今ころ東京物語もエ~ガね


まったく恥ずかしい話だけど、今ごろ『東京物語』を観た。1953年の小津安二郎監督作品。
もちろん、断片的には知っていた。でも、ちゃんと観たことがなかったのだ。若いとき、カッタルイ映画と感じて敬遠していたということもある。
どちらかといえば、アメリカ人の友人のほうが評価してたんじゃないかな。もしかすると、小津というネーミングは「オズの魔法使い」にも通じるのかもしれない。

https://youtu.be/LjDWc-lQYnM

尾道の老夫婦(笠智衆と東山千栄子)が東京の子どもたちを訪ねる。親に気を使いながらも自分たちの生活がある子どもたち。そんな中で、戦死した次男の嫁(原節子)だけは老いた両親をねぎらう。基本的にはそんな話だ。皆、それぞれの演技がいい。

海外での評価も高い『東京物語』なので…今さらだが、発見がたくさんあった。
まず、カメラワークがおもしろい。カメラが動かない。まっすぐに真正面から捉える。斜めの構図がほとんどない。
計算されつくした映像。それはまるで、美しい版画か水墨画のようだ。

最近は違うかもしれないが、幼い子どもに「窓の絵を描いて」というと、男の子は家の外から見た窓を描き、女の子は室内の(カーテンなどのある)窓を描くという話を聞いたことがある。
この映画でも多くが室内から表現されている。女性的ということだろうか。
外観がなく、画面いっぱいに東京の家の室内が映し出され、ドアが開いて外から老いた両親が入ってくる…それが到着の表現、という具合だ。
そういえば、旧ソビエトの映画もこういう表現が多かった。どちらが先だろう。

ところが、終盤は外の映像が多くなる印象を受ける。ラストで唱歌が流れる。それを聴いて、大好きな黒澤映画の『野良犬』を思い出した。それが1949年の作品だから、『東京物語』の数年前。黒澤映画の『生きる』が1952年だった。
静の小津作品と動の黒澤作品。映画のタイプはまったく違うが、小津監督と黒澤監督は影響し合っていたのかもしれない。

とにかく、『東京物語』に限らず、小津作品では特別な大事件は起こらないし、スーパー主人公が出るわけじゃない。どこまでもフツーの人たちを淡々とフツーに捉える。でも、現代ではもう…そんなフツーが存在しない。マンガの「サザエさん」のような家庭はどこにもないのと同じように…。

若いときは地味でカッタルイ映画と思ったものだが、今観るとしみじみと味わい深く…新鮮だったりもするのだ。たとえば、是枝監督の『海街diary』なども…小津センスなのかもしれない。


おくりびとを想うもエ〜ガね

DVDで『おくりびと』を観ました。温かくてやさしくてわかりやすくて…いい映画でした。静謐で美しく…荘厳ですらありました。涙が溢れました。山形の風景やチェロの音色とともにいつまでもわしの心に残るでしょう。
もちろん、モックンたち出演者もよかった…。

https://www.youtube.com/watch?v=5XKNS3-VMhI

死生観というか…死者をおくるというのは国(文化)によって違うでしょうから、外国人から見ればエキゾチックでしょう。そういう意味では外国語映画賞もイケるかもしれないと思っていましたが、みごとにやりましたよねぇ。

滝田洋二郎監督の作品では『コミック雑誌なんかいらない!』が印象に残ってます。そのときの主役が内田裕也でした。そのつながりで本木雅弘の主演になったんでしょうか。

思い出すと…本木雅弘主演の映画は『シコふんじゃった。』と『トキワ荘の青春』と『中国の鳥人』と『スパイ・ゾルゲ』をリアルタイムで観ています。それぞれ…印象に残ってますね。わしはきっと、俳優としてのモックンが好きなんでしょう。

『おくりびと』はモックンの企画だったようですね。青木新門という納棺師が書いた「納棺夫日記」が元になっているとかで、そうういえば…昔にそういう記事を読みました。ということは、それからずっと関わって、やっと映画が制作できたってことだったのか。それがアカデミー賞外国語映画賞という最高の形で花開いたんですね。
『中国の鳥人』もインディーズ系だったし、きっとモックンは映画に対して真摯な人なんでしょう。

