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レジェバタ観るもエ~ガね

昨日は虫先生の命日だった。昔、1週間ほど…お手伝いしたことがあったんだよね。

今、雪が降ってるかと外を見た。何度も降りそうな日はあったけど…結局は降らなかった。今日はどうなるかな。



『レジェンド&バタフライ』のことを書いておこう。大友啓史の監督作。

正直、実は最初観て…戸惑ったんだ。こんな信長ってあるかなぁってね。合戦シーンがなかったし、エピソードがブツ切りだったからね。

でも、よく考えたら濃姫(帰蝶)側から見た信長なんだ。織田信長は監督で、プロデュサーが濃姫…かな。女性は合戦には行かないからね。

濃姫というのは美濃から来た姫ということらしい。本名? それくらい記録がないんだ。ならば、タイトルに合わせて帰蝶でよかったのにね。

わしの好きなヘルツォーク監督を思わせる場面もあった。荘厳で綺麗だったね。

戦国時代の夫婦の話。こんな戦国大名夫婦ってあるかなぁって思いながらも腑に落ちるものがあった。新鮮かもしれないってね。

主演のふたりはもちろんよかった。綾瀬はるかはホントすばらしい! 若いときはともかく、晩年の木村拓哉…ラストシーンの姿はバツグンだったね。まさにレジェタク。切なかった。

南蛮船が出てきたが、東北で実際につくった船だ。その昔、わしはマンガ仕事の関連でその地に行ってる。残ってたのか。映画に活かせてよかった。

でも、わしが一番感心したのは明智光秀。これはあり得るかもしれない。斬新。脚本の古沢良太がいいんだろうね。だけど、宮沢氷魚ってなんて読むんだろう。みぅおとか?

大ヒットしたら手塚治社長が喜ぶだろうな。
3時間近くあって長かった? まったくわしには長い時間は感じなかったな。

https://youtu.be/n2bm0GZu8sQ

鑑賞記念にとち袋をもらった。ぽち袋かな。「織田ちん」というヤツ。これ、ほしかったんだよぉ。
画像をインスタグラムnekonekogに載せておこう。


アルキメデスの大戦を観るもエ~ガね

考えてみれば、『ジュブナイル』に始まって『リターナー』とか…わしは山崎貴監督の映画をずっと観てきたんだなぁ。

https://youtu.be/x_OZIvYgJas

今回観たのは『アルキメデスの大戦』だ。失礼かもしれないが、監督は…監督として成長したなぁと感じた。助監督から叩きあげて監督になった人ではない。VFX担当…つまり、CG制作から監督になっていった人だ。

『三丁目の夕日』で思ったことだが、山崎監督の映像には臭いがない。匂いもない。無味無臭。それを若さと思っていたが…そこが個性なのかもしれないな。

『アルキメデスの大戦』の冒頭の5分余りの圧倒的なシークェンス。VFXが見事なのはいわずもがな。あれだけでも観る価値がある。そこに、一瞬だけ…敵側が兵を救出するシーンが入る。それを唖然と見る日本兵の姿。見事だと思った。
以前の山崎監督なら、あの場面は入れなかったんじゃないかな。

若き数学者が戦艦大和の製造に対して挑む。数字は裏切らない。興味深い話だった。
『風たちぬ』を思った。『ビューティフル・マインド』や『イミテーション・ゲーム』を思い出した。数学は苦手だが、数字は興味深い。

もちろん、『連合艦隊』や『山本五十六』や『男たちの大和』を思い出した。でも、『アルキメデスの大戦』はこれらの映画ほど戦争の陰惨さはない。エンターテイメントとして楽しめる。

前半は特に好きだ。プレゼンというか、会議映画という一面もある。よく知る老練な俳優たちが皆、よかった。見事な爺さんS。飽きさせない。

が、情けないことに…わしは最近の俳優を知らない。テレビを観ない…というか、テレビがないせいもある。
主人公の菅田将暉の顔も読み方すらも知らなかった。バディ映画の要素もあり、主人公を支える少尉の彼は『居眠り磐音』のときの柄本…とか、彼はいいな。あの彼女は確か麻雀映画の…美波とか、そんな感じだった。だから逆に新鮮に楽しめた。

ただ…ラストには正直、違和感があった。これでいいのか。釈然としなかった。
でも、後あと考えてみて…歴然たる史実があるわけだから、あれが映画として最善だったのかもしれない。そんなことを思いながら、映画を噛みしめた。

