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中山道を歩く 13

以前は歩いてるというと「すごいですね」といわれた。今は「まだ歩いてるんですか」といわれる。



3/12、名古屋まで初めて新幹線を使う。前回戻ったところまで行くのだ。
7:00東京発。名古屋8:30着。岐阜へ行って、名鉄で前回の[茶所]に着く。9:40になっていた。

前回、[加納宿]の手前だった。すぐに着くと思っていたのに…宿場跡に着かない。わしらネコ爺・ハナ爺はいつも出だしでつまづく。

中山道を探して歩き回る。表示がない。下調べがイイカゲンだからだ。10:30から30分、[デニーズ]で朝食。長良川沿いの加納の街をカノウテンメイという写真家がいたなぁとか関係ないことを思い出しながら…ウダウダ歩く。

無駄に北周りしたかもしれないが、人生に無駄はない。おかげで川面にいっぱいの水鳥とか…花道を歩くハナ爺とか、思いがけない光景に出会った。これもいい。もう二度と出会えない風景だ。
13:00に[河渡宿]に着く。こんなんなら、岐阜県美術館にも行けばよかったと今頃になって思う。遠くの山には岐阜城がそびえていたな。次には行ってみたい。

記憶があいまい。13:00[和食さと]で昼食。やっと[美江寺宿]にたどり着く。美江神社の境内で写真撮影。
美しき長江のごとくあれといわれた場所とか。確かに長良川は、荒い木曽川とは一味違うね。そこには懐かしき日本の姿があった。

その後、樽見鉄道で[美江寺駅]から[大垣駅]に移動。電車内のキャラが友人の絵に似てる。17:00くらいに予約していた[スーパーホテル]着。風呂に入って、荷物を置いてビールを求めて夜の街へ。この日33443歩。



3/13起床6:00。バイキングの朝食を終えて、8:00出発。
再び[大垣駅]に行く。樽見線のかわいいカンガルーキャラ付きの一両編成の電車に乗って、もう一度[美江寺駅]へ。ここは駅もかわいい。プチ無人駅で、ベンチにふたりが眠れるスペースがある。夏ならここで寝るもありかもね。
[千手観音堂]など、[美江寺宿]のつづきを観ながら歩く。小川が流れてたな。

10:45コーヒー屋で休憩。揖斐川を渡って…[赤坂宿]に着く。船待ち宿場として栄えたらしい。火の見やぐらの元に[赤坂港跡]という碑が建っていた。
東海地方で最大という[昼飯大塚古墳]というのがあった。昼飯は[ひるい]と読む。そういえば…昼ごはんはどこで食べたか、記憶にない。

[垂井宿]に到着。松尾芭蕉が籠った[本龍寺]や[松島稲荷神社][伊富岐神社]の前を通る。
電車で[大垣駅]の[スーパーホテル]に戻る。17:00くらいかな。濃尾平野のこのあたりは宿泊施設がなく、同じホテルに2泊したのだ。感じいいホテルで安心。
荷物を置いて、夜は珍しく焼き肉屋へ。この日はいっぱい歩いた。41922歩。



3/14朝8:00、手慣れたバイキング朝食を済ませて出発。[関ケ原宿]へ向かう。

壬申の乱から天下分け目の戦いまで、[関ケ原]は思い描いてきた場所だ。でも、だいぶイメージと違う。広いのだ。遠くに徳川家康が配した桃配山。対する西には関ケ原を見渡せる笹尾山の石田三成。大谷刑部の陣営跡とか、各陣の標識があった。それら[首塚]などを横目に、わしらは中山道を行く。

人家はあるものの寂寥たる思い。[関ケ原]はどうしてもね…。
それにしても、中山道として観るところが少なくなってる感は否めない。でも、自分を見ているというか、そういう思いは膨らんでいく。歴史のせいか…。

源義経の母の[常磐御前の墓]もあった。
「鶯の滝」も通ったな。伊吹山地と鈴鹿山脈の間。“不破道”と呼ばれたのはこのあたりだろうか。
関東・関西を分けるようになった[不破関跡]を通り、今須峠を歩いて[今須宿]跡へ。
今風にいえば岐阜県と滋賀県の県境。美濃と近江だ。昔は国境を挟んで寝ながら会話できたので「寝物語の里」と呼ばれたそうな。

