトとパティ・デュークはアカデミー賞の主演女優賞と助演女優賞を受賞しています。

この映画はアーサー・ペン監督による1962年のアメリカの伝記ものです。見えない、聞こえない、話せない…という三重苦の障害を持つヘレン・ケラー。そんな彼女を厳しく指導するアニー・サリバンの物語でした。
すべての物には名前があることを教えようとする。闇の世界から引きずり出そうとする。
終盤、ヘレンは井戸水に手をかけて、水を理解して声ならぬ初めての声で「Water!」と叫ぶ。こうして、ヘレン・ケラーは奇跡的に障害を克服していくです。

わしはヘレン・ケラーが奇跡の人かと思っていたら、「サリバン先生が奇跡の人なんだ」とクラスの誰かがいってました。「なるほど、奇跡を起こさせた奇跡の先生か」と感心したものです。
原題が『The Miracle Worker』だと知ったのは、大人になってからでした。

どんなに辛いことがあっても、ヘレンの苦しさに比べれば些細なことかもしれない。
わしは子どものころ、この映画から生きる勇気をもらったのです。どんなに時が流れても…それを忘れたくない。新しい年のスタートということで、そのことを書いておこうと思ったのです。

「ウダウダ映画日記」で取り上げるために何か映像はないかと検索してみたら、1925年の貴重なスピーチ映像がありましたよ。こういうのが残ってるんですねぇ。

https://www.youtube.com/watch?v=YBtb3tk68O0




アギーレ・神の怒りに触れるもエ〜ガね

アギーレ監督は大変ですな。八百長疑惑が波紋を呼んでいる。仮に有罪となれば…解任でしょう。日本のサッカーはどうなるんでしょうなぁ。

それはともかく、アギーレといえば…わしはヴェルナー・ヘルツォーク監督の『アギーレ・神の怒り』を思い出します。

https://www.youtube.com/watch?v=ohfX5lyApDM
https://www.youtube.com/watch?v=d1q6sRDXG-M

映画の内容は…男の“ロマンと狂気”に満ちていて、わしが映画に求める(いや、人生に求めるといっても過言じゃない)すべてがそこにあります。
あ、これは『フィツカラルド』のところで書いた言葉ですな。でも、『フィツカラルド』は本当に大好きな…わしにとって宝物のような作品なのです。

同じヘルツォーク監督の『アギーレ・神の怒り』は1972年の西ドイツ作品。
“狂気とロマン”に満ちています。国敗れて山河ありじゃないけど、敗軍の将(正しくは副将かな)が国を興そうって話ですからね。兵士たちが岩山を移動するシーンなど…ほとんど山岳映画。よく撮影したものです。
そう、こっちのほうが『フィツカラルド』に比べれば狂気度が強いですね。監督も主演俳優(クラウス・キンスキー)もみんな…狂気に満ちています。キンスキーの娘のナスターシャも娘役で出ています。
野望というか野心というか、男の夢ですわな。『アギーレ・神の怒り』はすさまじい情熱の映画で…好きですなぁ。

わしはロマンが大好きなのです。
宇宙ものには雄大なロマンがある。歴史ものには悠久のロマンがある。
そして、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の作品には狂気のロマンがあるのです。

そういえば、未見ですが…この映画のパロディ(?)として『アギ・鬼神の怒り』という映画も生まれましたなぁ。

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