山本五十六は開戦に強く反対していた人で、それが避けられないと知ったとき連合艦隊司令長官として戦った…。映画ではそれを短いセリフで表現していた。そんなところにも監督の成長を感じた。いつの間にか、日本を代表する監督なんだなぁ。

『アルキメデスの大戦』は…山崎貴監督の作品の中で一番好きかもしれない。





と、そうこうしているうちに…戦後74年の今日だ。


関ケ原に思いを馳せるもエ~ガね

鎮魂の意味もあり、わしはこの時期になるとカラオケで「防人の歌」「CLOSE YOUR EYES」…そして、「群青」を唄う。
気になるのは歌の画面に軍艦や戦闘機など、当時のニュース映像が使われているものがあること。辛い…。どういうセンスなんだろうと思う。
単に予算削減かな。以前、カラオケ歌画面の絵を安価で描いてほしいという打診もあったから…。


それはさておき、その昔、この時期に関ケ原の戦いがあった。
火蓋が切って落とされたのは慶長5年(1600年)の9月15日だ。これは豊臣と徳川の戦いじゃない。徳川本隊は真田の兵に阻まれて関ケ原に間に合わなかったらしい。むしろ、豊臣の内紛といえるんじゃないかな。その上に鎮座したのが徳川家康だろう。

原田眞人監督の映画『関ケ原』が公開される。それに合わせて、まだ読んでなかった司馬遼太郎の「関ケ原」上・中・下巻を読んだ。いや、正確には下巻の途中まで読んだ。3冊の原作小説と2時間半の映画では情報量が違いすぎる。原作を読んでから映画を観ると「あのシーンがない」とか映画に不満が残るかもしれない。だから、途中まで読んで…観てから残りを読むことにしたのだ。

原作では作者が解説をしながら小説世界に入っていく。当然、基本的には史実だ。が、巧みに書かれているため、どこまでが史実なのか創作なのかわからなくなる。初芽という人物がそうだ。わしはそんな名前を聞いたことがないので架空だと思うが、もしかしたら歴史の影にいたのか。
いや、そんなはずはあるまい。おそらく、石田三成の純粋さを浮き彫りにするために創作された人物だろう。

三成が「おれはすこし老けた。しかし、これ以上老けることはあるまい」と気になるセリフをいったところで原作をストップしよう。つづきは映画を観てからだ。

https://youtu.be/L98V5YBHbTI

観終えて、残りの原作とともに噛みしめている。わしは原田監督のこれまでの作品を観てきて…安心していたし、期待していた。
2時間半に収めるため原作を割愛したところも多いが、逆に付け加えたところもあった。わしとしては、その付け加え部分に興味を持った。
監督はオーソン・ウェルズやエイゼンシュタインを再研究したという。なるほどと思う。

槍を使っての合戦場面には工夫を感じたし、何より迫力があった。仮に…原作に「両軍が激突した」と書かれていたとして、それを映像で見せるのは並大抵のことじゃない。実際、どう表現しているのかに興味があったわけだが、そこには満足できた。

が、セリフが聞き取りにくい。各地の方言が入り乱れるわけだから当然だが、字幕がほしかった。英語の字幕版はあるそうだが、日本語でほしかった。隣席の人の反応からもそれを感じた。
この種の映画では歴史資料…的なものを求めてしまうせいかもしれない。地名、人名、官名、役職名など、複雑になる。しかも昔の言葉づかいだ。おそらく、DVDになったときは字幕選択ができるようになるんじゃないかな。
セリフに関しては『シン・ゴジラ』の影響もあったのかなとふと思った。

合戦以外のシーンではやはり…どんなに映画が長くても文字での情報にはかなわない。常々、小説と映画は別物といっているのにそんなことを思ってしまった。三成や家康や他の人物の対立関係など、なぜ戦わねばならなかったのかという熱い思いが観ている人に伝わるだろうかと。原作の下巻半分を読み残していてもそう思う。そう思ってしまったのはやはり、先に原作を読み出したことによる弊害かもしれない。割愛しても登場人物は多い。
と、不安になって劇場内を見ると、ほとんどが高齢の客だった。原作を読んでいるか、同等の歴史知識がありそうだ。心配はいらないのだろう。

ただ、予備知識もなく下地を知らないで観にくる若い人に…三成の豊臣への一途な気持ち、徳川を許せなかった思いや無念が伝わるだろうか。と、心配になった。でも、若い人はこの映画を観ないかな。おもしろいとかって種類の映画とは違う気もするし…おもしろいと思ってはいけないのかもしれない。

