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最強のふたりがエ~ガね

『最強のふたり』がよかった。前に観たはずだ。書いたかもしれない。覚えてない。
それにしても、何てよくできてる映画だろう。

脚本・監督はエリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュ。どういう分担かは知らない。とにかく、フランスの2012年の映画だ。
頸髄損傷で体が不自由な富豪と、その介護人となった黒人の若者の話。実話が元らしい。

ふたりの交流だが、そこには個人的な身の上話が絡む。でも、ほとんどセリフではいわない。そこがいい。
映像と編集で伝えてくれるのだ。コメディのような軽いタッチでだ。そこがいい。
重いところは音楽で伝えてくれる。そう、音楽もいいのだ。

ただ、この『最強のふたり』という邦題がねぇ。格闘技をイメージさせるかもねぇ。

https://youtu.be/IfHOM7dPzZA

忘れていたわしがいうのもナンだけど、何てよくできてる映画だろうと思う。


私の中のあなたを思うもエ~ガね

知り合った人に『私の中のあなた』を薦められた。いや、正しくは薦められたんじゃない。「忘れたいのに忘れられない」といっていた。
だから…わしは興味を持ったのだ。『きみに読む物語』のニック・カサヴェテスの監督作で、タイトルを『私の中のあなた』という。

ケイトの次に生れたアナ。アナは白血病のケイトのドナーになるために生まれてきたのだ。
アナは健気だが、11歳になったとき…これ以上の臓器提供を拒み、弁護士を雇って告訴をするのだ。

悩める母親をキャメロン・ディアス。娘思い。母親思い。姉妹思い。いい娘たちだ。シリアスでありながら美しい場面も多く胸を打つ。俳優陣も編集も皆、上手。
アナ役が『リトル・ミス・サンシャイン』のアビゲイル・ブレスリン。アビーだ。よかった。感動的な家族映画だった。

https://youtu.be/17wfTaixJhI

『私の中のあなた』を観て、大好きな『わたしを離さないで』を思い出した。そこからの着想かもしれない『約束のネバーランド』も思い出した。
いや、それよりも、「忘れたいのに忘れられない」といった人のことを思った。どうしてだろう。ケイトとアナくらいの娘がいるのかもしれないな。

いやいや、それよりも思ったこと…わしは『私の中のあなた』を観たことがあったのだ。最初から最後までそう思っていた。観終わって、やっぱり観た映画だったと確信した。

10年くらい前の映画だ。わしの記憶力はどうなってるんだろう。情けない。


ワールド・ウォー Zに負けなくてエ~ガね

今年…ショックだったのは昔の仕事仲間から届いたハガキ。一見して「親が亡くなったので年賀状は失礼する」という喪中の知らせだと思った。反対だった。夢を預けて田舎に帰っていたのだが、高齢の親御さんが息子の死を知らせてくれたのだ…。

今年のウダウダ日記は『コンテイジョン』からスタートしたように記憶する。いや、書いたのは2月だったか。たっくさんの「拍手」をもらった。映画の内容がコロナ禍の状況にソックリで、関心を持った人が多かったのだろう。

月に3つ程度の日記を書いているが、今年ラストのウダウダを同種の映画で締めくくっておこう。『ワールド・ウォー Z』という。スッタモンダの末にできた映画なのかな。製作・主演がブラッド・ピットで、監督はマーク・フォースター。

ブラピ扮する元国連職員が娘を学校に送るために車に乗っていて、異様な渋滞に巻き込まれる。謎の疫病で人間が凶暴化し、人類の存亡が危うくなる。ワールド・ウォー ZのZとは…ゾンビのことなのだ。

ゾンビってずいぶん映画に貢献してるなぁ。何から生まれたんだろう。ブードゥー教とか? 考えてみると、スリラー古典の“猿の手”で蘇った息子だってゾンビだったに違いない。

それはともかく、『ワールド・ウォー Z』のゾンビは…ウイルスによるもの。でも、何なのか、理由がよくわからない。パニック映画なのだ。

少し内容に触れるが、狂暴化してゾンビ化した人間が人間を襲う。そしてどんどんとゾンビになっていく。が、まれに襲われない人間がいる。その人は体内にゾンビが嫌う“何か”を持っているのではないか…。ワクチン開発の研究所でそれを見つけようとする。

https://youtu.be/PzRW10SvbFY

これで終わりではない。戦いはつづく。
チャンスはある。助け合おう。油断するな。始まったばかりだ。



…と、映画はそんな言葉で終わっていた。わしもそう思う。
今、コロナウィルスの変異種が動き出している。
コイツが耐性を持つと大変なことになる。
人類は負けない。わしは負けない。
みんな、がんばろう。
新しい年が来る。

