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中山道を歩く 10

6/2、新宿バスタ6:30発。10:50馬籠着。馬籠宿までは徒歩30分弱。ここまでは前回と同じ。
中山道の観光地・馬籠宿で昼食を食べて、ジジふたり。今回は西へ進む。目指すは落合宿。

アスファルトに白と黄土色の小石を混ぜている。それで中山道とわかるのだ。すばらしいアイディア!
のどかな道。遠くに恵那山? 島崎藤村が書いた「是より北 木曽路 藤村老人」という石碑があった。

十曲峠を越えていくと「落合の石畳」がある。尾張藩が自然石を敷き詰めたものらしい。当時の石がそのまま残っている場所もあり、貴重だ。山ヒルもいないしね。

「なんじゃもんじゃの社」はあったが、「助け合い大釜」は見逃した。「子野の一里塚跡」を過ぎて落合川。落合宿では解体作業をしている宿もあったな。

あっけなく落合宿を通って、「茶屋坂の高札場跡」を過ぎると中津川宿だ。16:00前に[プラザホテル中津川]着。
ホテルに荷物を置いて、中津川宿本陣跡などを観て歩く。桂小五郎が隠れた家があったが、本当だろうか。

ホテル前の居酒屋[いちふみ]に入ったら、馬籠で宿をやってるという娘さんがいて花が咲いた。地酒を呑みすぎて…どっちがお金を払ったかわからない。25721歩。


翌朝、8:00に大井宿に向かってスタート。
白と黄土色の小石を混ぜたアスファルトが行先を示してくれるが、ときどき消える。工事をしていて、中山道が遮断されていた。
旅安全の「六地蔵石憧」前を歩く。明智鉄道脇を歩く。NHK朝の「半分、青い。」のローカル列車かな。

大井宿に到着して、[ひし屋資料館]など、宿場を丁寧に観て歩く。明治天皇が泊まった宿もあり、説明を受けた。それから部屋を使ってないらしい。宿場としてしっかり残っているのは馬車で来た天皇のおかげだろう。

ここには[博石館]がある。そこの主人は200分の1だかでピラミッドを造ったのだ。昔の知り合いで、そこをマンガにしたことがある。『天空の城ラピュタ』のDVDをプレゼントしたこともあった。突然訪ねたら驚くだろうなと思っていたら…亡くなっていた。
最近はよく知り合いが亡くなる。わしも近い…ということだろう。

同行のハナ爺の体調がよくない。恵那駅に着いたのは14:00くらいだったと思う。そこから帰ることにする。塩尻に出て、15:20発の特急あずさでだ。この日24927歩。


前回はわしの調子がよくなかったし、うまくいかないもんだ。
次は7月末かな。新宿バスタから恵那に出て、大湫宿へ向けて歩こう。十三峠越えだ。
今年は関ケ原までかな。いや、西と東から攻めて、関ケ原でアガリにしてもいいな。

「そんなとこ歩いて楽しいの?」といわれたりする。楽しくなければ行かないよ。
日本橋から538キロを歩く。過去を観ることで今が見えてくる。今が見えることで未来が見える。
ま、オオゲサにいえば…そういうことだろうね。


中山道を歩く 9

これの記録がモレていた。
日本橋からスタートした中山道歩きは妻籠・馬籠まで到達しているのだ。

バスの都合で反対に歩いた。
4/1、新宿バスタ6:30発。10:50馬籠着。11:00[馬籠宿]着。11:50[蕎麦屋]で昼食。山道を3時間歩いて15:00民宿[かめやま]着。宿のオバチャンが楽しい。荷物置いて[妻籠宿]見学。17:30民宿戻り。29267歩。 

4/2、07:30妻籠発。妻籠城跡10:40。三留野宿11:00。桃介橋11:10。身体が右に傾き、歩けない。腰が痛い。14:00~14:50野尻駅待機。体調を考慮し、電車で野尻駅から14:50~15:00須原駅着。15:30須原の[いとせ]着。泊。30666歩。