ところで、『おくりびと』に山崎努が出ていますが、彼は伊丹十三の『お葬式』にも出てましたよね。こうなるとなんだか葬送俳優ですな。


アカデミー賞外国語映画賞っていうと重厚な作品をイメージしますが、『おくりびと』には笑いもあって、ラクに観られる映画でした。こむずかしい映画を好む審査員も…こむずかしくないところを評価したんでしょう。普遍的なテーマですしね。
詳しくは書けませんが、“石”のエピソードも好きですね。

職業差別的な表現のところですが、風土的に考えてもそういうことがありそうです。でも、それよりも映画的メリハリとして入れたのかもしれません。

ラスト、その配役ができすぎっていうか…実際に亡くなった人ですよね。最後の映画出演だったのでしょうか。二重の意味で涙を誘いました。後になって気づいたんですが、回想シーンでの後ろ姿は…ちゃんと彼だったんですね。

わしだって…これまで何度か、葬儀に立ち会いました。でも、特に身内の場合など気が動転してちゃんと観ていなくて…こういうことに対して、感謝すら忘れていたかもしれません。

それにしても、エンドロールでのモックンの名前は主役としてのみなんですね。もっと、企画とかにも名を連ねてるのかと思った(実質的にはプロデューサーだと思うから)。

納棺師の青木新門の名もなかったと思う。本屋ではこれが映画『おくりびと』の原案ですって感じで「納棺夫日記」が紹介されているのに、映画ではまったくクレジットされてない? わしが見逃したんでしょうか? それとも…やはり、名前を出すことに対して、青木納棺師を説得できなかったということでしょうか。
それに対してモックンも責任を感じて、役者としてのみのクレジットにしたんでしょうね。

関連で、『おくりびとが流した涙』(ぶんか社文庫)という本が出ていて、そこには映画のようにキレイではない…過酷な現実がありますね。

ラストはもうひと工夫あってもいいのかもって思いましたが、そう思わせることが余韻につながっているのかもしれません。
それにしても、この手の映画で坊さんの読経がまったく聴こえないというのはちょっと不思議な気もします。納棺師にピントを合わせるために、あえて宗教色を排除したということかもしれませんね。

映画は…できてしまえば2時間ほどですが、その裏にはいろいろありますよね。人生も似たようなものかもしれません。わしは笑いながら『おくりびと』を観つつ…身につまされ、“身の納まり”に…いつしか泣いていました。

平凡に生きることは非凡である。改めてそれを感じさせてくれた…感謝の心がいっぱいのやさしい作品でした。


越冬をあきらめた白鳥を主人公に重ねているんだそうですね。
『おくりびと』で渡り鳥が飛び立つシーンがありましたよね。あれはもちろん、あの世への旅立ちの表現でしょうが、それ以前に…飛べない渡り鳥らしき姿もあったように思います。そこには、都会で飛び立てずに田舎へ帰って来た主人公の…焦りやあきらめの気持ちも含まれていたのでしょう。
いや、あきらめの中にだって希望はありますよね。


ところで、チェロという楽器は人体(女体)をデザインしたものらしく、それをケースに入れるのは納棺にも通じますよね。そういう深読みもさせてくれる映画でした。

実はわしのカラオケ仲間がチェロをやってて、この映画のための…モックンを指導した同じチェリストに指導を受けているようです。いつか…仲間のチェロ演奏も聴いてみたいものです。