最高の人生の見つけ方で乾杯するもエ〜ガね

こんにちは。改めて書いておきます。
「ネコ爺のウダウダ映画日記」は2013年12/14にヒッソリとスタートしました。
ここで…大昔に観た大好きな映画(ビデオ&DVD含む)をメインにウダウダ書こうと始めたんです。ときには新作や、まれには個人的なことも含めてアレコレとナガナガ語ります。
何を書くかはそのときの気分。文字が多いので読むのはタジタジと思いますが、月に5回くらいしか書きません。今回は前のつづき(?)で『最高の人生の見つけ方』ほか…なのです。


何事もバランス感覚が大切ですよね。
未来と過去のバランスもあると思うんですよ。
未来がいっぱいの子どものときは振り返る過去は少ない。
でも、高齢になって過去がいっぱいになると過去ばかりを振り返るようになる。
いくつになっても、少ししか未来がなくても未来を見ることができる人…
そんなバランス感覚の持ち主はすばらしいと思うわけです。
過去の中に忘れた未来があったりもしますからね。

とはいえ、不治の病の場合は事情が違うかもしれません。
ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが共演した…ロブ・ライナー監督の『最高の人生の見つけ方』はそういう映画でした。ガンによって余命半年と宣告された老人ふたり。彼らは意気投合して、やり残したことをするために冒険の旅に出る。そして……っていう物語。
どちらも好きな俳優ですが、ふたりの共演は珍しいですね。
“死”がテーマなのに明るい。楽しい。笑いがある。どんなときでもユーモアを…ですね。映画全体に、最後の最後までそれがあるところがすばらしい。
『死ぬまでにしたい10のこと』という映画でも死ぬまでに何をしたいか書いていましたが、この映画も同じでしたね。「棺桶リスト」とかいってたかな。
前向きなのか前のめりなのかわからないけど、『最高の人生の見つけ方』は豪快で痛快で…切ない作品でした。かくありたいものです。
でもまぁ、お金がたくさんあるからそういうこともできるんじゃないかって気もしましたけどね。お金がないと死ぬこともできないですからね。笑い話のようですが、ホントに…。
ちなみに、ロブ・ライナーは『スタンド・バイ・ミー』の監督ですね。
http://www.youtube.com/watch?v=P6KFTeI1gnQ
これだけ観ても、最高の映画だと思ってもらえるでしょう。

この種の映画には必ず「人は人に生かされている」とか「人は人のために生きている」みたいな教訓めいたものがありますよね。

同種の『人生に乾杯!』というハンガリー映画もそうでした。ガーボル・ロホニという人の監督作で、簡単にいえば81歳と70歳の年金受給の老夫婦が銀行強盗をする話。背景には『オーケストラ!』のような政治的なものもあったりします(と感じた)。
ヨーロッパの田舎道での警察との追跡劇もあるわけですが、ハイテクを駆使するハデなアメリカ映画と違ってのどかです。でも、のどかっていうのは遅れているんじゃなく、人の心のゆとりなのかもしれない。豊かさかもしれない。そんなことも感じました。
『人生に乾杯!』には若い人が出る映画のようなピチピチキラキラ感はないものの、これもまた痛快な作品でした。
これまで高齢者映画を敬遠していたんですが、しみじみとよかったですよ。地味だけど…とても輝いてました。
音楽を聴いて『パリ・テキサス』を思い出したりもしました。
http://www.youtube.com/watch?v=U-x1z110X58


若いときにこれらの高齢者映画を観たなら、爆笑だったでしょうね。だって、滑稽ですもん。でも今は…苦笑い、笑えるというより身につまされるって感じですかねぇ。 わしもそういう歳に近づいたんですねぇ。

それにしても、人は何に向かって生きるんだろう? 幸せ? 幸せという幻想? 人生が終わっても輝きつづけるものって何だろう? 人と人とのつながり? その思い? 思いの重さ、深さ、ありがたさ? 
何にしても、未来の先に“終焉”があることだけは確かですよね。