ダイイチダイマンダイキチ…。三成の「大一大万大吉」はまるで民主主義のスローガンか呪文か念仏のようだ。One for All, All for One. ひとりが万人に尽くし、万人がひとりに尽くす…。心に響いた。

自分の周りで起こっていることは自分の責任でもある…と考えただろうか。
三成の正義というか、美学…的なものを原作から強く感じていたが、映画からはそれほど強く受けなかった。わしの頭の中で原作と映画が戦っていたのかもしれない。あるいはほどよく混ざり合ったのか。

原作、読了。この天下分け目の決戦のことは知っているつもりでいた。が、隊のそれぞれの人数のことなどは原作で知った。細かく調べ尽くされている。
数の上でこそ家康側よりも三成側のほうが多かったが、一枚岩じゃない。三成側で必死に戦っているのは三割程度。他は傍観しているという異様な戦いだったようだ。それでも、あと一歩というところまで家康軍を追い詰めている。
「風に遭ったもみがらのように」とか、文章表現もすさまじい。大谷吉継の潰滅の様子など胸が詰まる。ところどころで映画を思い出した。

[甲陽軍鑑]によると、国を滅ぼす大将には4つの特徴があるという。それは「愚か」「臆病」「強すぎる」「利口すぎる」だという。三成は利口すぎたのだろうか。

新幹線に乗ったら必ず関ケ原が見える席に座る、という人の夕刊記事を読んだことがある。どこに誰の陣があり、誰がどう戦ったかをイメージするのだという。「小早川卑怯!」と心の中で叫ぶのだとか…。そこまでの知識があれば、もっと深く理解できるだろうと思ったものだった。

そういえば、小早川についてはすこし変えてあったな。監督の思惑も歴史の真実もわからない。
『本能寺ホテル』では信長をやさしい性格にしていたが、それだってあり得ないことじゃない…かもしれない。


映画での…ものいわぬ野仏のシーンが好きだった。初芽のまなざしにも似て…。
戦争とはしょせん、将の作品だという。されど…。
利に負けた義の三成…。

先に仕掛けたのは石田三成らしい。でも、先に仕掛けるように仕向けたのは徳川家康かもしれない。純粋な三成を扇動したのだろうか。実際、原作でもそのように触れられていた。
歴史の真実はわからない。もはや、ロマンの彼方だろう。


もしかすると…同じように、日本が先に戦争を仕掛けるように仕向けたのは…ルーズベルト大統領だったのかもしれない。

それはともかく、ひとつ思いついた。一度、関ケ原に行ってみよう。
以前から思い描いてはいたのだが、中仙道を歩いて関ケ原に行ってみようと思う。
歴史に思いを馳せながら…。

ショージとタカオを悼むもエ〜ガね

新聞の小さな記事で知った。布川事件の…タカオ氏が亡くなった。ドキュメンタリー映画を思い出す。
20歳で逮捕されて、64歳で無罪ですよ。自由になってから何年生きられたんだろう。 人生、丸ごと返せッですよね。
あ、すみません。亡くなったのはタカオ氏。ショージとタカオというのは…ドキュメンタリー映画のタイトルです。

https://www.youtube.com/watch?v=s8CbiSmc1UM

これをおもしろいといってはいけないのかもしれませんが、何年前になるのか…渋谷の[アップリンク]でおもしろい映画を観ました。『ショージとタカオ』という井手洋子監督の構成・撮影・編集によるドキュメンタリーです。「さしさわりのある映画特集」での特別上映でした。
以下はその当時のわしの映画日記…。


1967年に茨城県布川で強盗殺人事件が起き、その頃…不良だったショージとタカオはその犯人にされ、投獄されたのです。そういうことのようです。その後、ふたりは獄中から無実を訴えつづけて29年…。
仮釈放されてからのふたりのオッサンを13年間追ったドキュメンタリー映画。トータルで14年間の…冤罪に関わる記録がこの『ショージとタカオ』なのです。
小柄でガッシリしたショージと長身でヒョロッとしたタカオは…アボット&コステロのデコボココンビみたいで絵になりますね。

ヒネクレ者のわしなんか、ショーン・コネリーが主演の映画『理由(JUST CAUSE)』を思い出しました。冤罪だと信じて外に出したら実は…みたいなドンデン返しがラストにあるのかもなんてトンデモナイことを思ってしまいそうでした。 考え過ぎです。映画好きの弊害ですな(笑)。

この『ショージとタカオ』という映画、冤罪という重いことを描いていながら、決して重くはありません。リアルに伝わってくるものの…大上段に、警察の取り調べとか検察とか裁判とか司法制度を問うている映画ではないのです。そういう点では、花輪和一の体験マンガを映画にした崔洋一監督の『刑務所の中』のユーモアにも通じるのかもしれません。