悼む人を探すもエ〜ガね

どこにでもあるような…田畑の中につづく道が懐かしかった。悼むとは死者の冥福を祈るという意味です。“死”を悼むための旅はお遍路の巡礼のようで美しかった。
堤幸彦監督の『悼む人』のことを書きましょう。

https://www.youtube.com/watch?v=q_LsnljHPhY

力作です。誠実な映画です。悼む人である静人役を『白夜行』の高良健吾が…繊細かつ逞しく演じていました。わしは原作を読んでいる段階では『HINOKIO』の本郷奏多が頭に浮かんでいたんですけどね。歌手の森山直太郎とかもイメージが近いかな。
悼む人に連れ添う…汚れ役ともいえる石田ゆり子。演じる人としては挑戦だったろうと思います。まさに、転がる石には苔が生えないという感じの新たなイメージでした。その彼女の夫役が井浦新です。
息子を思う…静人の母親に大竹しのぶ。静人の妹を演じるのが貫地谷しほり。静人の行動に疑問を持つ記者には椎名桔平が扮していました。皆、熱演でした。

文庫本2冊の内容を2時間ちょっとにうまくまとめたものだと感心しました。
でも、テレビ実写版の「ブラック・ジャック」で、ピノコを双子にした堤監督なので、どのように脚色するかと秘かに期待もしていたのです。
悼む旅では、映画『砂の器』の父と子を思い出しました。松本清張の原作での数ページを橋本忍が大胆に脚色して、40分くらいの音楽映像にした部分です。その点、『悼む人』は天童荒太の原作とまったくといっていいくらい同じでした。悼むための動作は原作より大きく優雅になっていましたけどね。

原作は各人物の章で分れていて、その中に静人が語られるという構成。
でも、映画ではそれらが同時進行です。それもあって…盛り沢山で忙しい。感情移入する間もなく次に進むという感がありました。そう思ったのがわしだけならばいいけど…。悼みの旅はほとんど徒歩なので、そういうゆったりした流れがあっても…と思ったりもしたのです。

原作を読んだのは半年前。近年読んだ中で特に好きな小説です。読み終えて、もう一度読みたいと思うほど感動しました。天童荒太はこれを書くのに7年かかったそうですね。
わしは映画になることは想定していなかったし、心の描写が多くて重く地味な内容だけに…決して映画的な題材とも思わなかった。ですから、それをどんなふうに映像にしたんだろうと思いつつ観たわけです。

文字は重ねることができないけど、音(声)は重ねて表現することができる。それが新鮮でした。

『ビルマの竪琴』を思い出しました。弔われずに死んでいる日本兵を思い…戦地、ビルマ(ミャンマー)で僧侶となった水島上等兵。「イッショニ、ニッポンニ、カエロー」です。通じるものがありますね。

余談ですが、梅図かずお原作による大林宣彦監督の『漂流教室』も思い出しました。「未来に蒔かれた種」というのが観る人に伝わるだろうかと心配したときのことを…。
紙媒体では成り立っても、そのまま映像で表現すると不自然ってことありますよね。
マンガと映画は違う。当然、小説と映画は違う。

映画を観ている人にちゃんと真意が理解されただろうかと心配になったのは事実です。
主人公の母親はまだしも、記者や、連れ添う女性や彼女を追いつめる夫の気持ちなど…。そして、主人公静人の人の“死”を悼む気持ち…。
追いつめられた人たち…。
魂の巡礼。亡くなった人は誰を愛していたか。誰に愛されていたか。
“死”はどこにでもある。それをいちいち他人まで悼んでいたらキリがない。でも、静人のそうしないではいられない切羽詰まった気持ち。それが理解されるだろうかって…。

高齢になって死んでいくのも大変です。
ましてや、昨今は理不尽に人の命が奪われたりもする。マスコミもそれを取り上げ、加害者の名前や顔までも記憶に残ったりする。でも、被害者は…。記憶にも残らず、悼んでもらうことさえない。そういうことも多々あるんじゃないでしょうか。

たとえ病気といわれようと、自分には悼む以外に何もできないと考える静人…。

映画を観る環境として決してよくはなかった。それもあります。
「この人、何でこんなことしてるの?」と、隣席から聞こえたような気がする。
実は、劇場の隣席のカップルが内容をいちいち確認し合っていて…小声がうるさかったのです。でもそれは…登場人物たちの気持ちが理解できなかったからでしょう。


