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女相続人を観て思い出すもエ~ガね

月に3つの日記を書く…という自己ノルマが大変だったりする。どうせ誰も読まないだろうし、月に2つにするか。
でも、ともかく…今回は自分の中の古い感情と向き合ってみよう。『女相続人』という古い映画(DVD)を観て、そんな気分になった。思い出したことを書いてみよう。いや、本当は…忘れることができない感情といったほうがいいんだろうな。

『女相続人』というのは…1949年のウイリアム・ワイラー監督作品。
世間慣れしない資産家の娘がいて、彼女に野心の男が近づき、愛を囁く。娘は男に夢中になる。魂胆を見抜いた父親が結婚を認めない。
やがて、父親が亡くなり…男が再び娘に近づく。しかし、娘も成長して別人のようになっている。そして、男にいい放つ。「かつては財産が目当てだったが、今度は愛までも欲しがるのか」と…。




その昔、結婚を考えていた女性がいた。わしの話。その気持ちに一点の曇りもなかった。
ところが、彼女からは大学を卒業するころになっても…就職の話は出なかった。就職する必要もないほどの資産家だったのだ。彼女はアルバイトすら経験がなかった。このあたりから大丈夫だろうかと、わしの心に陰りが出てきたように思う。

興信所を使って、彼女の親はわしのことを調べた。その上で「合格だ」的なことをいわれたとき、わしの心はにわかに曇天となった。
結婚とは…精神的にも経済的にも、親から独立した男女によって成り立つものだ。わしはそう思う。彼女はまだ親から独立してないじゃないか。と、わしは考えるようになっていた。
そして、「経済的にふたりを支援する」と親からいわれたとき、初めてわしの心に雨が降った。違うと思った。

わしは彼女に仕事に就いてほしかった。親から独立して…親をアテにせず、共働きでがんばりたいと思った。一緒に夢を叶えるというか、それが普通の夫婦だと考えた。でも、それは彼女にとって辛いことで、資産家の親にとってもトンデモナイことだったんだろうな。

しかし、問題は別にあった。
わしの心にダークサイドが芽生えたことだった。
支援があれば、仕事を選べるだろう。お金で苦労することはなくなるだろう。
「支援ではなく投資だと考えてもらいたい」ともいわれたが、それなら何も問題ないじゃないか。
そう思いつつも、その考えを振り払わねばと…そのときは思った。そのころは、親の囁きはダークサイドに思えたからだ。

娘に苦労させたくないという親の気持ちはわかる。それが肝心だ。でも、何か違う。自分がダメになる。ふたりともダメになる。葛藤はつづいた。
わしはそのころ、子どもの名前まで考えていた。でも、一緒になっても困窮しただろう。だから、結婚しても子どもは持たない…とまでいった。せめてもの抵抗だったのかもしれない。わしの意地だったのか…。
わしも若かった。いや、幼かった。支援を受けないことが愛情の証だといいたかったのかもしれない。資産目当てで結婚したんだといわれるのが怖かったのかもしれない。

わしは親に結婚の許しを乞うた。親からは「娘をよろしく頼む」という手紙をもらった。
なのに、わしはそのようにしなかった。できなかった…。優柔不断、軟弱といわれても仕方ない。

彼女の家には何度も行ったのに、酒が呑める年齢だったのに…皆がそろって呑んで笑って語り合うということが一度もがなかったな。

最終的には彼女の言葉がわしの心模様を決めたんだろうな。
「子どもがいなければ、私は何もすることがない」といわれたとき、心の中に吹雪が舞った。
そして、「私は誰と比べられても劣ってる。そんな私を選ぶあなたの気持ちがわからない」といわれたとき、わしの心は凍り…砕けた。残るは…大事な人を不幸にするかもしれないという不安だけだった。

それでも、彼女への純粋な気持ちだけは変わらなかった。そのことに気づいて、恥ずかしく見苦しい行動もした。どうしていいかわからなかった。あのころのことは自分でもよくわからない。きっとわしがダメだったんだろうな。

あのときの気持ちを楽曲にたとえるなら、小田和正の「言葉にできない」だろうか。





あげられなかった幸せ…。今は幸せだろうか。理解ある夫と子ども。孫もいるかもしれないな。

ウイリアム・ワイラー監督の『女相続人』を観たら、懐かしく愛おしい…大昔の思い出たちが蘇ってきた。
映画は…日本では1950年に公開されたらしい。女の喜びと真実を知った後の冷徹さを演じ分けたオリヴィア・デ・ハヴィランドはアカデミー賞の主演女優賞を受賞している。


