セデック・バレで魂が木霊してもエ〜ガね

台湾映画『セデック・バレ』の第一部「太陽旗」と第二部「虹の橋」を観て、感想に窮したものでした。
http://www.youtube.com/watch?v=fwd8Sz8V4rM

1895年(明治28年)から50年に及んだ日本の台湾統治。その時代のことは以前の映画日記の『トロッコ』にも書きました。しかし、この霧社事件のことは知らなかったのです。

統治された側の台湾の原住民族が1930年に武装蜂起した事件。原住民族のセデック族(高砂族の前身)は誇り高き首狩り族で、その中のひとつの集落の頭目モーナ・ルダオが中心となって6つの社(集落)の男たち300人が、運動会の日に抗日暴動虐殺事件を起こした。女性子どもを含む日本人ばかりが狙われ、そのときに殺害された日本人は134人だという。それが霧社事件です。
当然、日本軍の報復反攻があり、蜂起した6つの社の原住民族1000人が死亡したという。

映画のチラシには「かつて誰も味わったことのない獰猛な映像体験」とある。確かに、首が飛ぶシーンなどかなり過激で壮絶です。しかし、戦った相手の首を狩ることは真の男の証でもある。首狩りはこの民族の誇りであり文化なのです。セデック・バレとは真の人という意味なのですから。

国立科学博物館で「グレート・ジャーニー〜人類の旅」というのがあって、そこに干し首が展示されていました。ミイラですが、それだって文化でしょう。

メル・ギブソン監督の『アポカリプト』を思い出したりもしましたね。 残虐性もそうですが、原住民族の言葉を使っている点が似ていると思ったのです。
300人の戦士ってことでいえば、ザック・スタイナーの『300(スリーハンドレッド)』にも通じるかな。

日本からは安藤政信や木村祐一が参加しているものの『セデック・バレ』はまるでドキュメンタリーのようです。実際、セデック族を演じているのは俳優ではなくその血を引く者たちだそうで、主役のモーナ・ルダオを演じたのは神父さんだというから驚きです。頭目になる前の若きモーナ・ルダオを演じている彼もよかった。確か、ダーチンという名でした。
彼らは獣のように野山を走ります。静と動のバランス。その俊敏さは魅力的で、そういう意味では第一部「太陽旗」の躍動感が好きです。まるで、日本の忍者のようですね。
セデック族の血筋ということでビビアン・スーも出ていますが、ほとんどチョイ役なのが残念。名前と顔が知られていると真実味が薄まるということかもしれません。

それにしても、野蛮とはいったい何でしょう。野山を裸足で暮らすことが野蛮なら、「文明を教えてやるからありがたく思え」と押し付けるのは野蛮ではないのでしょうか。
辞書によると野蛮は「文明・文化がおくれていること。教養がなく、粗野で乱暴」とあります。本当にこの定義でいいのだろうかと考えさせられました。

民俗学でいうサンカを思い出しました。昔、日本の山地に住んでいたとされる非定住民。ナゾが多く、サンカは民族なのかもよくわからないのですが興味を持っていました。

和人(日本人)に追われて北へ北へと移って行った日本の原住民族であるアイヌのことを思ったりもしました。アイヌも人という意味ですし、自然の中で自然と共に生きてきた民族ですからね。
「ア、イヌが来た」と和人がアイヌを軽蔑した話が残っていますが、おそらくは台湾でもその類の蔑みがあったでしょう。いわゆる、民族間のイジメですよね。イジメる側は軽い気持ちでもイジメられた側は殺意を持つってこと、ありますよね。

『セデック・バレ』の監督は『海角七号/君想う、国境の南』のウェイ・ダーション。プロダクションデザインが日本の種田陽平。そして、プロデューサーにジョン・ウーという超大作です。
台湾映画で、かつてこれほどまでの規模の作品はなかったでしょう。CGに関しては今ひとつと感じたところもありましたけどね。

日清戦争で清が敗れて、日本が台湾を統治するようになって35年も経ってからセデック族が武装蜂起したわけですが、そのことに対して、ウェイ・ダーション監督が「セデック族は狩猟民族なので、35年間チャンスを待っていたのではないか」と応えていたのが印象に残りました。

自身のアイデンティティを問われる映画でしたね。わしは日本人だから、それを強く意識しないわけにはいかなかった。
しかし、日本を特に悪く描いている反日映画とは思いません。どこでも似たようなことはあったでしょうし、むしろ、気を使ってくれてますね。日本にも台湾の原住民族に対しても配慮が感じられました。
もしかすると、安藤政信扮する誠実な警官には後半で、もっと怒りを爆発させたかったかもしれない。日本への遠慮みたいなものも感じました。それとも、根底には日本への信頼があるのでしょうか。

最終的には辛い映画でした。日本側が追いつめたんだと思うからなおさら。
セデック族の死を美化しているのは日本人の罪の意識を薄めるためかもしれない。と、そんなことさえ思ってしまいました。

身内を殺された日本人の気持ちも、セデック族のふたつの民族の間で揺れ動くの若者の気持ちも、死んで行く家族に「死なないで」とすがる気持ちも痛いほどわかる。民族の誇りのために、殺して滅んでいく気持ちもわからないではない。
「どんなにがんばっても日本人は自分たちを認めてはくれない。どうせ屈辱的に滅ぶならば、文明に屈服するのではなく、自分たちが滅んでもいいから立ち上がろう」という気持ち。まさに、「荒ぶる魂が木霊する」って表現がピッタリですね。

ただ、第二部「虹の橋」での女性たちが死を選ぶ場面では沖縄での玉砕を思い浮かべたし、「男は誇りで死ねるからいい」といってるようにも感じました。「死んで虹の橋を渡ろう」というのは「死んで靖国神社で会おう」にも似て、気持ちがつぶれそうでした。

わしは誰に対しても深くは感情移入できなかった。淡々とした気持ちで観ました。感情移入できたとしたら美しい自然に対してでしょうね。山の色も川の色も昨日につづく今日。青々とした樹木や清い渓流は人間たちの凄惨な営みを知ってるんだなぁと。

この首狩り族のことはわしの心から消えることはないでしょう。
「モーナ」と呼びかける大地の声とともに。
http://www.youtube.com/watch?v=OVDqI-STFRg
http://www.youtube.com/watch?v=F38urUZHuz0

DVDラベル=セデック・バレ 第一部 太陽旗
DVDラベル=セデック・バレ 第二部 虹の橋
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