近江路に入って少し迷ったが、昼過ぎに[柏原宿]に着く。
[三丁目キッチン]で昼食。ここの宿場はよかった。当時の様子を残そうとしてくれてる。じっこりと観て歩く。映画監督・吉村公三郎の故郷だったんだね。
春の日和。伊吹山も綺麗で、山頂には雪も見えた。いつか登ってみたいな。

今回の中山道歩きはここまでだ。[柏原宿歴史館]や[柏原一里塚]は次にして…13:45、東海道線の[柏原駅]から東京へ戻ることにする。21886歩。



次回は…きっと5月。[草津]から[三条大橋]はすでに歩いてる。[柏原宿]から[醒井宿]ほか6コの宿場を通って[草津宿]でオシマイになる。そこからは東海道と重なるしね。
琵琶湖の畔の道だ。2泊すれば歩ける。[草津宿]で大団円! 

終わってないけど、538キロはながい道のりだった。ラストは爺さんふたりだけじゃなく、誰かが参加してくれるとうれしいなぁ。



中山道歩き(13)も終盤でエ~ガね

わしらは中山道を歩いている。わしらというのは、わしネコ爺ともうひとり、ハナ爺だ。

中山道(なかせんどう)は京都三条大橋から東京日本橋までの538キロをいう。北回りのため山道だが、堰止めの河は少なく、昔は東海道よりもメジャーだったらしい。わしらは行っては戻るを繰り返しているのだ。

廃れた宿場も多い。ほとんどがそうだけどね。
[安中宿]は「安政遠足」と呼ばれる日本最古のマラソンが行われた場所。遠足どころか、わしらは遅足なのだが(笑)。
碓氷峠の[坂本宿]では山ヒルに襲われた。どこから現れたのか、体中を吸われたのだ。皇女和宮も驚いたに違いない。

[妻籠・馬籠]という宿場は駅でいえば、東口と西口くらいに思っていた。とんでもない。その間、険しい山道を2時間も歩いたのだ。だが、心の安らぐ[妻籠宿]。あの宿場町にはもう一度行ってみたい。

神社は何を祀っているのかはわからないが…ありがたい場所だ。わしらは神社めぐりの感もあるが、これぞ日本人の神道の神髄だろう。

わしらにとって大変なのは旧道を探すこと。山の断面を見ると地層が見えるが、歩いていると文化の地層を感じる。旧道の上に新道ができて、その上にさらに新しい道路ができたりしている。

自治体によっては旧道をわかりやすく表示しているが、地元の若い人に聞いてもわからなかったりするのだ。「旧中山道」を「いちにちなかやまみち」と読んだアナウンサーもいたというから笑ってしまう。

今年こそ、残りを歩き切る。538キロの中山道69次を。
歩いた8年分のスケッチを元に、来年は個展を開くもいい。といったら、オニは笑うどころかシッシンするだろうか。


アバター:WoWが美しくてエ~ガね

新作『アバター』は『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』なので、『アバター:WoW』と表記するらしい。

わしは当然、公開初日に観ている。席が確保できるかと心配したが…それほどでもなかった。そのときの不安は…興行成績3位スタートに表れている。

1作目でスカイ・ピープルのジェイクはナヴィ族となった。今回、ジェイクの家族が6人くらいいるのだが、皆青くて…わしにはその判別がわかりにくかった。

感情移入がしにくいのだ。人間の子だけが目立っていた。
その意味でも…肌の色のバランス的にも1作目のほうがメリハリがきいてたな。

記憶を移し替えるとかあっさりしていたし、というか、導入のあのあたり…わしにはわかりにくかったのだ。
父性とか母性とか、開拓やまるで植民地支配みたいな構成が昔の映画みたいだった。

5作品になる? 観客がついてくるだろうか。いや、5作もつくれるだろうか。不安だ。

『アバター:WoW』の戦いは、1作目の『アバター』と大差ないような気さえしてくる。青い人たちが地球に来るとか、まったく新しいストーリーにしないと観る人たちが飽きないだろうか。漠然とそんな印象を持った。

しかし、すごい。主役は水。海ではないかと思うほどすごい。すごすぎる映画なのは間違いない。いや、これくらいの言葉では足りない。

ジェームス・キャメロン監督はパンドラという新たな惑星を創造したのかもしれない。そういっても過言じゃない。

観た人は誰もがそう思うだろう。見たこともない生物が泳いでいる。地球の海に似ているが…まったく違う世界なのだ。それを堪能すればいい。陶酔すればいいのだ。

だが、この作品を実写映画といえるんだろうか。
俳優がモーションキャプチャーの印を付けて演技をして、それを元にCGアニメーターが映画にしている。驚嘆するほど滑らかだ。1作目を凌駕している。

