ウォルト・ディズニーの約束を守るもエ〜ガね

中央線沿線に、まるで昭和30年代を思わせる…小さな立ち呑み屋があります。わしは立ち呑み屋のファンです。隣の人とのささやかなコミュニケーションが、わしの趣味だったりもします。
あるとき、その店のシャッターに「体調がよくないので、少しの間休みます」みたいな貼り紙があったのです。数日でシャッターは開くと思っていました。
日が経つにつれ、その貼り紙の余白には「まだですか」「待ってます」「早く元気になってオープンしてください」みたいな書き込みが増えていきました。今ではビッシリ。アナログの…現代版ツィッターですよ。人の温かさを感じますね。写真は撮ってあるのですが…ここにupしていいものかどうか。
店主が読んだら喜ぶだろうなと思っていたのです。でも、今では…店主はちゃんと読むことができるだろうか、約束は守れるだろうかと心配しています。だってもう、貼り紙から4ヶ月ですからね。


『ウォルト・ディズニーの約束』を観ました。DVDで、ですけどね。
わしがディズニー映画の『メリー・ポピンズ』を観たのは大昔です。40年以上前でしょう。実写の中にアニメが融合した夢のような作品でした。
そのころから…原作者とスッタモンダがあったというのは見聞していたのです。それを映画にしたのが『ウォルト・ディズニーの約束』だったんですね。

https://www.youtube.com/watch?v=iJrsmAdVFKA

なぜ、今『メリー・ポピンズ』なのか。そこのところはよくわかりません。
それにしても、原作者は決して映画化を望んではいなかったみたいですね。やむを得ず…だったんでしょうか。

映画『メリー・ポピンズ』は明るく爽やかなイメージでした。でも、それはディズニーがつくり出したイメージであって…オリジナルはそうではないんでしょうね。というか、おそらく…原作者はそういう最大公約数的な映画にしてほしくなかったんでしょう。

原作者の少女時代のギンディ…。小説の「メリー・ポピンズ」には父親とのオーストラリアでの辛い思い出がベースにあったんです。原作を映画のために提供することは家族を悪徳サーカスに身売りするくらい辛いことだったでしょう。ましてや、嫌いなアニメやミュージカルになると知っては…。自分の愛する作品を汚されたくないという…その気持ちはよくわかります。

監督はジョン・リー・ハンコック。原作者のトラバースを演じるのがエマ・トンプソンで、彼女が中心のドラマです。そして、ウォルト・ディズニー役がトム・ハンクス。彼の演技によって、ときに本物のディズニーに見えたりもしましたね。

ウォルト・ディズニーはマンガ家やアニメ作家というよりは…実業家でしょう。人前では決して絵を描かなかったという話もありますしね。実質、プロデューサーですからね。
でも、ディズニー作品には心がある。その心とは…ウォルト・ディズニーそのものだとわしは思うんです。

ちなみに、わしが一番好きなディズニー作品は『ファンタジア』で、もう覚えるくらい観ています。もちろん、『メリー・ポピンズ』も大好きですよ。実写もの…たとえば『海底二万マイル』とか『ラブ・パック』とかもね。透明人間のもあったかな。
あの頃の映画は…あれもこれもそれも、好きな作品がいっぱいです。

実写の中にアニメ…というのは後に虫プロ商事が「バンパイヤ」で取り入れた方式でしたね。そのときの主役のトッペイを演じたのが水谷豊でした。アニメの中に実写というのでは『千夜一夜物語』もありました。あ、これは脱線でしたね。

それはともかく、この『ウォルト・ディズニーの約束』も好きなのです。
夢のような作品をつくるためには…悪夢のような試練を通らねばならない。というか、文章と映像では伝え方の文法が違いますからね。双方のそのこだわりはよくわかるし、そこがおもしろいと思うわけですよ。

以下、興味深い特別映像です。
https://www.youtube.com/watch?v=GQ2_4AB886w

ローマの休日に笑い…涙するもエ〜ガね

文化庁の見解に対して、東京地裁が『ローマの休日』など1953年公開の作品は50年(新法では70年)過ぎているので「著作権保護期間が切れている」と決定したのは10年くらい前だったでしょうか。
よく駅構内とかで¥500で販売している廉価もの…パブリック・ドメインのDVDのことですね。