4/3、7:30津原宿[いとせ]スタート。倉本駅9:00。野田の滝11:00。目覚の床11:30。歩けそうにないと判断して、上松駅12:30~15:00電車乗る。電車15:25~15:40木曽福島着。16:00[むらち屋]着。歩数は30000歩くらいだろう。


病院で調べた。三半規管と脳に異常はないかと…。
特に問題はなかった。

中山道538キロを歩こうと考えたとき、妻籠・馬籠が頭にあった。
でも、馬籠はイメージが違った。青山の竹下通りを思い出すほどだ。それに、馬籠は長野ではなく、岐阜県になっていたのだ。

ともかく、妻籠・馬籠までは行ったのだ。
駅でいえば、妻籠・馬籠は東口、西口くらいかと思ってた。その間、山道を3時間だもんな。
妻籠はとてもすばらしい安息の地だった。もう一度行ってみたい。




中山道を歩く 8

気持ちを一新して、反対に歩くことにする。
12/30~1/1書物を読み懐かしみ…わしらは夢の中を歩くのだ。

12/30朝、早くに目覚める。東京駅でハナ爺と合流して8:00の新幹線に乗る。富士が美しい。10:00前に京都駅着。立ち並ぶビルで京都タワーは見えなくなっていた。




電車で京阪三条に行き、鴨川にかかる“三条大橋”に立つ。ここが江戸・日本橋からの中山道の終点だ。ヤジキタの銅像もあったが、ここは東海道の終点でもある。

橋の傍にタワシ専門店があり、ハナ爺が購入。軽く食事して、11:00[大津宿]に向けて出発。
荷物が重い。いつも登山と勘違いして…荷が多くなってしまうのだ。

車道に沿って歩く。京への難所。逢坂峠を越える。そんな場所にまで地下鉄駅があって驚いた。
大津は天智天皇の造営いらいの重要な場所で、物資の供給地として栄えた…らしい。ただ、わしらは比叡山延暦寺方面には行かない。

奈良への分岐があったから道は間違ってない。[大津宿]に向かっている。
“大津絵”が貼ってある家もあった。昔、旅人が購入したらしい。大手の企業の工場がたくさんあった。旧道はどこだ。1号線は…。

小さな「中山道を歩く」という旗をつけていたので、沿道から声がかかる。太田というおばちゃんからお守りをいただき、2万年前の“石木”というものを見せてもらった。力がつくといわれたが、なぜか…腰が痛くなってきた。

「逢坂の関」の跡を見たが、「蝉丸神社」は行ったかな。あの石段、腰がヘロヘロだった。
「月心寺」の傍は通ったようだが、「山科地蔵」を見逃した。
近くの友人が来てくれていたら…と思っても遅い。友人ふたりに声をかけていたが会えなかった。もう、一生会えないかもね。

28408歩で[GUEST HOUSE大津]に到着。ここにネコ爺・ハナ爺は宿泊予定。が、16:00前のせいか、誰もいない…。
仕方ないので、大津駅前の[テトラ大津]で休憩して、ネコ爺はこっちに泊まることにする。夜は大津駅近くの居酒屋に行った。どこも賑わっていた。




12/31朝、ネコ爺が宿泊している[テトラ大津]のバイキング朝食にハナ爺が参加。昨夜の[GUEST HOUSE大津]はオーナーもいなくて…ハナ爺ひとりだったとか。そういう宿もあるんだな。

8:00空を眺めつつ[草津宿]に向けて出発。ときどき雪が舞う。
初詣の準備をする「石山寺」を歩いて、丘みどりの歌にもある「瀬田唐橋」を渡った。琵琶湖から出ている瀬田川だ。この川は宇治川となり、やがて淀川となる。
昔の琵琶湖は今より大きく、安土城の近くまであったらしい。淡水だが、真珠が取れる。イケチョウ貝だったかな。