『アバター』がアニメだとすれば、上位の人気作はすべてアニメということになる。
もう、実写とかアニメとかの分類は意味がなくなるのだろうか。

パソコンの普及によって、紙によるマンガの原画の展示ができなくなってきている。時代の趨勢。映画も似たようなことがいえるのかな。
地元では[TUTAYA]もなくなったし…時代について行けるか不安にもなる。

『アバター:WoW』を字幕の3Dで観たので、文字を追って画面を100%観られなかったかもしれない。吹き替えの3Dで観直してみよう。

https://youtu.be/piZ00vKaLaE

これから先10年、キャメロン作品と付き合うことになりそうだ。

中山道を歩く 12

2度目の夜間バス利用だ。
11/17の22:45、新宿バスタより京王バス発。車内はすいてる。翌18日、6:00名古屋着。
7:20に前回ラストの名鉄御嵩駅に到着。7:30中山道歩きのスタートだ。あまり寝れなかったので…少しつらい。

今回の目標は…濃尾平野を横断してどこまで行けるか。赤坂宿までかな。

コンビニでカップうどんを購入して、外で食事。ハナ爺はおにぎりとサンドウィッチを食べていた。
和泉式部の墓碑があったらしいが、見落としてる。願興寺も過ぎてしまった。
鬼を捕らえて首をはねたという「鬼の首塚」を過ぎ、「伏見宿本陣跡」脇を通る。

木曽川に出る。大きな川に「太田橋」だ。水は澄んでいるが魚の姿はない。大河といえば梓川が思い浮かぶが、木曽川も立派。昔はここを渡るのは大変だっただろうな。

14:30「太田宿」に到着。「祐泉寺」の向かいあたりに“昼カラオケ”の店があり、そこで昼食。
観光センターで[元禄荘]という宿を紹介してもらう。素泊まりだが、風呂だけあればいい。休みだったところに無理をいって泊めてもらうことにする。主人から郷土の本を見せてもらった。

宿に荷物を置いて、木曽川のほとりまで歩いて…水面を眺めながら人生を(?)語らう。「太田宿」は大きな宿場だったようだ。渡し場はどこだったろうと見たが、わからなかった。ゆったりと贅沢な時間が流れていた。

宿に戻って部屋の風呂に入ろうとしたら…湯が出ない。宿の風呂も同じだ。お婆さんがいたので聞いてみたら「風呂は壊れてます。すみませんね」とのこと。どういうこと? 「宿の人は?」と聞くと「私が宿の者です」とのことだった…。
あとで宿の風呂には入れたが、どういうことだったんだろう。ナゾだ。

宿の紹介で、[若]でいろいろ夕食とビールと地酒を呑んだ。歩数は30486歩なり。


翌朝7:00、[元禄荘]の人に会わずに「鵜沼宿」に向けて出発。8キロある。
木曽川沿いに歩きすぎたらしい。「うとう峠」を通らなかったのかもしれない。喫茶店でモーニング定食を食べて…道を指摘された。

「鵜沼宿」を観て歩く。昔のままの家屋が残っていたりした。
ここから「加納宿」に向かう。17キロもあるのだ。行きつけるか。[若]でもらった柿を食べながら歩く。ひたすら歩く。
何時だったか。昼食はどうしたのか。記憶があいまい…。

バイパスに入ってしまったらしく、時間ロス。16:00近くになっていた。ただただ歩く。

名鉄だと思うが茶所(ちゃじょ)駅そばを通ったときは16:30。「加納宿」直前だが、あきらめて近くの岐阜駅に向かう。自分たちの宿を確保してないのだ。駅で宿探し。見つからない。
“キムタク信長”で名前をはせた近代的な場所。しかし、宿はない。

こうしてる間にも18:00だ。仕方ない。もう、帰ろう。名古屋に出て、新幹線で帰る。
爺さんふたりヘトヘト。この日の歩数52209歩。散々な日だった(笑)。


次は…米原あたりまで行って、「関ケ原」を通って「加納宿」まで歩こうか。一泊で行けるだろう。
その次の…「大津宿」から米原あたりの宿場で中山道538キロの旅は終わるのだ。いやはや…物好き爺さんだね。