かつて、「普通の女の子に戻りたい」と芸能界を去ったキャンディーズがいましたが、ここでは「普通のおじさんになりたい」という懸命なふたりのオッサンの姿を…上からでも下からでもなく、普通に記録しているのです。この普通さにとても好感を持ちました。
思わず笑ってしまうようなことも起こる。獄中に29年いて娑婆へ出たら、それこそ浦島太郎状態ですからね。例えば、20円だった電車賃は今、ずっと高い。切符の買い方もわからないとか、女子高生のスカートの短さに驚嘆するとかね。

20歳くらいで投獄されて、仮釈放されたのが50歳くらい。つまり、青春のすべてを獄中で過ごしているわけです。すごいことですよ。
やっと塀の外に出たのに…いろいろな新たな見えない塀が立ちふさがる。しかし、生きることへのオッサンパワーはすごい。就職が厳しいと「塀の中は3食付きだったからなぁ」なんてグチも出るものの…立ち向かって切り開いて行く。すごいですよ。

『ショージとタカオ』は決して芸術性の高い映画ではありません。最初のあたりはカメラもフラついてますしね。素人っぽい感じも受けます。
でも、生きる…生きている実感がある。活力がある。希望がある。わしが希望をもらったってことですけどね。わしはずっと娑婆にいるんだから、負けずにがんばらなくちゃってね。

気が重くなるような映画だろうと覚悟していたんですが、ここまでポジティブなエネルギーがもらえるなんて驚きでした。
30年近くも獄中にいた者ゆえでしょうが、梅の花の香りとか…日々のほんの些細なことの中に生きていることを発見する。そのことのありがたさを噛みしめている。人生を取り戻して…紡いで行く。そのオッサンの姿。わしは心打たれたのです。それを抽出したのは井手監督の手腕でしょう。


映画が終わってから、井手洋子監督らと近くの居酒屋で呑んで語り合いました。仮釈放から3カ月くらい撮るつもりが長くなったとか、費用がいくらかかったとか、英訳を付けて外国でも公開したいとかね。たのしい語らいの時間でした。映画制作への夢というか、まだわしにも情熱が残っているようです。

CG映画ばかりで食傷気味のこのごろ。マイケル・ムーアじゃないけど、今おもしろいのはドキュメンタリーかもしれません。
2時間半以上の長尺の『ショージとタカオ』ですが、最後までおもしろく観ることができました。その昔、原一男監督による『ゆきゆきて、神軍』というすばらしいドキュメンタリー映画がありましたが、それに匹敵するかもしれません。


タカオ氏の冥福を祈ります。合掌。



日本のいちばん長い日を考えるもエ〜ガね

国、滅びてはまたと還らず…。8/15を敗戦記念日と呼ばず、終戦記念日という。これだけでも考えさせられる。

今、半藤一利の「日本のいちばん長い日」を読んでいます。原田眞人/脚本・監督による『日本のいちばん長い日』を観たからです。原田眞人とは…『ラストサムライ』で大村という実業家大臣を演じたあの人ですよね。

https://www.youtube.com/watch?v=LxEWiHiiCkk

もちろん…大昔に、橋本忍/脚本、岡本喜八/監督による『日本のいちばん長い日』を観ました。
どちらがわかりやすいかといえば…岡本喜八版かもしれない。というのは、出だしと最後に仲代達矢の声でナレーションが入っていたからです。まるで、ニュース映像を観ているようでした。

https://www.youtube.com/watch?v=KOvR2qk9UC0

新作の原田眞人版はドキュメンタリーみたいでしたが、これだけで観ている若い人はわかるのかなとも思いました。でも、映像として美しい場面もあり、好きですけどね。

ポツダム宣言を日本がどう受諾するか。戦争をどう終結させるか。
2作とも、天皇の声…つまり、玉音放送をラジオで発表するまでが描かれています。

原田眞人版では…決定的な大きな違いがあります。それは天皇が出ていることです。本木雅弘=モックンが天皇を演じています。当時44歳だった…人間天皇です。天皇の内面をここまで表現した映画はなかったでしょう。 あ…いや、そういえばアレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』がありましたね。

岡本喜八版では天皇は出ていない。いや、画面に出ないように配慮されていました。でも、だからこそ伝わる部分もあったのですけどね。
岡本喜八版にないシーンが原田眞人版にあり、原田眞人版にないシーンが岡本喜八版にありました。ともに重要です。映画としてどちらがよいのかは…わかりません。