それにしても、この1953年はすばらしい映画がたくさんつくられました。映画がモノクロからカラーに移行する前の、それこそ…映画が映画だった時代の作品です。

わしはこのウイリアム・ワイラー監督の『ローマの休日』が大好きです。今まで何回観たかわかりません。覚えるくらい観ています。何度観ても感動します。涙が出ます。
新人だったオードリー・ヘプバーン演じる王女とグレゴリー・ペック演じる新聞記者の気持ちを…決してセリフには頼らずに伝えてくれます。ラストはほとんどふたりの会話がないのに、それでも気持ちが痛いほどわかります。
王女は涙をこらえ…美しく切ない思い出を胸に、人として成長していくんだろうと思うとうれしくなったものでした。

字幕なしで…この映画の英語を聴き…そのまま感じ取りたいと奮闘したりもしたものです。とても古風で気品ある英語なのですね。でも、出だしの「こんなパジャマはいや!」とかってセリフの“パジャマ”すらが聴き取れなかった。“ジャマ”にしか聴こえなかったのです(笑)。

映画が映画だった時代の映画の中の映画。観終わったときに心の財産になるような名作。陳腐になりがちな題材をこんなにもすばらしい作品に仕上げたウイリアム・ワイラー監督。こんなすばらしい映画は…今はもう、ないですよね。
それが¥500なんだから、うれしくなってしまいますよ。
文化財と呼べる作品は人類皆のもの…限りなくタダになっていくんですね。

それはともかく、わしは子供のころ、この『ローマの休日』のソックリ邦画を先に観てしまったのです。 タイトルは…覚えていません。1950年代から60年代半ば頃までは日本でも映画の黄金期でした。そういう中でつくられたのでしょう。
その映画での主演の美空ひばりは…お城のわがままなお姫さま。彼女がこっそりとお城を抜け出して城下町へ…という具合に、あとはほとんど『ローマの休日』とソックリでした。
わしはお祭りの野外映画でこれを観て、子ども心にもよくできた話だと感心したのですが、ちゃ〜んと元があったのでした(笑)。

http://www.youtube.com/watch?v=w0byyOJVabc
http://www.youtube.com/watch?v=fM9634oLr2I
http://www.youtube.com/watch?v=pjaWPvUchQk

昨夜、グレゴリー・ペック似のナイスガイと立ち飲み屋に行きました。
そんなこともあり、この映画を思い出したのでした。

DVDラベル=ローマの休日

ヒポクラテスたち&の・ようなものを語るもエ〜ガね 2

「ヒポクラテスたち&の・ようなものを語るもエ〜ガね」のつづきです。
長くなりましたので、後半を「2」として独立させます。



別の映画の話をしましょうか。
森田芳光監督の『の・ようなもの』は1981年公開の…落語家のタマゴ=真打ちになりたいと願う二ツ目を中心にした青春グラフィティです。コメディかな。このタイトルは3代目・三遊亭金馬の「居酒屋」にあるフレーズからのようです。

主演は伊藤克信で、兄貴分に尾藤イサオ、トルコ嬢役に秋吉久美子。女子高生役が誰だったかは…忘れました。ほかには有名棋士やチラッとマンガ家の永井豪ちゃんとかも出てましたね。

わしの記憶違いでなければ、『の・ようなもの』が自主映画を撮っていた森田監督の一般映画のデビュー第1作です。森田芳光は学生時代に落研に所属していた人ですから、落語家になりたいと思っていたのかもしれません。おそらく、彼の自伝的要素も入っているんでしょう。それだけに思い入れもタップリなのです。わしの大好きな…人間くさくて愛しい作品ですね。

NHKの朝ドラで上方を舞台にした「ちりとてちん」というのがありましたが、いうならばあの世界です。東京が舞台ですけどね。井の頭公園も出てました。
「真打ちになりたいね」「うん。なりたいね」とさみしげに語り合っていた落語家の弟子たちの姿が忘れられません。祭りのあとのようなさびしさと温かさがありました。このときの、デジタルな落語を話す二ツ目のことが妙に気になったものでした。下手なとこがわしみたいだなって(笑)。