『エンディングノート』という映画もありました。“段取り命”がモットーだったモーレツ社員のお父さんが定年退職する。これから第二の人生ってときにガンが見つかる。お父さんの最後の仕事は、自分の死を段取ること…。
それを実の娘の砂田麻美監督が記録した…涙と笑いのヒューマンドキュメンタリーが『エンディングノート』でした。
http://www.youtube.com/watch?v=vBizbyqhF6M

豊かな人生ってなんだろうって思います。最高の人生って何だろう。結局、プラス思考っていうのか、自分で自分をシアワセと思える人の勝ち! そう思える人は豊かなんでしょう。苦境にあってもそう思える人ほど、器が大きいのではないでしょうか。

そんな気がする。多分、そうですよ。そうありたいものですよね。
しっかりと今を見つめ、新年に向かって歩いていきたい。
というわけで、最高の人生に乾杯しましょう!

DVDラベル=最高の人生の見つけ方

ジョニーは戦場へ行ったを思い出してもエ〜ガね

幸せなときは神さまを忘れる…といいますよね。

今回は『ジョニーは戦場へ行った』なのです。監督名は忘れました。『小さな恋のメロディ』の脚本の人の初監督作だったかもしれない。大昔に観ました。
実は、これを「ネコ爺のウダウダ映画日記」の最初に書こうとして…迷った末、今回になりました。書かねばなるまいと思いつつ、触れたくない気持ちもあったからです。


 蓄財も ないというのに 蓄膿か

数年前、医師から鼻の病気を指摘されて…気分はどん底だったのですが、こんな俳句だか川柳だかを書いていた頃はまだ笑っていられた。どん底にはさらに大きな落とし穴があったわけですよ。

そのことを書こうと思います。これから先、「ウダウダ日記」にはできるだけ個人的なことを書かないつもりですが、これだけは書いておきましょう。わしの再生の記録だからです。

定期検診で大病が見つかったんですよ。大腸ガンでした。驚きました。まさにガ〜ンと。
人生にはいろんな坂があるというけど、これこそ「まさか」という坂でした。
検診を数年サボっていたのがいけなかった。正直…アセりました。保険を解約した後だったからです。

手術〜入院には費用がいくらかかるんだろう。わしはこれまで、手術はもちろん、入院の経験すらもなかったのでまったくわからない。
このまま手術しなければどうなるんだろうとも考えました。3年くらいしたら死ぬのかな…それも仕方ないか…なんてね。自分のことなのに他人ごとっていうか、どこか呆然としていましたね。

結局、わしを支え救ったのは身内であり、兄弟であり、友だちであり、仕事仲間でした。
言葉ではいい尽くせないほど感謝しています。本当に本当に「ありがとう!」という素直な気持ちでいっぱい…。今は生きてこうしているわけですが、それからのわしはいつも「ありがとう」と唱えています。
入院の影響で朝の散歩をするようになり、井の頭の親之井稲荷尊へお参りしていますが、そこでも手を合わせて唱える言葉は「ありがとう」なのです。

「生きてるだけで丸儲け」っていうでしょ? 本当の意味で、その言葉を理解しましたね。たとえば不平不満があっても、そういうふうに思えるのは自分自身が生きているからだ、ありがとうってね。プラス思考っていうのがやっとわかったような気がする。
わしは命をもらったのです。映画『ペイ・フォワード 可能の王国』じゃないけど、この感謝の気持ちをお返ししなければと思っています。

でも、ジョニーに比べれば、わしなど盲腸のようなものだったでしょう。
『ジョニーは戦場へ行った』は…ベトナム戦争(?)に行って、江戸川乱歩の「芋虫」のようになって帰ってくる若者の話です。それでイメージしてもらえなければ、それをモチーフとした若松孝二監督の映画『キャタピラー』といえば伝わるでしょうか。
別のたとえでいえば、乙一氏の小説の「失はれる物語」ですね。

戦場へ行く前の淡い恋愛シーンがあるものの…『ジョニーは戦場へ行った』はほとんどが病室の場面です。戦場から帰ってきてからの話がメインなのです。
ベッドに寝たままのジョニーはいうのです。いや、正しくは口でいうことができない彼は体の動かせる部分を使って、看護婦(当時は看護士とはいわなかった)にモールス信号を送るわけです。「自分の姿を外の人に見せてほしい。それができないなら(管をはずして)殺してほしい」と…。