中山道を歩く 11

今回は初めて夜間バスを使った。

9/30の23:30、新宿バスタ出発。ネコ爺・ハナ爺は前回戻った恵那駅を目指す。
バスは窮屈で満席。酒を飲んだのに…まったく眠れなかった。いや、30分くらいは寝たかな。

10/1の5:30着。恵那駅はどこだ? 中山道は?
東京はいい。人がいる。道を聞く人がいるのだ。ここには中山道を知ってる人もいない。
出だしから道を間違えて、1時間ロスをする。やっと道がわかったかと思うと、ハナ爺の体調がわるくなる。


しかし、何とか乗り越えて、[大井塾]から[大湫(おおくて)宿]を目指すのだ。道のり14キロ。今回は宿も決めていない。

「十三峠」の名前のとおり、どこまでも山道を歩く。晩年の西行が過ごした場所らしく、「西行塚」などがある。「首なし地蔵」もあった。

「紅坂一里塚」を過ぎて、疲れ果てたころに「三十三所観音」があった。山越えで行倒れになった人や馬の供養のためにつくられたものらしい。

やっとのことで[大湫宿](大久手宿)に到着。「大湫神明神社」の見事な“大杉”があった。樹齢1300年の大杉は朽ち果てたらしく、幹回り10メートルの根本部分だけが置かれていた。「脇本陣跡」や「高札場跡」を観るが、14:00になろうとしている。

今夜の宿をどうするか。昼食を摂りながら考える。心づもりにしていた宿から断られた。
最寄りの中央西線の釜戸駅まで1キロくらいと思っていた。4キロもあるらしい。

釜戸駅まで歩く。駅の入口が線路の向こう側。無人駅の線路を渡ってホームに上がる。
恵那駅に戻って、[ルートインホテル]に宿泊。風呂に入って…食事と思ったら、瞬時に寝てしまったらしい。
電話でハナ爺に起こされて、夜の街へ。ビールと食事。ホテルに戻ったら…万歩計で今日は43802歩だった。寝ないでよく歩いたもんだ。釜戸駅のベンチで寝ることも覚悟していたんだが…むにゃむにゃ。



10/2朝6:00起床。風呂に入ってバイキング朝食を済ませて、7:10出発。

電車で、恵那から瑞浪市に行く。そこから平和タクシーに乗って中山道へ。女性ドライバーから「東京の人は皆、こういうところを歩くのが好きですね」といわれた。皆が好きなんじゃない。わしらみたいな…わずかなもの好きだけだ。

タクシーで[細久手宿]の「大黒屋」の前まで運んでもらう。本陣跡を見て、[御嶽宿]へ向かう。
大湫のふたつ岩と呼ばれる母衣岩と烏帽子岩は見ただろうか。細久手の「秋葉坂の三尊石窟」は? わからない。「耳神社」は? 見逃してる。

[大湫]から[細久手]は6キロある。きっと道を間違えたんだ。古い道に沿って新しい道ができる。古い道は忘れ去られる。間違うほうがわるいんだけどね。

中山道は一本道だと思っている人がいる。なかせんどうは複雑なのだ。新人アナウンサーが…いちにちなかやまみちと読んだ旧中山道。そして、舗装された新しい中山道がある。古くには中仙道とも呼ばれたし、旧中山道は上街道といわれたりもする。当然、下街道もあり、名古屋に通じている。

途中…道を間違えた場所だが、商店を見つけてパンと飲み物を購入した。そこに『キツツキと雨』の映画チラシが貼ってあった。小栗旬の顔があったのだ。そこらで撮影したらしい。戻ったら観てみよう。

標識を見逃して、舗装道を行ってしまう。また時間ロスだ。でも、おかげで出会える風景もある。心のシャッターでとらえた光景には…もう、二度と会うことはできないのだ。

まだ出くわしたことはないが、「熊に注意!」の看板も多かったな。わしら人間が熊の領域に入り込んだわけだけどね。

ともかく、迷い道クネクネで[御嶽宿]に到着だ。大井宿から御嶽宿まで32キロ。資料館などを観て、2:30御嵩駅から名鉄で名古屋に出て…新幹線で帰る。この日は34867歩。

あと5回ほどで538キロの「中山道歩き」も終わるだろう。
聞いても道がわからない。人が少ないからだ。それもある。
わしらが便利なスマホを使い切れてないせいもあるだろうな。


 住み馴れし 都路出てて けふいくひ いそぐもつらき 東路のたび

                                   皇女和宮





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