わし、渋谷のカルチャー教室で落語を習っていたことがあるんです(笑)。人前で話したりすることも…基本的には好きですしね。プロの話し方にも興味を持っています。あ、どうでもいいですね。

落語といえば…立川談志師匠が高座で、車椅子のお客に向かって「その車椅子スペースを確保するために何人分の座席をはずしたと思ってるんだ」とか「車椅子のまま酒を呑んで、交番の前で暴れてみろ。そこで、“だいじょうぶですか? 家まで送りましょうか?”といわれたら、それを差別っていうんだ」といってました。それに対して「何て無礼な…!」とフンガイする女性客もいたようです。

談志師匠の主張は…車椅子だからといって健常者と同じに扱わないのは、そこに差別や偏見があるからだってことですね。健常者とまったく同じように接するからこそ差別していないといえるということなのでしょう。
わしはこのときの談志師匠の言動について、あとあとまで牛の反芻ように考えたものでした。

実は…立川談志師匠は大の手塚ファンで、手塚マンガ(特に「雨ふり小僧」)を読んで涙したという人です。ズケズケいうので敵をつくってしまうのですが、強いやさしさとでもいうんでしょうか…ほんとうのやさしさを持ち合わせた人ではないかと思っています。もう故人ですが…。

余談ですが、わしは手塚マンガと談志落語の接点というのがピンとこなかったんです。でも、談志師匠の落語を聴いて…手塚マンガに近いものを感じました。そのひとつが悲劇性です。手塚マンガはマンガの中に悲劇性を持ち込んだといわれますが、談志落語にもそれがあったんです。つまり、悲劇性を持つ落語ですね。
それに、手塚マンガでシリアスなストーリーから脱線してヒョウタンツギとかが出てくるように、談志落語も脱線して別の解説が始まったりするんです。「おめぇもブラック・ジャックに治してもらえ」とかって脱線するかと思えば、変幻自在に、まるでジャズのように元に戻ったりする。そこがおもしろかったですね。
そういうセンスは一門の立川志らくにも踏襲されているように感じます。

それにしても、落語の世界では現代では使っていないようなものがいろいろ出てくるわけです。人情のある吉原とか色街も登場する。それらを知らない…認識の違う今の若い人たちに落語として伝えるのは…さぞかし難しかったことでしょう。

それはともかく、森田芳光監督は『の・ようなもの』の次に『家族ゲーム』を発表したのですが、これもまたすばらしかった。
しかし、わしが好きなのはそこまでです。そのあとの作品もずっと追っかけて公開初日に観ていましたが、どれもこれも納得できませんでした。
『ときめきに死す』という沢田研二を主役にした作品もありました。マンガ家の白土三平を教祖役にしたのは意欲的でおもしろかったのですが、映画としては…。
それこそ、『それから』は文芸作品“の・ようなもの”でしたしね。リメイク版『椿三十郎』にいたっては文字通りクロサワの・ようなもの”でした。

という彼ももう、故人ですよねぇ。酒の呑み過ぎかと思ったら、彼は呑まない人だったんですよねぇ。

過去の作品の反映といってしまうとあまりにも失礼かもしれませんが、どんなに意欲作であっても…職人として無難にこなしているなという印象なのです。わしにはデビュー作の『の・ようなもの』と『家族ゲーム』以上ではないと感じましたね。

同じことは大森一樹監督にもいえます。あとあとの作品は『ヒポクラテスたち』以上ではないと思えたのです。
わしは昔の作品のようには好きになれないのです。夢中になれなかったのです。
ファンとしてわしが勝手に、前作以上をという過度の期待をしてしまったということなんでしょうけど、もしも…監督自身が自らの若いときの情熱を越えられないということなら、それはもう仕方のないことなのでしょうか。

「デビュー作にはその作家のすべてがあらわれる」といわれます。だとすれば…そこにすべて出てしまっていたわけで、それからあとの作品は最初の作品のバリエーションとかアレンジ、もしくは残ったものでの再構築ということになり、過去の作品の反映になってしまうというのも当然の結果なのでしょうか…。