あと1センチの恋もエ~ガね

わしは…テレビを持ってない。だから「紅白」は観たことがない。年末の「朝青龍を押し出したら1000万円」だってパソコンで観たのだ。

それはともかく、新春の映画DVD観賞は『あと1センチの恋』だ。苦手な恋愛映画なのだ。
西荻窪の居酒屋の…恋愛映画大好きオジサンから薦められて、予備知識なしで観た。監督も俳優も何も知らない。

https://youtu.be/Ssiecig9w60

アレックスの結婚式の日、ロージーはスピーチをしながら回想する。ふたりは6歳のときからの親友だ。
う~ん。出だしから好きになれない。なぜ、恋愛映画が嫌いかといえば…現実で起こり得ることをわざわざ映画で観たくないからだ。
ではなぜ観るかといわれれば、推薦されたからだ。推薦されればどんな映画でも観る。わしは映画という“表現”が好きだから…。

『あと1センチ~』というタイトルは…すぐ傍にいながら遠い。キスしそうでしないというところからきているようだ。
では、プラトニックな恋愛映画かといえばとんでもない。くっついて別れてくっついて別れて、「いいかげんにしろ!」といいたくなる。主人公のロージーに「あとで泣くことになるんだぞ。 誰かを選ぶということは、他の人を選ばないってことだぞ。もっと、考えて行動しろ!」といいたくなった。

でも、そんなふうに思ってしまうというのは…もう、この映画にハマッてるって証拠なのだ。だから、ロージーのお父さんのような気持ちになった。ハラハラドキドキイライラ…。最後は、ロージーよかったね。信じていたよ…と。

調べた。『あと1センチの恋』は2014年のイギリスとドイツの合作映画。監督はクリスチャン・ディッター。主演のロージーにリリー・コリンズ。アレックスにサム・クラフリン。原作はセシリア・アハーンの「love,Rosie」で、邦訳は「愛は虹の向こうに」みたいだ。

とにかく、恋愛映画で新しい年を迎えたのだ。今のわしにはそれもいいか。
目を背けていたものの中にこそ得るものは大きいのかもね。
さあ、朝風呂に入ってスタートしよう。


P.S.アイラヴユーというもエ~ガね

西荻にある居酒屋の主人と映画話をすると…必ずこれが出てくる。『P.S.アイラヴユー』という恋愛映画。主人は顔に似合わず(失礼!)恋愛ものが好きなのだ。
交流のため、DVDを観た。苦手な分野だ。観始めて10分くらいで…やめようかと思った。観終わった今、以前は苦手な映画だった…と過去形でいえる。苦手だからこそ知識も乏しく…その分、得るものが多いのかもしれない。

アイルランドの風景が美しい。と思ったら、アイルランド出身のセシリア・アハーンという人の原作らしい。
それがアメリカ映画になって、2007年に公開された。監督はリチャード・ラグネヴェネーズで、主演がヒラリー・スワンクとジェラルド・バトラー。
ヒラリー・スワンクは『ミリオンダラー・ベイビー』のイメージが強かったので、恋愛映画っていうのに驚いた。わしが観てなかっただけだろうけど…。

https://youtu.be/IYxz2g0g8lM

内容にはあまり触れたくないが、ある日、夭折した夫から妻のホリーに消印のない手紙が届く。それは…という感じの映画。『ゴースト ニューヨークの幻』を思い出したりもした。

わしが恋愛ものをほとんど観ないのは…現実で起こりうることをわざわざ映画で観たくないということだろう。だから、好きな分野は…SFやファンタジーや歴史・時代劇だったりする。現実ものを観ないわけではないが、サスペンスが好みだったりする。もっとも、サスペンスでもおもしろく引っぱっておいてオチはこれかよっていうのもある。

その点でいえば『P.S.アイラヴユー』は反対だった。最後まで観れるだろうかと感じながら観始めて…ラストは大きな感動に包まれた。登山と似ている。ヘロヘロになりながら登って、やっとの思いで稜線に辿り着いて視界が広がったときのあの開放感。幸福感…。

心の合図? いい言葉だ。ウイックロー山脈国立公園? 一度行ってみたいものだ。
今は、観てよかったという気持ちが心いっぱい。
何より、こういう映画が嫌いじゃない自分に驚いた。きっと、『P.S.アイラヴユー』が好きな人は人間好きなんだろうな。女性映画という“くくり”も違うのかもしれない。これは恋愛映画というより、人間賛歌の映画だと思う。

