猿の惑星:聖戦記が50年前につながるもエ~ガね

『猿の惑星:聖戦記』を観た。感動した。大昔に観た『猿の惑星』につながったからだ。約50年を隔ててつながるなんて…何という映画だろう。

『猿の惑星』のころに読んだマンガが忘れられない。シメキリにあせるマンガ家がいて、そこへ宇宙船に乗って猿が来る。「先生、手伝いましょう。ワク線を引きます。猿のワク線!」というだけのくだらないマンガだったんだけど…(笑)。

『猿の惑星:聖戦記』は『猿の惑星』の前日譚で、『猿の惑星:創世記』『猿の惑星:新世紀』とつづいた新シリーズ3部作のしめくくりだ。監督は前作につづいてマット・リーブス。

https://youtu.be/oMwBUJu8wUw

どうせ、今回は猿と人間の全面戦争だろうと思っていたが、そんなに単純な映画じゃなかった。モーゼを描いた『十戒』を思い出した。
ウディ・ハレルソン扮する大佐が不気味でよかった。でも、猿たちに比べると大佐以外の人間たちの表現がすこし弱い…というか、浅いかもしれないと思ったけどね。

でも、もしかすると…『2001年宇宙の旅』で、人間よりもコンピュータのHALのほうが人間味があったように、あえて猿たちのほうが人間らしいという表現なのかもしれない。

懐かしい名前が出てきた。コーネリアス? あのジーラとかいった博士の恋人…いや、恋猿の? 
ノバ? あのチャールトン・ヘストン扮するテイラーの相手方のノバの少女時代!? 今作のノバを観て一瞬そう思ったが、時が数千年くらい離れているから…それはありえない。きっと、オリジナルへのオマージュなのだろう。

なぞの美少女のノバは猿ウイルスの影響で口がきけない。その媒介者なのだ。なので表情のみの演技だが、存在感というか…とにかくよかった。どちらかの種族を排除するのではなく、非戦とか共存…の象徴なのだろう。澄んだ瞳は戦いのない世界を観ているに違いない。アイア・ミラー? 女優としての成長がたのしみだ。

人間の認知症のために開発された特効薬。その影響で知能が発達したチンパンジーのシーザー。片言の英語しかしゃべれなかったが、今作ではさらに成長して流暢に話す。さらに成長して、人間みたいに復讐心にも燃える。

成長はCGにもいえる。わしはCGが苦手だが、ここまでになると…すごくて、もう何もいえない。
シーザーはCGだが、元はアンディ・サーキスが演じている。『キング・コング』とか『ロード・オブ・ザ・リンク』の“ゴラム”もそうだが、怪獣の中の人だ。とてもよかった。いつかモーション・キャプチャー俳優として評価されるに違いない。主演男優賞とかね。

旧作の『猿の惑星』は『続・猿の惑星』『新・猿の惑星』…と5作つくられた。わしは今回の3部作を含めて、すべてリアルタイムで映画館で観ているのだ。ティム・バートン監督のもあったな。

オリジナル1作目の『猿の惑星』を観直してみた。当時はアカデミー賞を取ったメーキャップ。今観たらチャッチイと感じるかと思ったが、よくできたCGみたいに感じた(笑)。不思議だね。

 

日の名残りを想うもエ~ガね

何年ぶりかで登山をした。その翌日がオペラ観賞だった。久しい人にも会った。ひとりは山仲間。ひとりは仕事仲間だ。
山とオペラでわしの心は満たされ豊かになって、なぜかふと…『日の名残り』を思い出した。

https://youtu.be/FVuz8FWyFw0

イギリスのダーリントンホールと呼ばれる大邸宅。いわゆる貴族だろう。そこの執事だったスティーブンスが1930年代ころを回想する。

イギリス人の礼節。使用人と主人。世話する人と世話される人。彼らはわきまえた立場の中に誇りを見出すのか。階級制度は使用人の中にまであるようだ。新聞にアイロンをかける場面が印象深かった。