大森一樹&森田芳光両監督以外にデビューから観てきた監督といえば、たとえば…スティーブン・スピルバーグがいます。
スピルバーグ監督の作品にしても商業的に大ヒットしたのはあとあとたくさんありますが、デビュー作のチープな『激突』にこそ彼のすべて(本質)があります。
あとあとの大ヒット作ではなく、『激突』がスピルバーグの最高傑作だと評価する人も多くいますよね。

しかし、そんなことをいったらデビュー作以上の作品はできないってことにもなってしまい、いくら何でも…それはゴーマンな話です。
作家によりけりでしょうか。そうかもしれません。きっとそうでしょう。

それとも、わしの感受性がサビてしまった結果であり、あとの作品がすばらしいのにそれに気づかない…爺さんのわし自身の感性こそが過去の反映なのでしょうか。それはあるでしょうね。
過去をバッサリ切り捨てることができれば、観るもの聞くものが新鮮でしょうねぇ(笑)。

2/9は虫先生の命日だったので、だからということでもないのですが…とりとめもなくウダウダと書いてしまいました。虫先生のお嬢さんの「あなたは私の家でした」という新聞の文章、今でも忘れません。

わしが思うことは、過去の作品の反映に陥ることなく、常に前向きのまま一生クリエーティブでいられたら…すごいことだなと思ったわけです。 観る側にしてもね。

いやはや、今回は映画日記にもなっていないかもしれません。そういうときもあります。ご容赦ください。

ニュー・シネマ・パラダイスが愛しくてもエ〜ガね

ゴラムの「いとしいシト」じゃないけど、わしにも“愛しい映画”があります。エンニオ・モリコーネの音楽とともに忘れることのできない、わしにとっての宝物映画…。それが…ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』でした。

http://www.youtube.com/watch?v=vVYW6bRtrBI

子どものころ、お祭りがあると田舎の町に映画がやってきました。わしはそれがたのしみでした。野外にスクリーンを張って観賞するんです。観客でいっぱいになって、スクリーンの裏から観ている人もいました。登場人物が左ききになるんですけどね(笑)。
巡回映画というのもありました。生徒は体育館に座って観るのです。たのしい時間で、映画は特別なものでした。

町に映画館があって…まさにそこは魔法の小屋でした。トイレの窓から映画館に忍び込んで、映画をタダで観たこともあります(ゴメンなさい!)。裏のゴミ捨て場でカットしたフィルムのカケラを見つけて、狂喜したこともありました。
日光写真をワクワクしながらめくっていたのもこの頃で、そういう思い出を呼び起こしてくれたのが…この『ニュー・シネマ・パラダイス』なのです。

主人公のトト少年が大人になった役をジャック・ペランが演じていましたが、彼は実際に映画をつくっている人です(『ミクロコスモス』『WATARIDORI』『オーシャンズ』とかね)。
だから、わしの中ではそれがひとつにつながって…あのトト少年が大きくなって、こんな立派な映画をつくったんだなぁ…なんて思ったものです。そんなふうに想像を広げられることが幸せでした。

あ…でも、好きなのはディレクターズカット版ではありませんよ。わしが好きなのはあくまでも、最初に上映されたバージョンの『ニュー・シネマ・パラダイス』です。

アメリカでは…映画の編集権はプロデューサー(映画会社)が持っているので、監督の思い入れに関係なく…プロデューサーの権限でカット(短く)して上映されます。
だから、監督は公開後に自分で権利を買い取って、自分の思い通りに編集したディレクターズカット版(ロング版)を公開するわけですが、たいていの場合…そっちのデキはよくありません。 監督の思い入れが強すぎるからでしょう。

この『ニュー・シネマ・パラダイス』も例外ではなく、ディレクターズカット版は30分くらい長いのですが、わしにいわせれば…恋愛の後日談を描いたその30分は蛇足でしたね。
客観的視点によるカット(編集)は…やっぱりプロだなって思ったものです。

http://www.youtube.com/watch?v=9RYmWNWmKT4

今回の文章は短い? カットして短くしてみました(笑)。
それにしても、今はスクリーンに向かって叫んでる観客もいなくなったし、映画はもうフィルムの時代じゃないんですよねぇ。

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