ジョニーは辛いだろうなと、昔この映画を観たときに思いました。
でも、自分が手術を受けてみると…そんな軽い表現じゃ済まない。わしは…入院してから、友人に入院日記をメールしていましたが、手術日を含む何日かはメールすることができなかった。麻酔が切れたあとは苦しくて…悶絶していました。痛くて、寝返りすらできなかった。看護士に「背中を拭いてください」と伝えることさえ辛かった。
ジョニーはそれが毎日つつづいたんだろうと思うと…言葉もありません。

全身麻酔について書いておきましょう。
全身麻酔というのは医療の経験から使われるようになったもので、医学的にはまだ正確に説明できないんだそうです。
手術台に寝かされ、背中に麻酔の注射をして麻酔用のマスクをつける。よく映画とかテレビドラマに出てきますよね。わしは「次に数をかぞえてくださいっていわれるんだな」と思ったわけです。
ところが、マスクは付けて…はずされたんです。すぐに。「どうしたんですか? マスクの付け直しですか?」と聞こうとしたら、看護士の動きがヘンだった。まるで後片付けの動きなのです。

そうです。手術は終わってたんですよ。
『タイム・マシン』の時間の説明のようでした。
わしには1秒と経過していないのに、実際には4時間過ぎてた。
全身麻酔とは寝たような感覚かと思っていたのですが、まったく違ってましたね。

映画のフィルムを切ってつないだようなもので、その間は“無”ですよ。
おそらく、わしは手術の4時間…死んでいたのです。ゾンビのように生き返ったのです。そうとしかいいようがない。でも、脳のどこかは何かを記憶してたんでしょう。まどろむと幻覚が見えるようになったのですから。
大平原に水晶がいっぱいいっぱい広がっている。寝ながら「何て奇麗なんだろう」って思いました。でも…これって、亡くなって蘇生した人がよくいう「お花畑」ですよね?

午前3時くらいには目覚めて、黒いキャンバスのような病室の窓を眺めてマゼンダの朝色に染まるまでボゥッと考える…。そんな入院の日々でした。窓は心の内側と通じていたのかもしれません。

もうこれくらいにしておきましょうか。
書こうと思ったことの半分くらいですが、ウダウダ書いていたら長くなりました。
ほとんど『ジョニーは〜』から脱線していますが、病床ではこの映画のことを思い出したのです。
『ジョニーは戦場へ行った』は反戦映画ですが、わしは反省しました。

暗い内容になりましたので、最後に明るい(?)話を少々。

手術後、点滴の他に腹から何本かの管が出ていたのですが…回復するにしたがってそれが抜き取られていく。翌日には見舞いが来るっていう日、医師が病床に来て「今日は最後の管を取りましょう」っていったんです。
わしはあわてていいました。「取るのは見舞いが終わってからにしてください。これがないと患者らしくありません。旅行客みたいになります」と。
病院は病気を置いていく場所だといいますが、そこはホテルのように奇麗でしたしね。

病室のベッドはスイッチを押すとそれに合わせて「足が上がります」とかって音声が聞こえるんです。
友人たちが見舞いに来たとき、「わしの気持ちをベッドに語らせますから聞いてください」といってスイッチを押したんですよ。聞こえてきたのは「頭が下がります」の音声。一同、大爆笑でした。

入院前に「かわいい人ばかり描いちゃダメよ」といわれていたのに、入院中はかわいい看護士(正しくは看護婦)ばかりの似顔絵を描いてしまいました。
最初のころはこちらがコホンと咳をすると「大丈夫ですか!?」と飛んで来てくれる感じだったのに、退院間近になると「まだいるんですか?」って表情に感じたものです。
「もうすぐシャバに出られるなぁ」とわしがいうと、「シャバって何ですかぁ?」といってましたっけ。

そういえば、全身麻酔の前に説明書きの紙をもらいました。それがコママンガになっていたんですよ。しかも、知り合いの絵でした。
それを観て「こんなふうにマンガが役立ってるんだな。わしも元気になったらがんばるぞ」って思ったものです。わしはニコニコうれしそうにそれを読んでいたので、医師は不思議そうでした。

退院して外に出たとき、太陽が眩しかった。それから1年後の検査が…先月ありました。
手術後10キロも減った体重は…1年かけてすっかり元に戻っています。
今は元気っていうか、むしろ前よりも元気なくらいです(笑)。

 クリスマス 酒を呑みすぎ クルシ〜マス?

神さまは乗り越えられない試練を与えないという。
わしは今、感謝の気持ちでいっぱいです。
現状に負けてはいられません。



DVDラベル=ジョニーは戦場へ行った
http://mo.miya634.net/johnny-got-his-gun/html
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