監督はジェームズ・アイヴォリー。主演は執事のスティーブンス演じるアンソニー・ホプキンスと、女中頭ケントン演じるエマ・トンプソン。それぞれ役者たちの渋い演技がまるで醸造されたワインの味わい。アンソニーが「演技は学ぶものではなく、人前でやるものだ」といったとか…。アンソニー・ホプキンスは噴火しない火山のようだ。

執事が主人に傾倒するように、そのころの主人はドイツに傾倒していたのだろうか。時代的にそうなのかもしれない。
いつまでも義務感は抜けない。それがプロの執事というものだろう。
自分はどうだったのか。自分はあのころ、主人に対してどう思っていたのか。自分の考えを破棄していなかったか。ケントンに対しては? ふたりの間は知的な緊張関係だけだったのか。
スティーブンスは自分を探して自問自答しているようにも見受けられた。自分の心の中への自分探しの旅、みたいな…。

『日の名残り』の原作は「遠い山なみの光」のカズオ・イシグロだ。何年か前の“エ~ガね日記”に書いたが、『わたしを離さないで』は生涯忘れることのできない映画だった。
あの主人公たちも…自分は誰なのかと問い詰めていた。それは原作者自身の問いかけでもあるのだろう。

イギリスでは日本人と呼ばれる。でも、本当にそうだろうかと悩んだに違いない。
言葉を覚えきらない幼いうちに別の言葉の国に移ると…その子のアイデンティティが崩れやすいといわれる。彼はギリギリのところにいたのかもしれない。しかし…だからこそ、カズオ・イシグロという作家が生まれたんだろうと思う。

彼は日本時代にマンガに馴染んだという。もしかして、手塚マンガとの接点はあったのだろうか。ふと…そんなことも思った。

イミテーション・ゲームをするもエ~ガね

水辺に棲む生物の愛称で呼ぶ天才肌の知り合いがいる。彼はときに「常識を疑え!」と叫ぶ。
ふと…この映画のことを思い出した。


エニグマという名前は聞いて知っていた。第二次大戦中、ドイツが使っていた暗号だか暗号機械のことだ。ドイツ軍の攻撃情報は傍受できたが、暗号だったため解読できなかった…くらいのことはわしでも知っていた。

ところが、ひとりの天才によってイギリスはその暗号を解読していた。長い間、それは公開されなかった。
詳しくは知らなかったが、天才アラン・チューリングの解読成功と苦悩を描いた興味深い映画が『イミテーション・ゲーム』だった。サブタイトルを「エニグマと天才数学者の秘密」という。

原作/アンドリュー・ホッジス。脚本/グレアン・ムーア。監督/モルテン・ティルドウム。
主演がベネディクト・カンバーバッチで、キーラ・ナイトレイも出ていた。とにかく、カンバーバッチがいい。適役だったと思う。

https://youtu.be/Lzd7MAd0J5A

イギリス軍は極秘で、エニグマを解読できる人物を探していた。映画はその面接場面から始まる。天才ぶったアランの傲慢な態度に、面接の大佐だかが気分を害する…みたいなシーンがあった。

やがて、極秘の解読チームが組まれる。しかし、アランは傲慢でコミュニケーションすら普通にできない。
ひとり女性スタッフのキーラ・ナイトレイ扮するジョーンがいう。「女が男と一緒に仕事するなら好かれなきゃダメ。嫌われたらやっていけない。アラン、あなたも同じ。あなたが優秀でもエニグマは上。仲間に嫌われたら、協力が必要になっても誰からも助けてもらえないのよ」と…。

天才肌の人は独善的で、嫌われることが平気だったりする。ジョーンはそれを戒めたのだ。もっと人に馴染む努力をしろと…。
普通なら…とかいうセリフも何度か出てきた。普通って何だ!? 人にどう思われるかなんてどうだっていい…と、そんな言葉もあったように思う。

アランは暗号解読マシンをつくる。
「マシンは考えるのか? 人間のように」という問いにアランは答える。「マシンは人間とは違う。マシンが人間のように考えるわけがない。人間とは違うふうに考えるのだ」と…。
アラン・チューリングはそういうことを論文にも書いていたらしい。その論文のタイトルを「イミテーション・ゲーム」という。興味深い。
誰も予想しなかった人物が予想しなかった偉業を成し遂げる。彼のおかげで何百万人もの戦争犠牲者が減ったという…。

万能マシン。電気的頭脳…。それが今日のコンピュータにつながっているのだ。


水辺に棲む生物の愛称で呼ぶ知り合いのことを考えて、ふと…思い出した映画のことを書いてみた。彼の頭上に希望の光が差し込むことを祈りながら…。

ショーシャンクの空に希望を見るもエ~ガね!