P.S. 居酒屋の主人と語らうのがたのしみだ。


モロッコに行くもエ〜ガね

電話がかかってくる。仕事の催促だ。その場しのぎの返答をしてから、食料の野菜の中に依頼書類を見つける。わしは誰だか知らないがよく知っている彼女のところへ行く。邪険にする彼女だったが、君の笑顔を見ればがんばって仕事できるというわしの言葉に、わしを抱きしめる。周りの人が見ているので、わしは彼女を抱いて宙に舞う。しかし、高くは飛べず、川のほとりの闇市のようなところに下りる。人々が集まってくるので、スマホのように周りをスライドさせる。周囲はタイムマシンのように時が流れ…地形が変わり、そこは砂漠になる。

…と、こんな夢を見た。夢日記として独立させようかとも思ったが、ここに書こう。
この夢は…DVDで映画『モロッコ』を観たせいなのだ。

http://matome.naver.jp/odai/2135206197586559901

『モロッコ』は1930年のアメリカ映画。大昔の化石のような作品。監督はジョセフ・フォン・スタンバーグ。ベノ・ヴィクニーの原作で、もとは舞台劇だとか。主演はマリーネ・ディートリヒとゲーリー・クーパー。どうやら…これが日本で最初に日本語字幕を付けたトーキー映画らしい。これ以前は弁士が付いたということだろう。

外人部隊のトム(ゲーリー・クーパー)は女たらしで、駐在していたモロッコでアミーという歌手(マリーネ・ディートリヒ)と出会い、恋に落ちる。かつての「ピンキーとキラーズ」のピンキーの衣装は多分、これが参考だったのだろう。
アミーの「もう帰ってよ。好きになってしまいそうだから」というセリフにはドキッとした。とにかく、マリーネ・ディートリヒが妖艶で美しい。と同時に、取り憑かれたような演技がすごい。恋愛に理屈はない。怖いほどで、それを体現している。伝わってくる。

昔の映画はすごい。すごいから残っているんだろうが…。
今の映画は確かにすごいが…この映画のようなすごさがない。と思う。今の映画はカラフルでCGも盛り沢山で派手で確かにおもしろいが…観たら消えていく。最近の…中学生がつくったといわれるVFXに驚嘆したりもするけれど。
ホラーならともかく、夢にまで見るというようなことはない。この映画のようには心の奥底に根付かない。と感じる。

ところで、わしは何も知らないし何の根拠もないので書いていいものかとも思うが、実は…観ていて従軍慰安婦のことが頭をかすめた。わしはあまりに歴史を知らない。
それにしても、1930年にここまでの映画ができていたんだなと…つくづく思う。わしはあまりにも昔の映画を観ていない。『嘆きの天使』さえ観ていない。情けない…。

こうして、わしの映画の源流への旅はつづくのだ。
廉価版のDVDを全部観るしかあるまい。

イカレたスコット・ピルグリムもエ〜ガね

DVDで『スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団』を観ました。疲れたので、途中休憩しながら観ました。何というイカレた映画だ。

https://www.youtube.com/watch?v=ILoK1kQmWnU

監督はエドガー・ライト。原作はブライアン・リー・オマリーによるカナダのコミックで、原題は「Scott Pilgrim vs. the World」。ヒロイン役の女優がかわいい。中国系のほうの彼女を多部未華子にすればよかったのに…。

こんな映画はちょっとない。妙なセンス。説明不可能。現実なのかゲームの世界なのかわからない。おもしろいのかおもしろくないのかもよくわからない。感想書く気力もなくなった(笑)。

部分的にはおもしろいところもあるんですよ。人物の不思議な動きとかね。
でも、全体的にはよくわからないところもあるわけでして…。
ところが、この映画はそこが魅力のようでもあり…。
わし、どうしたらいいんでしょうって感じ。

そういえば、主人公が“アトム”の絵の入ったシャツ着てたなぁ。“パックマン”を解説してたし、監督は日本通なんだろうなぁ。

映画通から、エドガー・ライト監督なら『ホット・ファズ/俺たちスーパー・ポリスメン!』や『ショーン・オブ・ザ・デッド』を観るようにいわれた。おもしろいらしい。まだ、観ていない。

オタク系の映画の場合、オタク精神を持って外の世界に向いてる作品は大好きです。でも、オタク精神を持ってオタク世界に浸ってるような作品が苦手なんですよ。
とはいっても、この『スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団』がそうかというと…よくわからない。よくわからないところがこの作品の最大の魅力だと思うけど、よくわからない。いや、内容的にはシンプルでよくわかるんだけど、よくわからない。

それはともかく、今年もそろそろ桜の開花ですな。酔ってイカレた若者が公園の木に登ったり…池で泳いだりするんだろうなぁ。
ま、それが若さってもんでもあるんでしょう。若いっていつの時代もいいね。

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ネコ爺ことネコタル爺の高峰 至です。

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