わしは子どものころ、鳥とか魚とかを飼っていました。
死んでしまうと小さな墓をつくって埋めたものでした。
忘れてしまったら生きていたことを誰も知らないんだ。
おそらく、静人もそういう子どもだったんでしょうね。

亡くなった人のことなど忘れてしまう。誰も覚えていない。
原作を読んだときに頭をよぎった思いが伝わるだろうか。
温かく愛おしく切ない思いが伝わってくれるだろうか。
わしが死んだら…誰が覚えているだろうか。
悼む人は誰ですか。どこにいますか。
そんなことを思ったわしでした。

シマネのシネマ RAILWAYSで郷里に帰るもエ〜ガね

連休を利用して、鉄道で旅をした人も多かったでしょうね。

わしはその昔、新宿ピカデリーで、島根県は出雲市を舞台にした映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転手になった男の物語』を観ました。
故あって、わしは遣島使といって島根県のPR大使か宣伝マンのような役の一員なのです。であるからして、今回は『RAILWAYS』を通して…島根県をPRさせていただきます。
長い(文章の)旅に出発進行!


ご当地ソングという言葉がありますが、これはご当地映画でしょう。
『RAILWAYS』はあちこちの地方の鉄道を舞台にシリーズ化されているようですが、これはその1作目です。

監督は錦織良成といって、同じ島根ものの『白い船』(『天然コケッコー』は山下監督)を撮った地元出身の人で、おそらくROBOT(制作プロダクション)の人。ですから、『ALWAYS 三丁目の夕日』みたいなタイトルになったんでしょうね。ただ、若い人向きの映画でもないと思うので…年配者には『RAILWAYS(レイルウエイズ)』というタイトルはとっつきにくかったかもしれません。

中井貴一扮する49歳の猛烈ビジネスマンが主人公。彼が東京の大手の会社を辞めて、出雲市から松江市を走る2輛だけの電車…一畑電鉄の通称バタデンの運転手になるというとても地味な話です。

実はわし、この主人公の気持ちがよくわからなかった。いくら、バタデンの運転手が子どものときの夢であっても、このまま行けば取締役っていう地位を蹴ってまで…。そりゃ、友人のことがあったにせよ、親の問題があったにしても…って考えてしまいました。

でも、ふと思ったんです。夢っていうのは好きって気持ち。高みにあって手の届かない大きなものだけじゃない。足下にもある小さなものかもしれないって…。高嶺の花より、野のスミレ。それこそが幸せというか、自分を納得させてくれるものじゃないかって…。
確かに、そういうこともあるでしょうね。
もっとも、50近くになって電車の運転手っていうのは、別の意味でハードルの高い…まげな夢だきの(笑)。


一畑電鉄のバタデンは昭和初期からず〜っと走ってるほとんど木製の電車で、デハニ50形というんです。デは電車のデ、ハはイロハのハ(3等車)、ニは荷物車ありのニなんです。ニは知りませんでしたね。勉強になりました。

田園風景の中を走る電車は美しい。親の目の届くところで電車の運転をする。確かに富も名声も何もないけど、そういうものとはまったく違う別の充実感はある。あるかもしれない。そう思ったときに主人公の気持ちがわかる気がしましたよ。


もしも、実際にこういうことになれば、夫婦も親子も…諍いになり、普通はもっとドロドロになるでしょう。でも、この映画ではそうはならない。人と人が信頼し合ってる。それがいいですね。映画として浅いとか物足りないと思ってもいいはずなのに、そうは思わなかった。

毒がないんです。山陰なのに影がない。皆、いい人ばかり。いわゆる悪役って人がいない。それに、登場人物が寡黙で多くを語らないんです。でも、そこがいい。
言葉に頼ってるんじゃなく、心に頼ってるんですよね。
寡黙な人ほど思いが深い。愛を語らない人ほど愛が深いのと同じように…。
そんなことも感じました。

印象深いのが、この映画ではケータイ電話を使うシーンがほとんどないことです。暗に、人と人は顔をつき合わせないといけないといってるのかもしれませんね。

登山をすると、知らない人同志でも挨拶をし合うでしょ? でも寡黙な人が多く、よけいなことは語らない。そういうことにも通じるかもしれません。
一種の県民性でしょうか。