今、巷では“希望”という言葉が飛び交っている。新聞でも連日、“希望”の文字が踊っている。


さて、久しぶりに『ショーシャンクの空に』を観た。『スタンド・バイ・ミー』とともに、わし好みの映画だ。
実は知り合いの女性から好きな映画だと推薦され、不思議に思った。どこが女性好みなんだろうと、確認する意味でDVDで観直した。今回は監督のコメンタリー(音声解説)版でも観た。

https://youtu.be/gqMl4-aETzA

脚本・監督はフランク・ダラボン。初監督らしい。原作はいわずと知れたスティーヴン・キングだ。

殺人の冤罪でショーシャンク刑務所に入った優秀な銀行家のアンディ(ティム・ロビンス)。刑務所にはレッド(モーガン・フリーマン)など囚人たちがいる。偽善者の所長もいる。

どちらかといえば地味な映画だ。暴力シーンもアップ表現ではなく、風景のように撮られている。全体的に抑えた…控えめな表現だ。主演のティム・ロビンスにしても静かに演技する。だからこそリアルにも伝わってくるわけだが、そういうところが女性に支持された理由かもしれない。

「音楽と同じで、心から希望が消えることはない」というアンディに、「刑務所では希望は必要ない。危険な考えだ」とレッドはいう。でも、アンディはあきらめない。必死に生きるか、必死に死ぬか。
どんな逆境にあっても“希望”を捨てない姿に…女性は共感するのかもしれない。いや、これは女性も男性もないだろう。
やがて、ふたりに芽生える友情と信頼。感動的だ。爽快ですらある。

なぜだろう。観るたびに深く…観るたびに前よりもよく感じる。好きな映画だ。

レッド役のモーガン・フリーマンがいい。コメンタリーに「どうしてコマーシャルに出ないのか」と聞いたというのがあった。モーガンは「私が出たら、観た人が本気にするだろう?」と応えたという。
なるほどと思う。モーガン・フリーマンは何を演じても本物になる。ずっと昔からそこにいたと感じさせる。

アンディがキャッチボールをしているレッドに話しかける5分ほどの場面。撮影に9時間かかったという。
刑務所はセットを含むいくつかの場所で撮影して、それをひとつの場所に見せている。アンディが謎めいたことをレッドに話しかける場面。飛行機の音が撮影の邪魔だったが、ティム・ロビンスが上空を見上げるしぐさをしてクリアしたという。なるほど。

牧草地にある大きな木。そこに並んだたくさんの石。最初からあったのではなく、美術スタッフたちが置いたのだという。ほんの数秒だが、バッタが飛び交う草原を歩く幻想的なシーンもあった。それを撮りたくて苦心したという。

監督が苦労話を語るコメンタリーはとてもおもしろかった。限られた予算の中で、皆がどれほど気持ちを込めてこの映画をつくったのかがわかる。
冒頭の拳銃を持つ手が追加撮影をしたフランク・ダラボン監督の手だったなど、まったく気づかなかった。

タイトルは原作よりすこし短い。原作には重要なポスター女優の名前がある。
映画の原題は『Shawshank Redemption』だ。Redemptionは罪を「贖う」だけでなく「回収」の意味もあるらしい。なるほど。

メキシコ人は太平洋を“記憶のない海”と呼ぶという。
“希望”の土地として、ジオタネホだかシワタネホが出てくる。

原作にはないらしいが、ラストの場面が美しく、心が洗われるようだった。





わしは5年前に病気をして…今日は病院でその検査の結果を聞く日だった。
結果は全快で問題なし。わしにとっても“希望”の日になったのだ。

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