交番で女性警察官に聞いて、37023歩で[レイアホテル草津]に到着。15:00と早かったので、荷物を預けて宿場町の名残を探索する。

江戸から来ると[草津宿]が終点で、今日はここまでは東海道を歩いてきたのだ。締めくくりの先取り。「右東海道 左中山道」の追分の道標があった。中山道と東海道の合流地点で、100軒を超える旅籠があったらしい。
雪の中「本陣跡」とかを観て歩いた。木像阿弥陀如来は鎌倉期のもの、中にあるのだろうか。雪が強くなってきた。

でも…「伊砂砂神社」に行けなかった。
大津駅近くの「和田神社」の大銀杏や「義仲寺」も観たかったな。「新宮神社」「建部神社」や「姥ケ餅屋」も行ってみたかったな。
辿り着けなかった毘沙門堂は何だったんだろう。

“三条大橋”からここまで地図上では30キロもない。いずれ、つづきの[贄川宿]から[草津宿]を歩く。中山道はまだ…あと半分近く残っているのだ。児玉幸多の「中山道を歩く」を読破しておこう。

大晦日で店はどこもやってない。ネコ爺・ハナ爺はコンビニでビールと夕食を買ってきた。[レイアホテル草津]でRAIZINの試合を観ながら食べる。うん、こういう大晦日もいいね。




令和4年元旦。右膝が痛かったが治っている。
草津駅に出て、米原まで普通電車。車窓からの雪景色を観ていると…山形か秋田にでも来たような気分。米原駅には複数の噴水機があった。雪の多い地方だが、湖や気流のせいかな。

米原駅から新幹線。速い。東京駅には12:00過ぎ着。「年内2回は行きましょう」と約束して、そこでハナ爺と分かれた。



映画情報を調べたら、ちょうど新宿で『そして、バトンは渡された』をやっていた。重い荷物を持って[新宿ピカデリー]に入る。
映画がよかった。感動して涙が出た。今日はいい日だな。今年はいい年だな。そんな気分にさせてくれた。




1000万企画から感じたこと

わしはYouTubeをよく観る。テレビを持たないわしは、朝倉兄弟の格闘技試合などをYouTubeで観ている。

これまで“朝青龍関を押し出せば1000万円”や“那須川天心選手に勝てば1000万円”などの企画があった。
今年は“朝倉未来選手をストリートファイトで倒したら1000万円”というものだった。企画そのものには疑問に思うところもあったけど、わしは別のことを感じた。

応募者は600人余り。オーディションで盛り上がり、その場で朝倉選手とケンカみたいになった人がいた。実際にスパーリングをしたのだ。
「彼のわるい印象だけが残ったみたいだから…」と、朝倉選手はそのあとで彼に会いに行ってる。彼は目黒でハンバーガー屋さんをしていた。

ハンバーガー青年には「YouTube会員が増えるからだ」といってたがそれだけではあるまい。朝倉選手は真っすぐな性格なのだ。きっと、ハンバーガー青年がわるく思われないように…という配慮なのだろう。
“朝倉未来選手をストリートファイトで倒したら1000万円”では3人の相手と闘った。きっと朝倉選手は同じように全員をフォローするに違いない。

わしが朝倉未来をあさくらみくると読むと知ったのは1年前。かつて彼が少年院にいたことなどもすべてYouTubeで知った。
朝倉選手の並外れた強さだけでなく、彼の覚悟と底知れぬ優しさを痛感したのだ。

YouTubeでそれを知ることができてよかった。



深海に思いを馳せる…

ラッキョウみたいなGoogleマップのアイコン。それを押して、重ねた菱形のようなマークから「航空写真」を観る。すると海水のない…海底が姿を見せる。怖いくらいだ。2万年くらい昔と同じらしい。

それで青森県沖の西を観つつ…アップにしながら海底探索をすると、日本海に奇妙な物を発見する。丸い小山が規則的に並んでいるのだ。とても自然物とは思えない。かなり大きい。さらに探すと、同じようなのがもうひとつ。

こ、これは何だろう。墓? 古代の痕跡? 
縄文時代はもっと長かったのかも…。栄えた文明があったのでは…。スメル族とのつながりは?
なぜ、誰も調査しないんだろう。気が遠くなって溺れそうになった。



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