そういえば、御巣鷹山の飛行機事故で助かった川上慶子ちゃん。彼女がこの土地の人でした。芸能リポーターが「芸能人になれ。そのために助かったんだ」とかって理不尽に押しかけましたが、おばあちゃんが「あんたがたはここの土地柄がわかっとらん」と戒めてましたね。

宍道湖からの風が爽やかです。風土が包み込み、癒してくれる。
そういう映画ですね。しじみ…じゃなくて、しみじみ心に染みました。
それこそ、しじみ汁のように…ほっこりさせてくれる『RAILWAYS』でした。

高島礼子や本仮屋ユイカや奈良岡朋子が出ていますが、さりげない役の他の役者さんたちも自然体で、昔からそこにいるみたいで…皆よかった。
特に、百恵さんの息子の三浦貴大くんが屈折したいい味を出してます。大物役者になる予感がしたものです。中井貴一と語り合う場面は特に好きでした。


出雲には古代、タタラ製鉄の技術を持つ強大なクニ(?)があったことは知られています。古事記や考古学の世界ですが、その時代に思いを馳せることもたのしい。砂原遺跡もありますしね。わしの好きな分野です。

映画の中に出雲大社もチラッと出てましたね。神無月(かんなづき=10月)のときに八百万の神さまがここに集合するのです。というか、ここに集合するから神無月になるんですけど、その間、この地方だけは神在月(かみありづき)と呼ばれます。神話の故郷だきのぅ。 


何もない田舎ですが、出雲の国にはそういう悠久の時空へとつながる思いがいっぱいあります。だからこそ、かの小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)もこの土地を愛したのでしょう。その気持ちはよくわかる。
何もないからこそ、自分の思いで満たされる。ハーンが「日本の面影」の中で、早朝の米をつく音を神々の鼓動だと感じたと書いていましたが…感動的ですね。 感じる心さえあれば、そういうふうに観ることができるのです。


そんな神々の国に抱かれ、憩ってみてはいかがですか?
行くシマ、ネェ〜? そげなこといわんで行ってごせ(笑)。
深い思いを持った知的な旅行者にはピッタリかもしれませんよ。
昨今、どこへ行っても同じって感がありますが、島根はひと味違う。

昔、田んぼはカエルの卵だらけでした(笑)。それこそ、サッカー競技場に響くブブゼラの音のようにカエルの大合唱が聴こえたものです。今は農薬のせいでカエルたちもいないのかな。
『RAILWAYS』は島根が舞台とはいっても、そこは島根の中のちょっこし都会です。そのせいか、昆虫も小動物も何も出てこなかった。それがちょっと残念でしたね。Uターンになぞらえて、ツバメくらい出てきてもよかったのに…(笑)。
子どももあまり出てこなかった。やはり過疎化なんでしょうねぇ。


出雲から少し東にいけば、NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」の布枝さんの安来です。さらに東へ行けば、鳥取県です。

そして、世界産業遺産で有名になった石見銀山は、出雲より少し西の石見の国にあります。銀山とは…こんもりした山に坑道と呼ばれる穴があるだけです。銀の製造とともに、自然を壊さないで穴を開けたという点が評価されているのです。
さらに西へ行けば、山口県です。

せっかく遣島使になれたわけだし、わしもこの際…子どものころの自分と再会するために島根に行き(帰るという表現はもはや当てはまらない)、還らぬ季節の思い出巡り旅もいいかなと思ったりしています。

夢の中でしか見なくなった郷里。あの山や川…。朽ち果てて、緑に飲み込まれた我が家…。幼友だちの墓参りとかもしたいなぁ。
遣島使とはいっても、知らない島根のことも多いので勉強しなくちゃなりません。
一度も行ったことのない隠岐の島とか…。ほんとは竹島(韓国では独島と呼ぶ)にも興味があるんですけどねぇ。


最後まで読んでくださって…ありがと。おおきに。だんだん。

http://www.youtube.com/watch?v=PN_kFa1Ix4E


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