人間、平和なときは平和を忘れる。健康なときは健康を忘れるように…。
今、終戦が語られるのは戦後70年ということも当然あるけど、3:11の惨状にその当時を重ねたということもあるかもしれません。

その当時、陸軍は本土決戦を望んだわけです。本土決戦となれば…もう、桜の花は咲かなかったでしょう。その陸軍のトップが阿南(あなみ 天皇はアナンと呼んでいた)陸軍大臣です。旧作では三船敏郎が、新作では役所広司が演じています。

天皇は阿南にいわれる。「アナンよ。辛抱してほしい」と…。そして、天皇は鈴木首相にいわれる。「国民は苦しんでいる。このままでは日本民族は滅びてしまう。私はどうなってもかまわない。どこへでも行く。何でもする。ポツダム宣言を受け入れて戦争を終わらせてほしい」と…。
この鈴木貫太郎首相を…旧作では笠智衆が、新作では山崎努が演じています。

国民に終戦を伝えるための玉音放送だったわけです。日本の終わりであり…始まりです。

しかし、陸軍の青年将校らは納得しない。戦争には勝利か死しかない。たとえ、最後の一兵になろうともアメリカ兵を迎え撃たんと考える。内閣をひっくり返し、軍事政権をと画策する。クーデターです。天皇の声を入れた録音盤を奪取して…戦争をつづけようとする。
純粋で熱い畑中少佐を…旧作では黒沢年男が、新作では松坂桃季が演じています。

陸海軍合わせて240万の戦死者が出たんですね。でも、そのうちの7割近くが餓死だという。それって戦死なんでしょうか。広島や長崎などで亡くなった人を入れれば…300万人以上でしょう。いったい何なんでしょう。戦争って…。
何だったのか。それはわしら日本人、一人ひとりの課題でしょう。

ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』もありましたね。異質なところでは『キャタピラー』というのもありました。

今更、責任うんぬんを語ってもどうにもならない。ただ、マスコミ(新聞)の煽動力だって大きかっただろうと思う。とはいえ、好戦的な記事を載せると新聞がよく売れたといいますから、戦意を高揚させ、マスコミを煽ったのは国民…という側面がまったくないとはいえないのかもしれません。
日本は戦争の道に突き進んでしまった。一種の集団催眠みたいなものだったんでしょう。

しかし、戦争を始めるのは簡単でも…終わらせるのは簡単じゃない。
首相の補佐的立場で奔走するのが迫水書記官で、旧作では加藤武が、新作では堤真一が演じています。

最終通告のポツダム宣言に対して、日本は軽視の対応をしている。当時の新聞には「笑止」という言葉さえある。それが相手国に「拒否」「戦争継続」として伝わったことが広島の原爆投下につながったのでしょう。あわてた日本側は会議を開き、その会議の最中に長崎にも投下される。さらに、ソ連も参戦してくる。

もう、自分たちで何も決められなくなった首脳部は天皇に“聖断”を求める。それが「このままでは日本民族は滅びてしまう。私はどうなってもかまわない。ポツダム宣言を受け入れて戦争を終わらせるように」となるわけですよ。

日本側はポツダム宣言受諾に際して、“国体護持”の条件をつける。アメリカ側は「この場におよんで条件をつけるのか」と呆れながらも「今の天皇でなくてもいいんだろ。天皇には弟がいる。制度として残してやればいいじゃないか」と考える。日本が存続するか消滅するか…ギリギリだったわけですよね。
こういうあたりのことはアメリカ映画『終戦のエンペラー』も参考になるでしょう。

わしはこれまで、宗教と政治に関することは書かないようにしてきました。語れるだけの知識もないからです。でも、今回は映画の内容が内容だけに深入りしてしまったかもしれません。これくらいにしておきます。ごかんべんください。

あと一言だけいうならば、おそらく…正義の戦争なんてない。日本は過去を直視して、その上で前を向いて平和の道を歩いてほしい。子どもたちの笑い声がいっぱいの未来であってほしい。

戦争は映画の中だけでいい…。以前よりもずっと強く思います。

実は『日本のいちばん長い日』の上映館には若い人が少なかったのです。高齢者が目立ちました。知らないということは怖い。これからの日本をつくる…もっともっと若い人に観てほしいですね。そして、原田眞人版を観たら…是非、DVDで岡本喜八版も観てほしいものです。

原作は2作ともに、15歳で玉音放送を聞き…それを探求してまとめた半藤一利の「日本のいちばん長い日」です。

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